6-3

「ダーク! どうしたの?」


 うしろの方で、夢ヶ咲さんの叫ぶ声が聞こえる。けど、ボクは振り返らなかった。


 悪夢祓い国家資格認定退夢師、夢ヶ咲紅子。夢の管理人。人間の管理人。


 とにかく今は、悪夢祓いに不信感がつのって、戦う気になれなかった。

 いや違う。そんなのは言いわけだ。

 ただ、怖かった。心の底から怖かった。

 プログラムで管理された夢。プログラムで管理された未来。

 そこから外れることが悪夢だと言うのなら、ボクたちは一体何なんだろう?

 楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、辛いことも、全部プログラムだと言うのなら、人間って一体何なんだろう?


 ボクらの意志はどこにある? ボクらの自由はどこにある?

 スイマーズがプログラムを破壊すると言うのなら、ボクにとってはそっちの方が正義に思えてくる。

 退夢師は本当に正しいのだろうか?

 ボクは何を信じればいいのだろう?


 目の前に表層ドリームへ続く階段がある。これを登れば教室の夢に戻れる。あとは現実世界に帰るだけだ。

 階段を登ろうと、迷うことなく一歩足を踏み出す。それなのに、ボクは前へ進むことができなかった。必至に足を動かす。まったく階段が近づかない。


「そう焦らずに。もう少し、ゆっくりしていきませんか?」


 振り返った先にいたのは、ボクのマントを片手で軽々と引くスイマーズだった。スイマーズはボクの瞳の奥をジッと見つめ、ニヤリと笑う。


「フム……不信と不安が入り混じった、とてもいい目をしている。どうやら君は、見込みがありそうだ。どうでしょう? 本当のことを知りたくはないですか?」

「本当の……こと?」


 ボクの足は、はたと止まった。


「そう。先ほどの話だと、どうやら新人くんはまだ、退夢師のことを詳しく知らないようですからね。老婆心ながらワタシが教えて差しあげますよ?」


 スイマーズは腰を深く折り、ボクの顔をのぞき込む。片眼鏡からぶらさがる銀の鎖がフラッと揺れた。ボクはいぶかし気にスイマーズの顔色をうかがった。一見、英国紳士風で物腰もやわらか……に見える。


 願ってもないことだと、一瞬心が揺らぎもした。けど、いくらボクが悪夢祓いに不信感を持ったからといって、すぐに手の平を返すようなマネはできない。

 今は、少し考える時間がほしいだけだ。

 ボクはスイマーズから視線をそらさず、ジリジリと後ずさりした。スイマーズは意外そうに目を丸くする。


「おや? いいのですか? 君は、未来を自分で選択したいタイプだとお見受けしたのですが。そうですか……それは、とても残念……」

「待って!」


 スイマーズのまいたエサに、見事に食いついてしまったという自覚はあった。けど、知りたかった。退夢師が何をやろうとしているのか。そして、プログラムで管理されたボクは、本当に人間なのか。


「よろしい。どうやら君はタイマーズの連中とはだいぶ毛色がちがうようだ。平穏な未来を大儀名分に、人間をプログラムで管理する退夢師の連中とはね」


 スイマーズはボクを見て、満足そうに大きくうなずいた。


「そもそも、悪夢は本当に祓う必要があると思いますか?」


 言っていることの意味がわからない。誰だって好き好んで、悪夢なんて見たくはない。


「光がなければ闇も存在しない。逆もまたしかり。悪夢がなければ、いい夢もあり得ない。退夢師の連中は、そんな人の世の理を、捻じ曲げようとしているのですよ」


 ボクは気持ちうつむき、ゴクッとツバを飲み込んだ。手が小刻みに震えてくる。静かに目を閉じて、一言一句もらさないよう、スイマーズの言葉に耳をかたむけた。


「退夢師と言えど、ただの人間です。欲にかられることもある。そんな一介の人間ごときが、人間の未来を管理する? それは、とても恐ろしいことだとは思いませんか? だから我々は、そんなシステムごとプログラムを破壊しているのです」

「ダマされちゃダメです!」


 ボクはハッと顔をあげた。

 もう一人のスイマーズと戦いながら、青沼さんがボクに呼びかける。

 鈍色のステッキを、青沼さんに振りおろすスイマーズ。青沼さんはヒラヒラのフリルで飾られた傘を広げ、それを受け止めた。


「スイマーズの言葉は人の心を惑わします! 耳を貸しちゃダメです! 退夢師を……レッドを信じて! キャッ!」


 スイマーズは傘を蹴りあげて、ステッキの先を青沼さんの喉元に突きつけた。

 頭で考える前に、ボクの足は駆けていた。

 首を上にそらし、身動きが取れない青沼さんを助けようと。


「青沼さん!」

「おーっと」


 肩がはずれてしまいそうなほどの力で、スイマーズに引き寄せられ、大きな手で口をふさがれる。そして、スイマーズはボクの耳元で囁く。


「黙って見ていましょう。これが、君の知りたかった本当のことですから」


 青沼さんを追い詰めたスイマーズは、ニヤニヤと笑いながら、彼女に顔を近づけた。


「人間は欲深い。百人いれば、百人が幸せになろうとする。不幸がない世の中? 片腹痛い。誰かが不幸であるからこそ、人間は幸せを感じるのです。さぁ、青いお嬢さん。他人の幸せのために、アナタが不幸になりますか?」


 細い首にヒタヒタとふれるステッキの先。瞳にうっすらと涙を浮かべて、唇をかみしめる青沼さん。ボクは必至に体をよじった。ビクともしない。体に巻きつく縄のように、ボクの体をがんじがらめにするスイマーズ。


「オヤスミ、青いお嬢さん」

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