6-4
「そこっ! ウルサイ!」
ビュッ!
ほんの一瞬の出来事だった。小さい何かが、ボクの目の前をもの凄いスピードで横切り、青沼さんを追い詰めるスイマーズの額に命中した。
「グッ……誰だ!」
ひるむスイマーズの隙をついて、青沼さんは転がるようにその場から離れて身構える。スイマーズの足元に転がったもの。それは、白いチョークだった。
「さっきから聞いていれば、屁理屈ばかりベラベラ、ベラベラと……」
階段の上の方から声がする。
ボクの肩をつかんでいたスイマーズは、弾けるようにその場から飛びのいた。ボクは痛む肩をおさえながら振り返って、階段を見あげる。
カベも手すりも、蹴込み板すらない、踏み板だけが宙に浮く階段。その上の方から、ピョコンピョコンと飛びおりるように、階段をおりてくる……
「バク?」
背格好はみんなのバクと同じ。その色が……何と言うか……その……毒々しい。
「本当のことを教えるなんて言うから、何を話すのかと楽しみにしていたが、とんだ期待はずれだったよ。これは、明日までに反省文を十枚提出だな?」
「レインボー!」
青沼さんが喜び勇んで、階段へ向かって駆け出した。
レインボー? ああ、虹色だったのか。色が色だから、病気か、もしくは猛毒を吐き出すバクなのかと思ったよ。
レインボーは階段をおりた足で、真っ直ぐボクの前に立つ。そして、ボクの足をポンポンと叩いた。
「平気かい、ダーク? レッドから聞いているよ。凄い新人が悪夢祓い倶楽部に入ったって。しかしまだ、心がついていっていないようだな?」
ボクたちから距離を取って、様子をうかがっていたスイマーズの一人が動く。
「バクの分際で我らスイマーズに……」
「誰がしゃべっていいと言ったぁ! 教育的指導!」
ズガッ!
一瞬……ほんの一度の瞬きの向こう側で、袈裟懸けに斬りつけられるスイマーズ。一見やさしそうだったその顔は苦々しくゆがみ、体のいたる個所から煙が吹き出す。
「そ……んな……たった……一撃……で……」
「トライアングルアタック!」
今の今までボクの足元にいたはずのレインボーは、スイマーズを倒した先、十メートルほど離れた場所で、ポーズを決めていた。短い手に木製の大三角定規を持って。
スイマーズはみるみるうちに、鷲鼻でシッポの長い、ギョロッとした目つきの獣の姿になる。まるで物語の中に出てくる悪魔のようなその姿。
そして、そのまま膝からくずれ落ち、ゲームの敵キャラのように、チュンッと短い音を立てて消滅した。
「ブルー!」
遠くから聞こえる夢ヶ咲さんの声。
ボクは、振り返る青沼さんの視線の先を追った。目まぐるしく変わる景色の中、赤い姿がこっちへ近づいてくる。
眉間にシワを寄せて、口ひげをゆがめるスイマーズ。あきらかにうろたえている。
「クッ……どうやら分が悪いようですね。今日のところは引きますが、次に会う時は目にもの見せてさしあげましょう」
スイマーズは右手を高くあげて大きく円を描いた。するとその手に大きくひらいた傘が現れる。もう一方のあいた手で足元に向かって手をかざすと、傘を持ったスイマーズは高く高く浮かびあがった。
「反省文を忘れるなよぉ~!」
レインボーは段々と小さくなるスイマーズに、大きな声をあげた。
駆けつけてきた夢ヶ咲さんが、ボクの顔を見て嬉しそうに笑みをこぼす。
「ダークッ! 無事だったのね? ゴメンナサイ。スイマーズを倒すのに手間取ってしまって。よかった……本当に無事でよかった」
ボクの肩にそっと手を置いて、ホッと胸を撫でおろす。ボクは自分の胸に置いた手を、ギュッと握りしめた。自分で自分の心を握りつぶすかのように。
みんなの顔が真っ直ぐ見られない。
ボクは逃げ出したんだ。
戦っているみんなを見捨てて。
それだけじゃない。ボクはみんなを疑った。スイマーズにそそのかされて。いや、今でもまだ信じ切れていない。ボクはフッと下を向いて、みんなから目をそらした。
「この、アホちんが!」
スパーン!!
