ステップ8 夢の儚さを知る

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 疲れてはいる。けど充実もしていた。勉強がおろそかになっているのはわかっていたけど、悪夢祓いに出かけるのを心待ちにしている自分がいた。不謹慎だけど。


 ボクたちは夕方の四時すぎまで部室に集まり、依頼人がやってくるまでは、ただ雑談の日々だった。こんなにも、友だちと一緒の時間をすごしたことはない。学校が楽しいと思ったのも、今が初めてかもしれない。


 それでも、真弓の病院には欠かさず行っていた。

 悪夢祓い倶楽部のみんなといるのが楽しいからと言って、真弓を一人ぼっちにすることなんてできない。ボクの大切な妹だから。


 コンコン……カラカラカラ。


 病室のドアが乾いた音を立てる。正面の大きな窓には、茜色の空が広がっていた。ドアを閉めて、カーテン越しに声をかける。


「真弓~、お兄ちゃんがきたよ~」


 しんと静まり返る病室。ボクは、オレンジ色に染まるカーテンをそっと引いた。

 あっ……寝てる。

 真弓は口元まで布団を引きあげ、小さな寝息を立てていた。ベッドの横の棚の上に、ノートが広げて置いてある。ボクが前に悪夢祓い倶楽部のみんなやバクを描いたページだ。

 ボクはそっとイスに座る。

 真弓の呼吸に合わせて、かすかに上下する布団。


「こんな時間から寝たら、夜眠れなくなっちゃうぞ~?」


 真弓の頭を優しくなでる。真弓は気持ちよさそうにボクの手の動きに身をまかせ、眠ったままニコッと微笑んだ。


「お兄ちゃん……ムニュムニュ……」


 あっ、寝言。もう、何なんだろう、この天使は?

 最近、いい夢を見るから、眠るのが楽しいとか言っていたっけ。いったい、どんな楽しい夢を見ているんだろう。お兄ちゃん、気になる。

 ボクは真弓の耳に、そっと顔を近づけた。そして、小さな声で真弓に呼びかける。


「お兄ちゃんがきましたよ~。真弓~、絵を描いてあげるから起きな~」


 コロンと寝返りをうって、布団にモゾモゾともぐり込もうとする真弓。ボクは真弓の顔が出るところまで、布団をはぐ。それでも、真弓は起きなかった。


「まぁ、起こすのも可哀想だし、寝かせておくか」


 毎日、会いにはきているけど、近ごろめっきり時間は少なくなった。晩御飯を食べなきゃいけないし、宿題もある。いられて、せいぜい一時間くらい。それでも真弓はイヤな顔一つしない。それどころか、いつも眠そうな顔をしているボクを心配してくれる。


 コンコン……


「真弓ちゃん、晩御飯の時間ですよ~」


 カーテンの向こうから看護師さんの声が聞こえた。


「真弓ちゃ~ん?」


 たれ目の、おっとりとした感じの看護師さんが、半分あけっ放しになっているカーテンから、ヒョコッと顔をのぞかせる。ここの入院病棟の担当看護師の、中条さん。ボクも何回か顔を合わせたことがある。ボクはペコッと頭をさげた。


「あらっ、お兄ちゃん、きていたの? 本当に仲良し兄妹ね。毎日毎日……真弓ちゃんは幸せ者だ」


 中条さんは目を細めて笑う。ボクは照れくさく、ポリポリと頭をかいた。


「真弓ちゃ~ん。ご飯ですよ~。大好きなお兄ちゃんもきているよ~」


 カーテンを片手で押しあけて、薄ピンク色の制服を見せる中条さん。スヤスヤ眠る真弓を布団ごしに軽く揺すった。


「真弓ちゃ~ん」


 中条さんの手にだんだんと力が入る。真弓はどれだけ揺すられても、まったく目覚める気配がなかった。

 中条さんの顔色が変わった。眠ったままの真弓の顔に近づいて、口元に耳を寄せる。そして、無言で真弓の布団をお腹の上まではいで、細い手を取る。


「真弓ちゃん? 真弓ちゃん、真弓ちゃん」


 決して声を荒げず、ただ少しだけ力強く真弓を呼び続ける。真弓は目をあけない。中条さんは真剣な目つきで、何度も何度も真弓を揺さぶり、ペチペチと軽く頬を叩いた。


「お兄ちゃん、待って~……」


 未だ幸せそうに眠る真弓が、のんきな寝言を口にする。どう見ても、ただ眠っているようにしか見えない。


「お兄ちゃん、ちょっと真弓ちゃんを見ていてくれる? すぐ戻るから」


 中条さんはそれだけを言い残すと、大きな音は立てず、疾風のように病室から飛び出して行った。たぶん、先生を呼びにいったんだと思う。

 ボクの顔からサーッと血の気が引く。そのままイスから転げ落ちそうになり、ガシッとベッドのパイプをつかんだ。

 考えたくはなかった。けど、イヤな予感だけがボクの頭をグルグルと廻った。


 真弓は悪夢を見ている。


 しかも、眠りから覚めない悪夢だなんて、そうとう深刻だ。

 落ち着け。落ち着くんだ。こんな時はどうする? 

