⒊潜伏期間(2〜3日目)
それから、俺と風邪菌との勝負が始まった。
とはいえ、基本的には、いままでの生活とそう変わりない。
朝起きて、手で隠してる風を装いつつちらちら盗み見ている風邪菌に、気づかないふりをしながら、制服に着替え。
話しかけてくる風邪菌を極力無視しながら登校し。
「ほかのひとの答案、見てきてあげましょうか?」という悪魔の囁きに抵抗しながら、小テストをこなした。
初日こそ、美少女(ただし風邪菌)との生活に疲れたり、時にはどきどきしたりもしたが、三日目ともなれば流石に慣れてきた。
それに、今まで翔太くらいしか話す相手のいなかった学校生活だ。人がいるところではおおっぴらに会話できないとはいえ、学校での出来事という共通の話題がある話し相手がいるのは、正直ちょっと楽しかった。
体育館の端っこで、「勇人さーん! がんばってくださーい!」と全力で応援する風邪菌に、こっそりと手を振り返しながら、目の前を見やる。
今は体育の時間。クラス内でチームを作り、バレーボールの簡単な試合を行っていた。
相手チームは、どうやらうちのクラス唯一のバレー部員が、サーブを打つ番らしい。
どうか俺の方に飛んで来ませんように、とせこいことを考えている俺の前を、何かが横切った。
猫だ。
しかし、クラスメイトの誰も騒がないところを見るに、どうやらこの世界の猫ではないらしい。
そうこうしているうちに、よそ見をしている俺のことなど気にもとめず、相手チームからのサーブが飛んでくる。
白い球は凄まじい速度で、猫の霊の元へ飛んで行った。
「!」
見えてないはずなのに、いや、見えてないからこそ、猫めがけて真っ直ぐ飛んでいくボール。
別に、無視すればいい。あの猫は生きている猫と違って身体がない。ボールが飛んで来ても、猫の身体をすり抜けるだけだ。
そう分かっていても、怯えて、目を見開いたまま縮こまる猫を前にして、身体は自然と動いていた。
「うらあ!」
かなり無理な姿勢からのレシーブ。当然相手コートに返ることはなく、ボールは見当違いな方向へ飛んでいく。
「痛っ……」
しかも、無理して真横に飛んだから、足を捻ってしまったらしい。
「久城、足くじいたのか? なら保健室行っとけ」
という教師の声を受けて、俺は不審がるクラスメイトの視線から逃げるように、保健室へ向かった。
保健室に着くと、部屋は無人だった。
仕方なく、戸棚から適当に出した湿布を貼り、保健室のベッドに腰掛けながら、包帯でそれっぽく固定していく。
はあ、またやっちゃったな、と落ち込む俺の目の前に、人影が現れた。
反射的に顔をあげると、風邪菌が心配そうにこちらをうかがっている。
「勇人さん、大丈夫ですか?」
俺を殺そうとしているはずの風邪菌が、足を挫いた俺のことを心配しているのは、なんだか滑稽だなと思った。
「別に、ちょっと挫いただけだし、問題ねえよ」
そう答えると、風邪菌は何やら、「それもなんですけど、そうじゃなくって……」と、何やらもごもごしていた。
もしかして、こいつも俺の奇行をみて、クラスメイトたちと同じように、頭や心の方を心配しているのだろうか。
そう思うと、腹の底から、怒りとやるせなさと、ほかにも色々どす黒いものが混ざり合ったものがこみ上げてきた。
確かに、何も見てない人からしたら、俺は単に、「無理にボールを取ろうとして失敗して怪我した痛いやつ」なんだろう。
けれど、善意のつもりで俺の言動を可哀想な目で見る周りの人間には、飽き飽きしていた。それならいっそ、翔太のように「おもろいやっちゃなー」と、動物園の動物を観察するように見てくる方がマシである。
「なあ、風邪菌。お前も、俺のことを可哀想だと思うのか」
抑えようとしても、怒気と震えの滲む声で、そう問いかける。
すると、風邪菌はこくりと、ちいさく、けれど確実に頷いた。
くそッ。こいつもなのか。
せっかくここ数日、久しぶりに学校が楽しかったのに。
そんなことを思う自分に内心驚きながら、俺は立ち上がってその場を去ろうとする。
と、俺の腕を風邪菌が引っ張った。
壁や障害物を平気ですり抜けるもんだから忘れていたが、そういえば、こいつは俺には触れるんだった。
「放せよ」
どうせ場所を変えても風邪菌は付いてくるのだろうが、何を言われても無視をしていい大義名分がほしくて、俺は無理やり教室に戻ろうとする。
しかし、風邪菌は譲らなかった。
可愛い女の子の容姿とは裏腹に、信じられないほどの力で俺を引っ張ると、そのままベッドに座らせ、そして、押し倒したのだ。
そして、目をぱちくりさせる俺に、四つん這いになった状態で、言う。
「ひとが心配してるのに、その態度はないんじゃないですか」
なんだ説教か、と俺が顔を背けた矢先、俺の顔に温かい何かが落ちてきた。
「せっかく偉いことをしたのに、冷たい目で見られて落ち込む勇人さんを心配して、何がいけないっていうんですか……!」
風邪菌が、泣いていた。
大粒のダイヤのような涙を、次から次へと零している。
「な、お前、猫が見えて」
戸惑う俺に、風邪菌がいう。
「ヒーローみたいでかっこよかったのに、なんで勇人さんが落ち込まなきゃならないんですか」
ヒーローみたいでかっこよかった? 俺が?
どくんと大きく脈打つ鼓動を無視するように、俺は誰に対してなのかわから無い言い訳をする。
「でも、あの猫に当たっても、何の害もなかったわけで。それが分かってたのに無視できなかった俺の自業自得というか」
誰を、何のために庇いたいのかも分からず、けれど、今まで確かに思ってきたことを、自分を責めるのに散々使い古してきた言葉を声に出して言う。
「そんなの、そこに確かに〝在る〟のに、見えないからって無いって決めつけて、嗤う方がおかしいんじゃないですか。それを可哀想だと思って、なにがいけないっていうんですかッ!」
頰を、平手で打たれたような気分だった。
言いたいことを言ってすっきりした様子の風邪菌は、俺の上に座ると今更のように、「あれ、この水滴は一体……?」と不思議そうに顔を手のひらで拭っている。
「ごめん」
そんな風邪菌に、俺は素直に謝った。
彼女は、勝負だなんだと言いながらも、いつもまっすぐで。
きっと今の発言も、俺を惚れさせるためなんかでは無い、嘘偽りの無いまっすぐな気持ちなんだろう。
だからこそ、俺の胸に届いた。
「それから、ありがとうな」
今まで、俺の他に色々なものが見えてしまうひとは居なかった。
だからこそ、自分の行動を認めて、褒めてくれるひとがいることが、こんなに満ち足りた気分になるなんて知らなかった。
「いえ、その。勇人さんが分かってくれたならいいんですけど」
それに、なんだか元気にもなったみたいだし。
ちいさく続けて、風邪菌は涙の跡もそのままに、ふにゃり、と笑った。
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