5-3

 ガバッ!


 跳ね起きる夢ヶ咲さん。

 ボクの頭の中で繰り広げられた『夢ヶ咲紅子vs尼寺先生、緊急生放送』は突然の終わりを告げた。

 ひどく眠たそうな目を糸のように細め、キョロキョロと辺りを見まわす。


「誰?」

「オレだ!」


 夢ヶ咲さんの目の前でガッチリ腕を組んで、まゆ毛をつりあげる尼寺先生。夢ヶ咲さんはそれでもなお、せわしなく首を動かし続ける。尼寺先生の姿などまるで見えていないかのように。


 ガタン!


「呼んで……いる?」


 机に両手をついて立ちあがる。尼寺先生は目を丸くして体を引いた。夢ヶ咲さんの焦点は尼寺先生の向こう側、どこか遠くを見つめている。クラスのみんなは不思議そうな顔で、夢ヶ咲さんに注目した。


「起きたなら、授業を続けるぞ。夢ヶ咲も座って……」

「誰なの?」

「だから、呼んだのはオレだ!」

「違う……呼んでいるんじゃない? これは……」


 夢ヶ咲さんの顔色が変わる。尼寺先生は大きなため息をついて肩をすくめた。


「ヤレヤレ……寝ぼけるのもいい加減に……」


 パチンッ!


 高々とあげた右手で指を鳴らす夢ヶ咲さん。

 それと同時に、クラスのみんなの動きがピタッと止まる。

 瞬きはしているから、どうやら時を止めたわけではなさそうだ。そもそもこの十一年間、時を止めるような力を持っている人に出会ったことはない。


「行くわよ!」


 夢ヶ咲さんはキレキレの動きで、机の中からスマホを取り出した。スマホを細かく操作し、大きく流れるように両腕を振って、胸の前でスマホを突き出す。遅れることなく、それに続く悪夢祓い倶楽部の三人。

 ボクは何事かと首をかしげる。


「変身!」


 ピカッ!


 目がくらむほどの強い光を放つ四人。ボクは腕で目をおおう。あっと言う間に光はおさまり、元の教室の静けさに戻っていた。尼寺先生もクラスメイトも、未だ止まったまま。ただ、もの凄い違和感がビシビシと伝わってくる。

 今、変身って言ったよね? 何に? 退夢師って変身もできるの? 聞いていないんだけど。


「ダーク! アナタも早く変身よ!」


 足元から聞こえる夢ヶ咲さんの声に、ふと視線を落としたボクは、ビックリして飛びあがった。


「子……ブタ? じゃなくて、バクだ!」


 バレーボールくらいの大きさで、ピンク色のミニブタのようなバクが、足元でボクを見あげていた。ボクは土下座するような格好で、ピンク色のバクに顔を近づける。

 二本足で立つ、ズングリムックリな二頭身の丸い体に、極端に短い手足。葉っぱのような形の小柄な耳。ブタよりも小さいけれど、形はブタのそれと同じ鼻。キラキラ輝くつぶらな瞳。お尻には短いシッポが、クルッと一回転していた。


「まさか……もしかして……夢ヶ咲さん?」

「レッドよ!」


 短い手をくびれていない腰にあてて、ふんぞり返る夢ヶ咲さん。レッドと呼ぶことを強要するということは、今が悪夢祓いの最中であることを意味する。

 悪夢祓いの最中? 一時限目の学校で? 誰かが悪夢を見ているの?


「何、ノンビリしているんだよ?」


 クリーム色のバクがボクの足をチョンチョンッと突っついた。浅黄くんの声だ。

 ってことは……


「この姿、好きなんだよなぁ。図鑑には載っていないんだけど」

「ワタシはちょっと……ラブコメに出てくるようなキャラじゃないですから」


 水色と薄グリーンのバクが、小走りで駆け寄ってくる。青沼さんと川緑くんだ。

 ボクの足元で四人……いや四匹がかたまり、キラキラしたつぶらな瞳でボクを見あげて小首をかしげる。


 か……可愛い!


 ボクは目を細めてニヤニヤと口元をゆるめながら、床にほおづえをついて四匹を眺めていた。そんなボクの鼻をポキュッと蹴りあげる浅黄くん。


 イタッ!


