7-6

 久しぶりの悪夢祓い。

 夢ヶ咲さんは目の前のバグの群れを、巨大ハンマーで蹴散らしながらボクを振り返った。


「ダークッ! そっちに行ったわよ!」


 今回のバグは、テストの答案用紙。

 目をおおいたくなるような、かなりキツイ悪夢だ。

 涼し気な顔で巨大ハンマーを振りまわす夢ヶ咲さんは、ある意味本当に頼もしい。自分も似たり寄ったりだろうに。よく平気な顔をしていられると、心の底から恐れ入る。


 手足が生えた、オール0点の答案用紙の群れに囲まれ、心が折れそうになるボク。小学生の怖がるもの、ベスト3の内の一つ。夢を見ている本人には悪いけど、こんな点を取ったら、ボクでもきっと連日悪夢にうなされること間違いない。

 夢ヶ咲さんの振りおろす巨大ハンマーの下敷きになるも、つぶされることなく、すぐに起きあがる答案用紙。夢ヶ咲さん愛用のハンマーも、相手が紙では分が悪い。


「ボクに任せて!」


 指を振るった先に現れる、異世界ファンタジーの勇者様。

 鋼色の脛あてと籠手。兜はかぶっていない。肩あてに、赤いマントがなびいている。かなりの軽装。顔が『恋から始まるエトセトラ』の主人公なのはご愛敬。


 離れたところで答案用紙と戦っていた青沼さんの目がキラリと輝く。突然、『恋から始まるエトセトラ』のドラマの主題歌が流れ出す。青沼さん、ナイスチョイス。

 浅黄くんの口元も心なしか緩んでいる。川緑くんは少女マンガも冒険ファンタジーも全く興味がないらしい。見向きもしない。


「いけっ! 炎の魔法だ!」


 まるでゲームをプレイしているように、ボクは勇者様に向かって声をあげた。

 ボクの中の勇者像は、一見強そうではない。しかし、戦うと実は強い。ファンタジーの定石。このままだと、ありふれた三流ファンタジー小説だ。だからこそ、ボクはそのキャラクターにさらなる手をくわえよう。


 勇者様はジッと答案用紙を見据えたまま、握りしめた拳で、何度も何度も胸をトントンと叩いた。同時に、ブツブツと呪文のような言葉を呟く。そして、ボクの目の前で大きく手を振りかざし、グルッと頭の上でまわした。


「業火っ!」


 両手を前に思いっきりつき出す。それと同時に、頭の上に浮かびあがる吹き出し。


『マジックポイントが足りません』


 勇者様の手から飛び出したのはマッチほどの小さな火だった。しかも、答案用紙に届く前に燃え尽きてしまう。

 囲まれるボクと勇者様。まさに絶体絶命。


「何やっているの!」


 夢ヶ咲さんが振り返る。巨大ハンマーを投げ捨て、手にしたチャッカマンを振りまわしながら。


「『業火』の呪文の前に、『落ち着け』の呪文を使いすぎたんだ。この勇者様は気が小さいのがウイークポイントなんだ」

「そんな裏設定はいらないわっ! 強い勇者を出しなさい! 誰にも負けないような、無敵の勇者を!」

「断る!!」

「なぜ!?」


 目を丸める夢ヶ咲さん。

 これ以上ないくらいのタイミングの登場で、見た目は弱そうなのに実は最強の勇者が、周りの敵をバッサバッサと斬り捨てる。ありふれた内容。ありふれた展開。そんな話がどれだけ退屈か。


「弱点のない勇者が主人公の小説なんて、三流以下の何ものでもないからだよ!」

「この場に、ストーリー性は重要!?」


 今この場で、そんな反則的強さのキャラを出すのは、趣味とは言え、小説を書いているものとしてのプライドが許さない。けど、夢ヶ咲さんがアクションヒーロー好きなのは、周知の事実。あの手の話はベタな展開が多いから。ならば、ボクも折れよう。


「わかったよ。じゃぁ、これだ! 伝説の剣、エクスカリバー!」


 ボクが指さした先に、大きな音を立てて岩が盛りあがり、空から飛んできた一本の輝く剣が深々と突き刺さる。


「最強の剣を手にバグをやっつけるんだ!」


 ボクの声を合図に、勇者様はエクスカリバーの柄を両手で握りしめた。

 震える空気。うず巻く気流。ジリジリと後ずさりする答案用紙。はためく、勇者様の赤いマント。彼の髪の毛がブワッと逆立った。しかし……


「ぬっ……抜けない」


 はい!? そんなバカな?


 勇者様は歯を食いしばり、汗だくになり、時には無様な格好までして、必死に剣を岩から抜こうと試みる。けど、抜けない。何をやっても抜けない。しまいには、横から刃に蹴りを入れるも、うんともすんとも動かない。ボクも手を貸して、二人で呼吸を合わせて力を込める。


「ふん~ぬ!」


 ダメだ。抜けない。目の前に最強の剣があるのに、使えなければ宝の持ち腐れだ。

 ボクと勇者様を取り囲む答案用紙が、顔色を変えて詰め寄る。顔色が変わると言うか、何と言うか。答案用紙の名前を書く欄に、『今がチャンス』とか『ビックリさせるな!』という文字が浮かびあがっている。


「ははは……」


 笑ってもごまかせないのはわかってる。乾いた笑いを浮かべたまま、次の策を練る時間を稼ぐ。さて、これからどうしよう? そんなに待ってくれないよね?


