覚える夢の篝火を持て

神取直樹

プロローグ:辞世の句

 携帯で日付を確認する。旅行の日取りは明日である。気分が高揚していた。二十歳を超えた今でも、遠足前の小学生の気持ちはわかるものだ。レン――大宮おおみや漣夜れんやは、電車の時刻表を確認して、真夏の夜の熱気にあたりながら、鞄の留め具を閉めた。旅行鞄は父から受け継いだ、古びた英国製。今までレンが行った場所の記念の証や、彼の父が巡った場所の証拠でびっしりと埋め尽くされている。

 ガリっと音がして、金具の緩みを感じる。


「流石にそろそろ使えなくなってきちゃったな」


 一言、そう呟く。隣で共に荷物を詰めていた、彼の守護者の安倍あべのはるかが、振り向いて笑みを零した。


「今回は持っていかないことにしたら」


 その声色は動きが少なく、感情的ではないが、長い付き合いのレンには、少し残念そうな気持がこもっていると感じられた。遥の中性的な顔が、動き少なく、言葉を追随する。


「外で壊れたら、直すのも苦労するよ。それに、初めて行くところではないんだから」


 それ以上の言葉をつぶやく前に、レンが笑う。


「じゃあ予備の鞄を一緒に持っていくよ。それくらいの余裕はあるでしょ」


 少し、困った顔をして、遥は手を止めて、レンの顔を見た。長く目を見られることを苦手とするレンは、目を反らした。


「レン。それは銃夜つつやさんの遺品であって、銃夜さんじゃない。それを持っていかなくても、数十年先、伝えようと思えば伝えることも出来るはずだ」


 遥の言葉をレンは耳に刺す。理解はしていた。頭に、父の馬鹿にしたような笑う顔が過る。何故か、居もしない彼に、馬鹿だなあと言われているように感じた。


「わかった。代わりにカメラの良い奴を持っていこう。山は被写体が多いんだから」


 落ち着き払ってそう言った。レンの言葉を聞いて、遥は一種、溜息を吐く。時刻は二十時を過ぎている。明日は五時起きである。早めに寝ておくことに損は無い。そう伝えようと、遥はレンの肩を叩こうとする。


「遥。明日の電車で食べる駅弁、どうしようか」


 話をそらすように、レンがそう笑う。びくりと遥は触れる手を戻した。一瞬考えて、レンの隣に正座をすると、新たに出されたレンの鞄を眺めて言った。


「その場で選ぼうよ。その方が楽しいんだから」


 旅の楽しみを、主人のレンに説くのは無粋だろう。レンは遥と共に様々なところに旅をして、その楽しみを貪ってきた人間だ。二人での旅を始めてから、既に五年は経過している。それ以前に、レンは父の銃夜と共に旅行を楽しんできた経緯もある。遥よりずっと旅を熟知していた。


「そうだな」


 ふと、遥はレンの荷造りが終わるまで、と、明日の列車の切符を見ていた。レンはいつも旅行の時、船や飛行機を取らず、列車で旅をしようとする。どうしてもということが無い限り、遥もその注文を受けて、列車を、それも、出来るだけレトロなものを用意していた。


「ねえ、レン。そういえばさ」


 遥がレンを呼ぶ。ん、と一言鳴いて、レンは終わりかけの荷造りの手を止めた。


「何で列車なの?」


 この目的地なら、飛行機のほうが良いのではないかと、遥は付け足して、レンを見た。一つ間を置いて、レンは首をかしげる。


「何でだろうね」


 優しげだった。困ったようでもあった。落ち着いている。汗や隠し事を見る事は出来ない。本人でも、よくわかっていない。


「……次回は飛行機でイギリスにでも行ってみる? カズさん達に会いに行くのも一興じゃないかな」


 遥の提案に、レンは、そうだなあ、とだけ置いた。


「今日は早く終わらせて寝よう。明日は早いよ」


 残りの詰め物を、遥はレンと共に詰め込んで、鞄を膨れさせていった。詰まった鞄を敷布団の頭に置いて、二人は揃って布団の上に転がる。蚊帳を広げても、外の明かりは朝顔の露の反射で乱れて見える。風を通すように襖は開けられ、外が見える。


――――何で列車何だっけ。

 レンは眠りにつこうとする頭で、遥の言葉を反芻する。眠りにつくこの脳ならば、思い出せる気がした。理由となる出来事が、それだった気がした。

 幼少の自分を見る。七歳になる前だった気がする。小学校に慣れて、遥に慣れて、それなりに幸せであったように思える。幼馴染たちがまだ生まれるか生まれて間もない頃であった気がする。だが、彼等は関係ない。関係があったのは、確か、父の銃夜である。