「ダーク! 早く変身しろって!」


 そんなこと言われても、変身ってどうやればいいのさ? そもそも、何のために変身するのかもわからないし。

 机の脚に寄りかかり腕を組む川緑くんが、めんどうくさそうな顔で、ヒクヒクと鼻を上下させた。人間がやっていれば生意気なその態度も、バクの姿じゃかたなしだ。腕が短すぎて、まったく組めていないし。


「スマホのバクを2タップ、上上右右左右下上にスライドして、バクの周りに円を時計まわりで一周、反時計まわりで一周、バクを2タップだ」


 えっ? 何だって? 上上で下? 右? ゴメン。もう一度、言って?

 机の横にかけた、手さげ袋の中から取り出したスマホと、川緑くんをオロオロしながら代りばんこに見る。


「ウソですよ。時計まわり反時計まわりで円を描いて2タップだけです」


 青沼さんが川緑くんをジトッとした目で見る。川緑くんはキャッキャと笑いながら転げまわった。

 ムカッ!

 底意地が悪いな。最初の頃は、さわやか優等生だと思っていたのに、どんどん性格が悪くなっていく。こういうタイプはムキになって言い返すより、相手にしない方がよかったりもするんだ。

 ボクは苦笑いを浮かべながら、スマホの上で指を動かす。


 ポンッ!


 真っ白な煙が立ち込め、ボクの姿が変わる。強い光も出なかった。

 どうなっているの、これ? 何か、ボクだけあつかいがぞんざいじゃない?


 マジマジと、自分の体を食い入るように見る。黒い手足と丸いお腹。この鼻は、下を見るのにはかなり邪魔だな。カガミがないからどんな姿になったのかはわからないけど、みんなと同じミニブタのような姿に違いな……ん?

 視界がおかしい。みんなの頭の位置がボクの目線よりもだいぶ下にある。頭一つ分くらいだけど。


「デカいな」

「大きいですね」

「何? 新種?」


 まるで、珍獣を見るように、物珍しそうにボクを取り囲む三匹。夢ヶ咲さんは飛び出るくらい目をむいて、いぶかしげな顔でボクをジッと見つめていた。そして、ボクの視線に気づくと、フッと顔をそらす。


「まぁ、いいわ! 先を急ぎましょう!」


 一人……いや一匹、真っ先に教室の外へ駆け出す夢ヶ咲さん。続く三匹。


「ちょ、ちょっと待って! みんなは? 先生は? 授業はどうするの?」


 みんなのあとを追いかけながら教室を振り返ったボクは、この時初めてさっきまでの違和感に気づく。


「何で……?」


 いつの間にか、クラスのみんなは当たり前のように授業を受けていた。尼寺先生は手を腰にあて、眉をつりあげて怒っている。夢ヶ咲さん……に? 夢ヶ咲さんじゃない。似て非なるもの。いや、似ても似つかない。

 口の両端から下に向かって線がある。口だけが動くように作られた雑な腹話術人形。夢ヶ咲さんっぽい髪型はしているけど、あまりにも適当すぎる。


「何? アレ?」


 ボクは慌ててほかの三人の席を見た。青沼さんの席には、下手な少女マンガの女の子の絵。当然、ペラペラ。青沼さんっぽくはあるけど、顔の半分が目。浅黄くんの席には、巨大ロボットアニメに出てきそうな、カッコいいロボット。人間サイズ。川緑くんの席に乗っかるように座る、オランウータン。語源は森の人。


「ちょっと! みんな! アレ、何? 何で変なのがみんなの席に座っているのさ?」


 教室の引き戸から顔をのぞかせて、今にも走り去ろうとしているみんなを呼び止める。夢ヶ咲さんが呆れた顔で振り返る。


「ダーク……アナタ、人の顔は正確に思い出せないって、ブルーに聞いたのよね?」

「えっ、うん」

「つまり、そういうことよ!」

「意味不明です!」


 あいた口がふさがらない。説明下手にもほどがある。説明する気がさらさら感じられない。

 川緑くんが教室の中をヒョコッとのぞきこむ。浅黄くんが口のはしをあげてニヤリと笑った。


「思い浮かべることができないなら、思い浮かべられるもので代用するのがスジでしょ?」

「オレたちのダミーにしては上出来じゃね?」


 ダミーって、ホンモノに似せて作られたものじゃないの? あんなにいい加減なダミーで、クラスのみんなは不思議に思うでしょ?

 青沼さんはクスクスと笑ってボクの手を引いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る