「本当に、もうっ! ツメが甘すぎるわよ。気持ち悪くなるくらい! ウップ……」


 夢ヶ咲さんが口をおさえながら、ボクと勇者様の隣におり立つ。

 夢ヶ咲さんの甘いもの嫌いって、言葉ですらダメなの? 『ツメが甘い』とかも? 難儀な体質だ。

 夢ヶ咲さんは固い岩に突き刺さる剣の柄を片手でつかみ、グッと歯を食いしばる。ズッと小さく動く伝説の剣、エクスカリバー。


「伝説の剣の一本や二本で……この数のバグがどうにかなるなんて……そんなこと……」


 ゴゴゴゴゴゴ……


 鳴り響く地鳴り。大きく揺れる足元。オロオロと右往左往する答案用紙。そして、一気に姿を現す、神々しいまでの刀身。


「抜けた!」


 ボクが声をあげるやいなや、その刀身を思いっきり振りかぶる夢ヶ咲さん。


「みんな、伏せなさい!」


 面食らう答案用紙をよそに、条件反射で伏せるボク。勇者様のマントを思いっきり引っぱりながら。

 夢ヶ咲さんは、自分の声が消え入る前に、力いっぱいエクスカリバーを横一文字に振り抜いた。


 ズガガガガーン!!


 ビリビリと、轟音が耳をつんざく。頭を押さえるボク。肩からひっくり返って、手足をバタつかせる勇者様。


「あら? 伝説の剣って、本当に凄いのね?」


 エクスカリバーを片手に、あっけらかんと笑う夢ヶ咲さん。

 危なかった。出会ったばかりの頃の、何が起きてもぼう然としていたボクだったら、きっと上下真っ二つにされていたに違いない。目の前にヒラヒラと舞い落ちる、答案用紙の山のように。


 ボクは体を起こして辺りを見まわし、目を疑った。夢ヶ咲さんを真ん中に百八十度、ただの紙切れと化した答案用紙が果てしなく広がっている。

 悪夢祓い国家資格認定退夢師、夢ヶ咲紅子。彼女の辞書に『手加減』の文字はない。


「何だかんだ言いながらも、息ピッタリじゃねぇの、二人とも」


 エンジンの噴射口のような機械を背負った浅黄くんが、呆気に取られているボクの肩をポンッと叩く。


「今回はワタシが見つけましたよ。キー!」


 青沼さんは片手を高くあげながら、ピョンピョンと飛び跳ねた。ヒラッとヒラッと舞いあがる青色のプリーツスカート。

 白く小さな手ににぎられたUSBメモリを見て、川緑くんが悔しそうに舌打ちする。


「チェッ……ダークが悪夢祓い倶楽部に入ってから、一度もキーを見つけてないんだけど。全然いいとこなしじゃん」

「そんなことないよ」


 みんながボクを振り返る。


「デバッグ作業が一番なのは川緑くんなんだから、いいとこなしなんてことない。凄いと思う。格好はどうかと思うけど。ボクなんて、みんなの足を引っ張りながら戦っているだけだし」


 ボクを見て苦笑いを浮かべるヤギ、川緑くん。青沼さんは眉間にシワを寄せて、少し悲しそうな顔をする。


「ダークがそんなこと言ったら、ワタシだって同じですぅ」

「何、戦ってくれるヤツらがいるから、オレたちがプログラムを直せるんだ。十二分に助かってるよ」


 浅黄くんは豪快に笑った。


「では、先を急ぎましょうか」


 勇者様が赤いマントをバッとひるがえした。

 勇者様……? すっかり忘れていた。ボクは人差し指を振るって、ポカンと口をあけるみんなをよそに、一人スタスタと歩き始める勇者様の背中を指さした。

 ポンッと消える勇者様。ポリポリと頭をかくボク。


「ゴメン。次はレベルアップ勇者様を出すよ」

「また、勇者様かよ!?」


 三人同時の鋭いツッコミ。いや、勇者様にこだわっているわけじゃないけど、彼が一番いいとこなしで、可哀想じゃない?


 フフフッ……アハハハハ!


 お腹を抱えて、体をくの字に曲げる夢ヶ咲さん。小刻みに肩を揺らして、苦しそうに胸をおさえる。そして、目に浮かぶ涙を指先でぬぐった。


「あー、おかしい! 涙が出るほど笑ったのなんて初めてよ。さぁ、こんな悪夢、ちゃっちゃと片づけちゃいましょう。明日も学校だし、授業中に居眠りなんてされたら、悪夢祓い倶楽部のリーダーであるワタクシまで怒られてしまうわ!」

「どの口が言うんだよ!?」


 ビックリするくらいシンクロする、ボクたちの声。そして、誰からともなく笑い声があがった。


 今までは、みんなに引きずられるような形で悪夢祓いを手伝ってきた。わからないことだらけで手探りだったけど、嫌々ではなかったし、そこそこ楽しくもあった。けど、自分の中ではいつまでたっても、悪夢祓い倶楽部の正式部員になりきれなかった。

 今なら胸を張って言える。ボクは悪夢祓い倶楽部の一員だ。そして、このおかしな格好の集まりが、ボクの友だちだ……と。

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