散りぬべき
それでも、外の庭に見つけたのは、この世ならざる者である。
「申し申し、ここは安倍さんのお家ですか」
一人の少年が、庭の隅で立って、柔らかく唇を動かす。生を感じぬ存在感は、その皮膚に現れている。体の殆どを爛れさせ、肉を崩し、存在しない火に、今も焼かれ続けている。
「……あぁ、そうだよ。でも、成仏したいならすぐ近くの
こういったものは、実際にはあまり相手にするべきではない。しかし、銃夜達から見て、彼は何処か、こちらが同乗する部分がある。どういった原因で死に至ったかは分からないが、自身の身を欠き、それを何人もの魂で補って生きている身からすれば、共感する部分が無いわけではない。年も近く、きっと、どの時代で死んだにせよ、彼は未練を残し、今も彷徨って、ここまで辿り着いたのだと思った。
「いいえ、俺は、成仏はとうの昔に出来なくなっていますから、そのためにここに来たのではないのです」
優しく、揺れる水面のように、少年は表情一つ崩さず言った。体を引きずって、少年が庭を歩く。草木で見えなくなっていた足が見えた。
「俺は救われるために来たのではないのです。救いたくて、来たのです」
彼の足は虹色の鱗に覆われ、そこだけが存在感を知っていた。ハッとして、僅かに残った彼の頭の毛を見る。毛髪は焼けているが灰のように白く、瞳は鬼灯のように赤い。寝ぼけ眼だった銃夜が身構える。縁側で、月光に影、
「どないしたん、銃夜。トイレ行きたいんか」
銃夜と千翅の殺気に、後ろの晴安が覚醒した。眠い目を擦りながら、彼は目を凝らして、庭を見る。
「あぁ、なんや、僕らじゃどうもできん子やな」
細い目を開いて、殺気立った銃夜の頭を撫でる。晴安の手の温もりで、一瞬ブレた冷気を、銃夜は飲み込んだ。
「でも、どうやって入ったんやろうなあ」
鈍く光る鱗模様に、晴安が目を光らせた。気付いている。銃夜は一歩引いて、晴安の隣に隠れて、少年をもう一度見た。
「結界あるんやから、そうそう入ってこれへんと思うんやけど。壊した形跡もあらへんし」
にっこりと、晴安が笑う。それに呼応するように、少年は冷静に、端的に言った。
「俺は、話すしかできないから、通り抜けられたんだと思います」
少年の変わらぬ表情に、銃夜がひしと晴安の着物の裾を掴む。後ろで、晴が気持ちよさそうな、ううんという寝言が聞こえた。
「そうなん? そうかあ」
一人、納得する晴安がいた。隣で、銃夜が少年を見つめる。
「うん、ええわ。今日はもう遅いし、明日の夕暮れに、白露神社にいてくれへんかな。話しくらいなら聞いてやってもええ」
にっこりと、口元を裾で隠しながら晴安が笑う。深夜の冷えた風が、身を包んだ。どうしても体が上手く動かない。銃夜は一種の恐怖を飲む。
「はい。わかりました」
案外素直に、少年は頷いて、受け入れる。微笑むこともなく、何の動作もなく、スッと少年は消えた。彼が死者の一端であることを知らしめている。
そんな現象を見ている間に、晴安は銃夜の肩を優し気に撫でる。
「寝よか。丁度、明日は朝から白露神社に用があったやろ」
晴安の笑みを、銃夜は微笑みで返した。伸び始めた艶のある黒髪が、銃夜の視界の隅に揺れて、晴安の目元を隠す。それでも、口元の動きと手つきで、彼が銃夜を温かく見つめているのだと言うことは分かった。
もう一度、布団をかぶる。寝返りを打てば、隣々に夫婦が見えた。銃夜は二人の息子でも何でもないが、この様子だけ切り取れば、三人親子の川の字に見える。
脳髄で、千翅が月灯の中で静かに飛んでいる様子がわかった。銃夜とその式神となった千翅は、視覚を共有している。数多の蜻蛉の目を使って、銃夜は眠ることも知らずに、安倍邸の周囲を見回っていた。千翅は影の形をしていることから、明かりがそれなりに強い場所でないと、上手く動けないことが、ここ最近得た成果である。
そして、銃夜は、この千翅を夜中に操っている数日、眠らずとも健康体でいられることを知った。いよいよ自分が人間から逸脱していることを感じ、無理にでも意識を外から切り離そうとする。それでも、銃夜は眠らなかった。
千翅は、外を見回っては、猫に追いかけられたり、不可思議な死者達と遭遇しているようである。街灯の下で、揺れる長細い白い女であったり、ずっと缶蹴りを続ける少年少女達がいる。暗闇の中、少しの光の中で、親近感のある存在達が、意識を続けていた。そっと、無意識に、千翅の一人を操って、街灯の下で止まる。誰かが前から歩いてきているのが分かった。
――――何だ? 此奴?
それが死者ではないと、直感で気づく。生命の熱、下駄の音。光で反射する艶のある黒髪と、銃夜と同じ赤い瞳。だが、それはこの時間にあるには奇妙な存在で、何者かを問う理由でもある。
双子の少年。黒い短髪と、透明な南天のような可愛らしい赤い瞳の、異様な気配を纏った二人の少年。二人は見た目からして一卵性双生児であろうが、その根本的な雰囲気は異なる。こちらを確実に見定めている方は、鋭く、こちらに向ける獣のような感覚と、人間離れした存在感を放つ。もう一人は、こちらではなく、その共にある鏡像を見つめて、少々の不安を瞳に映していた。
「おい」
突然、一人の少年の口が動く。獣のような少年は、銃夜に手を伸ばした。
――――触れたら死ぬ。
直感的にそう思って、身を引く。上から、少年達を見た。もう一人の方も、こちらを見つめている。だが、それは不安というより、何処か、好奇心に近いものを持って向けられた。
「勘が良い。主人は俺と同じか」
少女のような、少々甲高い少年の声が響く。近くにいた死者達が、何処か遠くに移動しているのがわかる。この一人の少年の気配に、本能的に動いているのだ。
「悪い。道に迷った。下僕を振り切って歩いていたら、こんな所まで来てしまった。お前の居る所まで、案内を願いたい。ここは煩いんだ。どうせ、毒花か宮家の人間だろう?」
その見た目の歳よりも、圧倒的に高い年齢のような、そんな口調で、彼は語る。
「語れないのか。あぁ、蟲の式神は低能で困る。数だけ多くて面白くない。良いから、案内してくれ。ちゃんと俺を見ればわかるさ。逆らわない方が良いって、すぐにわかる」
高圧的な態度は、まるでこちらを奴隷のように見ている気がして、銃夜は好かなかった。だが、少年の存在感で、従わないといけないと言うことだけは、理解が出来る。自分と同じ瞳。おそらくは、自分と同じ、大宮家の子供。
脳内で、
「付いて行ってやる。多少遠回りでも良い。お前が行きやすい道を行ってくれ。途中で消えられたらたまらない」
少年は、赤い血のような瞳を街灯に煌めかせて、道を行く千翅を辿る。もう一人も、黙って、二人の後ろを通じた。
満月が千翅を浮かび上がらせて、少年の気配が、道を塞ぐ怪しい存在を消していく。その過程が、二人を繋げる一本の糸のようであった。銃夜は目を通して、少年二人の傍に、何か違うモノの気配も共に知ったが、伝えることも、考えることもせず、二人を安倍邸まで歩かせた。
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