7-5
ボクは、ただポカンと、病院の廊下を駆けていく浅黄くんの背中を見送った。
お母さんが太ってしまうことに気づいたのは、浅黄くんの姿がエレベーターの中に消えたあとだった。
小児科の入院病棟。
ボクは廊下に並んだ長椅子に腰をおろす。小さな子供たちの笑い声が聞こえてくる。
悪夢祓い国家資格認定退夢師、夢ヶ咲紅子。退夢師の国家資格を取るのに、どこまで心が強くならなければいけないんだろう。
真っ暗な目で、一言もしゃべらず、笑うこともない。そんな毎日を、夢ヶ咲さんは幼い頃から過ごしてきたんだ。どうしてそこまでできるんだろう。人の喜ぶ顔が見たいって? たったそれだけのことのために、自分の心を犠牲にできる人なんかいるのだろうか?
レインボーに怒られなければ、浅黄くんたちと悪夢祓い倶楽部を作らなければ、夢ヶ咲さんの心はもう、とっくに破裂していたのかもしれない。
「悪夢祓い倶楽部……か」
きっと、怖がることも、不安に思うこともなかったんだ。悪夢祓い倶楽部のみんながいる。夢ヶ咲さんがいる。ボクはどんなものにも惑わされることなく、みんなを信じていればいい。友だちなんだから。
よしっ、決めた。ボクは長椅子から跳ねおりた。
「悪夢祓い倶楽部に戻ろう」
「聞いたわよ!」
勢いよく振り返るボク。
「夢ヶ咲さん! いつからそこに?」
長椅子に腰をおろしたまま腕を組み、得意気に踏ん反りかえる夢ヶ咲さん。
「黒崎くんがイスに座って十秒後ってところかしら?」
まったく気づかなかった。だったら先に声をかけてくれればいいのに。夢ヶ咲さんも人が悪い。
ボクは呆気に取られて、ポカンとみっともなく口をあけた。夢ヶ咲さんは口に手を添えてクスクスと微笑む。
「取りあえず、座ったら?」
自分の横をポンポンと叩く。
「黒崎くんは、何で病院に? どこか悪いのかしら?」
何の曇りもない、キラキラと輝く瞳。
「妹が入院しているって、前に言ったよね? まさか、覚えていない……とか?」
ボクはいぶかし気な顔で、夢ヶ咲さんの顔をのぞき込む。夢ヶ咲さんは、徹してボクとは目を合わせずに、あからさまにオロオロしていた。
「そっ、そうね。覚えてるわっ! 当然よっ! 確か……風邪だったかしら?」
「風邪じゃないし!」
夢ヶ咲さんはきっと、三歩歩けば忘れる鳥に違いない。
「風邪は万病の元と言うじゃない! すべての病気は風邪に通ずる。風邪こそがすべての病気やケガの頂点よ!」
「すげぇな、風邪! いや、そんなわけあるかぁ!」
ギロッ……
看護師さんに睨まれた。ボクは慌ててソッポを向く。
クスクスクス……
夢ヶ咲さんが口元をおさえて笑う。こういう姿だけ見ていると、夢ヶ咲さんは本当にキレイだ。
「なっ……何、笑っているのさ?」
クスクスクスクス……
だんだんと恥ずかしくなってきた。夢ヶ咲さんがおかしなことを言わなければ、ボクが睨まれることなんてなかったのに。
「やっぱり、黒崎くんはそうでなくっちゃ!」
とても嬉しそうに笑い続ける。こんなにステキな笑顔の女の子が、昔はマネキンのようだったなんて信じられない。
夢ヶ咲さんは人の笑顔を守るために悪夢祓いをしている。ならばボクは、夢ヶ咲さんの笑顔を守るために悪夢祓いをしよう。
ボクのやるべきことは決まった。何だか心の中のモヤモヤが一気に晴れた気がする。そんなスッキリした顔のボクを、夢ヶ咲さんは真っ直ぐ見つめる。ボクの心の中までものぞき込むように。
「退夢師はある意味、とても危険な仕事よ。だから、もしもの時はお願いね?」
夢ヶ咲さんは顔をクシャッとゆがませて笑った。ボクは大きくうなずく。
「何が何でも、ボクが夢ヶ咲さんを守るから心配しないで。もしもの時って、そういうことでしょ?」
いつもだったら照れて言えないような言葉なのに、自然と口をついて出た。夢ヶ咲さんは茶化すことなく、機嫌よさそうに目を細めた。
「そうね。そういうことよ」
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