 何処からか、白い何処かからか自分達の前まで流れてきた、古びた車両。三両編成だった。博物館で見たような、古さだった。父と手を繋いでいた。自分は寝間着だった。父は当時二十代後半だった気がする。だが、その時、彼は、中学生かそれくらいの姿だった。父というよりも、自分との姿の近さから、兄弟のような感覚であった。


『レンはここで待ってろ』


 父は自分から手を離した。少し歩く距離に止まっていた列車に、彼は向かう。列車に、何人も乗っていた。見たことがあるような気がする、そんな顔もいた。


「銃夜! 何やってるんだ! こっちはずっと待たされてるんだぞ!」


 自分達と同じ、黒い髪に赤い瞳の人間が、一人、車窓から顔を出してそう言った。父と自分に酷く似ていたが、何処となく雰囲気は子供らしかった。高校生くらいだろうか。それでも、悪意のわからぬ子供に見えた。


「ごめん兄さん! もう少し待っててくれ! あと何人か一緒なんだ!」


 父は若い声でそう叫ぶ。後ろから、フッと風が巻き上がる。その感覚は、レンも何度か味わったことがあった。父である銃夜が、自分の式神を呼び出すとき、こんな風がたまに起こる。だが、風が吹いた先にいたのは、彼の式神の黒い蜻蛉ではなく、数人の年齢も性別もばらばらの、子供達であった。

 彼らは姿も何も全て違う。けれど、銃夜を慕っているように見えた。一人、銃夜にべったりと近づく赤髪の少年がいた。しかし、その隣にいた、彼と似た雰囲気の少女は、歩く銃夜を追わず、立ち止まっている。


「どうした」


 銃夜が振り返る。多くの子供も、振り返った。少女一人を見ていた。


「すまない。私はまだ行けない」


 少女は冷めた声で、そう言って、銃夜を見つめる。


「そうか。わかった。景色でも眺めながら待ってるよ。乗り方はわかってんだろう? 今度乗るとき、案内してやってくれ」


 少女はそんな銃夜の言葉に頷いて、手を振った。銃夜の後姿を見て、少女はレンに振り返る。彼女の目は、レンと同じように、二重になり、金色に輝いていた。レンは酷く綺麗だと思った。自分と重なるようなその姿に、美を見ていた。

 その後ろ、動き出そうとする列車の中、車窓に、黒髪赤目の美しい少女を見る。彼女はこちらが見ていることに気づくと、笑って手を振ってくれる。その隣、恐ろしく美しい青年が、彼と似た、レンと同じくらいの少年を窓に抱いて見せて、微笑んでいる。抱かれている少年は、レンを視認すると、隣にいた少女と同じように、手を振っている。


「お前達も一緒にどうだ。もう現にいる意味は無いだろ?」


 列車の中に、子供達が入っていったのを見て、銃夜はもう一度振り返り、そう言った。それはレンと赤髪の少女に向けられたものではない。その後ろだった。レンは振り返る。

 白い髪に赤い瞳の、鱗だらけの女。それとそっくりの少年。痩せ細り、痘痕のある顔は醜く、人間のそれとは判別がつくまで少々の時間がかかる。

 女が悲しそうな顔をしていた。その子供であろう少年が、腕を引く。そうして、銃夜の下まで歩いていこうとしていた。途中、レンとすれ違って、少年が悲しそうに笑う。


「ごめんね。おとうさんをとっちゃって、ごめんね」


 そう言って、加速する。女も覚悟を決めたように、走った。列車が動こうとする。銃夜は女と少年を抱きとめる形で列車に入れた。


「お父さん」


 静かに、何かがすとんと落ちるようだった。レンは、叫ぶこともなく、父を呼んだ。


「何十年でも待ってるよ。好きなだけ人生を歩いていてくれ」


 動く列車の音にかき消されることもなく、父の声は聞こえていた。二人、取り残されたレンと少女は、白の空間に立ち尽くす。レンが困ったような表情をしていると、少女が笑う。


「行こう。あれはまたここに来るよ」


 ぐらっと白が黒くなって、現実に叩き戻された。


――――そうだ、そうだ、この夢だ。

 眠っていたレンが、目覚めると、既に明るくなって、外から陽の明かりが顔に差していた。


「レン? 大丈夫?」


 十数年前の現の様な夢を、再び見ていた。そんなこと、心配そうな顔をしている遥に言えるだろうか。目を覚ますために、レンは頭を振って、笑う。


「大丈夫だよ。寝ぼけてただけ」


 遥は、そっか、とだけ一つ落として、レンの頭を撫でる。


「もう五時だ。用意して。行こう。列車に乗り遅れるよ」


 夢の時とは大違いだと、レンは心の底で笑う。自分の影の中、眠そうなのが一人いると、また笑う。


「起きて燐鈴りんれい。お前が眠いと僕も眠いんだから」

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