 ボクは上着のポケットからスマホを取り出した。悪夢祓い倶楽部のみんななら、きっと何とかしてくれるに違いない。


 『助けて! 真弓が夢から目覚めない』


 ボクは退夢ラインをみんなに送る。三十秒と待たずに、みんなからメッセージが返ってきた。


 『妹ちゃんが? すぐ行く!』『病室どこ? 誰に聞けばわかる?』『待っていてください』『大丈夫よ!』


 ボクの気は急くばかりだった。『落ち着け』と何度も何度も自分に言い聞かせる。みんながすぐにきてくれる。夢ヶ咲さんがきてくれる。夢ヶ咲さんが『大丈夫』と言っているんだから、絶対に大丈夫だ。彼女はウソつかない。

 ボクはスマホを布団の上に置いて、眠り続ける真弓の手をキツく握る。


「先に入っちゃえよ」


 は? 何? 誰?


 ボクは体を起こしてキョロキョロと周りを見まわした。どこをどう見ても、たとえ逆立ちして見たって、ボクと真弓以外、誰もいない。

 病室内をウロウロと歩きまわる。カーテンの向こう側にもどこにも人の気配はない。


「何、ぐずぐずしているんだ? 妹が心配なんだろ?」


 誰かがボクの心を惑わせる。ボクは落ち着きなく、視線を泳がせる。


「や、だって、退夢師と一緒じゃないと夢に入れないし。バクがそれを許可しない……」

「バクはな。ヤツらは小者のくせにクソ真面目だから、融通がきかねぇんだ」


 誰なんだ? どこからこの声は聞こえてくるんだ? ボクたちのバクをバカにした上、融通がきかないだなんて……


「オイラが許す! 一刻も早く妹ちゃんを助けに行くぞ!」


 ボクたちのバク? あっ、まさか……

 ボクは布団の上のスマホを手に取る。そして、目をむいた。

 小さいシッポとお尻しか見たことがない、ボクの黒いバクが、初めてこっちを向いている。


「えっ? バク?」

「バクじゃない!」


 はっ? 何言っちゃってんの、この黒い子ブタは?


「オマエらみんな、寄ってたかってオイラをバクあつかいしやがって。オイラはアルプだ。バクなんかと一緒にするんじゃねぇ! この帽子が見えないのか?」


 スマホの画面の中で、アルプはヌゥッと頭を突き出す。真っ黒な頭のテッペンに、言われなければ気づかないほどの、小さな小さなムラサキのトンガリ帽子がのっていた。


「それが、何? アルプだか何だか知らないけど、法度違反は法度違反だろ? 夢ヶ咲さんがいないと催眠術が使えないし、白昼夢にもならない。眠って夢の中を移動しようにも、こんな状況で眠れるほどボクは図太くない。どうやって夢の中に入るのさ? 入れるものなら入って、早く真弓を助けたいよ!」


 ボクはスマホに口を寄せて、大声でがなり立てた。ボクのスマホにいるのが、バクだろうとアルプだろうと、そんなことどうでもいい。子ブタには違いない。

 アルプは短い手で両耳をおさえる……恰好をする。耳まで手が届いていない。


「ダー! ウルサイウルサイウルサイ! 言い訳、言い訳、言い訳と、煮え切らないヤツだ! オイラの力をナメるなよ? エイッ!」


 アルプが右手を顔の横で振った。その瞬間、ミクロのトンガリ帽子が激しく輝く。


「白昼夢!」


 小さく布団を上下させ、寝息を立てていた真弓の動きがピタッと止まる。

 アルプは短い手足をキレキレに動かし、可愛らしくポーズを決める。


「か~ら~の~……強制変身!」


 一瞬、スマホの画面に吸い込まれるような感覚に襲われた。目の前がグルグルとまわる。ブンブンと頭を振り何度も瞬きし、カッと見開いたボクの目に飛び込んできたのは、見あげるほどに大きくなった病室だった。

 違う。病室が大きくなったんじゃない。ボクが小さくなったんだ。

 ぼう然と自分の両手を見る。黒くツヤツヤした毛並みに、グレーのひづめ。


「…………バクだ」


 事態が飲み込めない。何でボクは、勝手に変身しているんだろう?


「アルプ! 飲み込みの悪いヤツだな。ほれっ、グズグズするな! 夢に入るぞ!」


 頭の中に響くアルプの声。ボクは言われるがまま、眠っている真弓向かって飛び上がった。

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