耳をつんざく大きな音に、ボクは肩を弾ませて、恐るおそる顔をあげた。そこには、頭をおさえて不思議そうに首をかしげる夢ヶ咲さんと、大きなハリセンで自分の肩をトントンと叩くレインボーがいた。
「百聞は一見に如かず。その考えは悪くない。が、毎度毎度、オマエは言葉が足りなすぎる。オマエは脳まで筋肉か? もう少し、国語も勉強しろ!」
青沼さんがレインボーの前にまわり込む。
「レッドを怒らないでください。ワタシが、ダークに上手く説明できなかったからこんなことに……」
「いいのよ! ……いいの」
青沼さんの肩をポンッとたたく夢ヶ咲さん。目に一杯の涙をためて、青沼さんはブンブンと強く首を振った。青沼さんの目から飛び散った涙が足元に落ちる。それと同時に、今までスライドショーのようにクルクルと変わっていた景色がパッと消えた。
「どうやら、向こうも片づいたようね!」
夢ヶ咲さんはガシッと腕を組む。
怒られても、怒鳴りつけられても、夢ヶ咲さんはいつも平然としている。
「おーい! プログラムの書き換え終わったぞー!」
浅黄くんと川緑くんが駆けてくる。
ボクはジリジリと後ずさった。
行動プログラムを書き換えるプログラマ浅黄くんと、その動作確認をするデバッガ川緑くん。スイマーズがどこまで本当のことを言ったのかはわからない。全部ウソだったかもしれないし、大事な何かを隠していたかもしれない。けど、この二人が人の未来を握っていることに間違いはない。
「行動プログラムのデバッグは骨が折れるよ。下手なプログラムを見逃がして、夢の中どころか、現実の世界までバグが発生したら大事だし」
川緑くんは肩をもんで、パキパキと首をならした。浅黄くんは片方のまゆ毛をピクリとあげて、川緑くんを睨みつける。
「あぁ? オレはそんな変なプログラムを組んだ覚えはないぞ? おわっ、レインボー! 何でここに?」
足元でウロウロしているレインボーに気づいた浅黄くんは、その場から大きく飛びのいた。レインボーは肩をすくめて浅黄くんと川緑くんを交互に見た。
「オマエたちは、もう少し仲よくできないのか? プログラマとデバッガが水と油だなんて、聞いたことがない。それでよく今まで無事に……」
レインボーのお小言が続く。自分の膝より小さい奇妙な動物にしかられて、シュンとうなだれるパワードスーツ浅黄くんとカバの着ぐるみ川緑くん。
みんなが気づかないのをいいことに、ボクの足は階段をのぼり始めていた。
とにかく今は、この場から逃げ出したかった。心の整理がつかない。
みんなは何で笑っていられるんだろう? それはきっと、管理される側じゃなくて、管理する側にいるからなのかもしれない。
階段の下の方でみんなの笑い声が聞こえる、
みんな、ゴメン。先にあやまっておくよ。黙って帰るボクを許して。
「待ちなさい」
ボクはピタッと足を止めた。恐るおそる階段の下を振り返る。レインボーを先頭に、みんながボクの背中を見あげていた。レインボーは短い手をバッと横に振る。
「今、君の心は、食べすぎで満腹だ」
食べすぎ? 満腹? 疑問は浮かべど、ツッコむ気力は沸いてこない。
みんながボクを見ている。ボクはフッと視線をそらした。誰からも、一言も、ボクを責める声はあがらない。返ってそれが、ボクの心をさらに締めつけた。
おかしなことだらけだったけど、みんなと悪夢祓いをしている時は楽しかった。こんな風に、クラスメイトと一緒に何かをすることなんて、本当に久しぶりだったから。
夢ヶ咲さんがボケて、ボクがツッコんで。浅黄くんはそれを見て笑い、川緑くんは悪態をつく。色々なことを教えてくれた青沼さん。『目立たず、飛び出さず、ひっそりと』暮らしてきたボクと違って、変わり者とまで言われそうなくらいの個性に胸を張るみんな。ボクはみんなのようになりたかったのかもしれない。
そんなみんなが、人の未来を自由に変えることができるなんて、今でも信じられない。
スイマーズがサキちゃんの何に目をつけて、どんなプログラムを壊したのかはわからない。そして、浅黄くんと川緑くんが、どうプログラムを直したのかもわからない。けど、それによって、サキちゃんの未来が変わると言うのなら、第三者に操られて生活しているサキちゃんは、それでも幸せなのだろうか?
ボクも、ほかの人も、お父さんやお母さん、真弓の未来だってプログラムされている。それを知ってしまったボクは、みんなの前で笑っていられる自信がなかった。
「急ぐことはない。もう一度自分と、みんなと向き合ってみるといい。その時、君の心が感じたことが、きっと正解だ」
レインボーはつぶらな瞳で真っ直ぐボクを見あげた。レインボーに心の中を見透かされている気がして、ボクは苦虫をかみつぶしたように、顔をゆがめてうつむいた。
「別に、ダーク一人いなくても、悪夢祓いには何の支障もないし」
「気にすんな。ブルーやグリーンだって、最初はそんなもんだ」
「ワタシがもっと早くダークを助けに行けたら、怖い思いをさせなくてすんだのに」
みんなは、こんなボクにも優しい。けど今はまだ、ボクの気持ちが追いつかない。
「ダーク!」
ボクはバッと顔をあげる。ボクの視線の向こうで、夢ヶ咲さんは一点の曇りもない真っ直ぐな目を向けている。
「ワタクシを信じなさい!」
ボクの胸に、ドーンと大きな衝撃となって届く夢ヶ咲さんの声。彼女の言葉は、どうしてこんなにも心を揺さぶるのだろう。
ボクは黙ったまま、
一瞬、ボクをデジャヴが襲う。
このボクの行動もまた、プログラムされたものなんだ。ボクの心は、あまりにもたくさんの感情に押しつぶされそうだった。
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