ステップ4 夢の不思議さを知る
4-1
ボクは走った。この世に生を受けて十一年。こんなに走った記憶はないくらい。
大通りを一人逃げまわって、結局巨大アリに追いつかれる。
背には街路樹。逃げ道はない。絶体絶命。万事休す。ボクは覚悟した。
後方二回宙返り一回ひねり……ムーンサルト。
車の一台も通っていない、大通り三車線の道路わき。
雲一つない青空をバックに、大きく宙を舞う夢ヶ咲さんを見あげ、ボクは不覚にも『キレイだ』なんて思ってしまった。
そして、今に至る。
考えに考え、約四十時間分の記憶を掘り起こしてなお、何でボクがこんなことになっているのか、さっぱりわからない。
わかっているのは、目の前のアリを何とかしなければいけないということだけだ。
巨大アリから守る様にボクの前に立ち、振り下ろされたアリの太い足を片手に、夢ヶ咲さんはフッと笑う。
「ダーク! 考えなさい! 想像するの! ここは夢の中よ!」
あっ、そうか! 『考える』、『考えて戦う』って、そういうことだったのか!
だからみんな、いきなり殺虫剤を出したり、ドラム缶くらいある巨大ハンマーを振りまわしたりできたんだ。
ボクは目を閉じる。
弱点……アリの弱点って何だ? 好きなものならわかるぞ。甘いものだ。甘いものには自分から寄っていくから、甘いものに殺虫剤をまぜれば……
甘いもの……甘いもの……
今まで色々な絵を描いてきた。風景や人、オモチャや食べ物。マンガなんかも。
真弓に描いてやると凄く喜ぶから。
甘いものなんか簡単だ。
「よしっ! これならどうだ!」
カッと目をあけて、アリの横を指さす。その瞬間、ポンッと……本当にポンッと突然現れる、ドラム缶ほどの大きさの、殺虫スプレー……型ケーキ。
スポンジケーキを生クリームでデコレートした本体。噴出口はチョコレートと棒キャンディ。その先からドロリとしたたり落ちる大量のハチミツ。隠し味に殺虫剤。
辺りに、甘ったるい香りが立ち込める。
まるで吸い寄せられるように、殺虫スプレー型ケーキに猛突進する巨大アリ。そして、一気におおいかぶさったかと思うと、ピタッと動きを止め、ポロポロと崩れ落ちる。そしてついには、ただの小さなアリの群れになった。
生クリーム&チョコのハチミツがけケーキが真っ黒に染まるくらい、ビッシリ隙間なくたかるアリ。そしてアリの群れは、ゲームの敵キャラのように、チュンッ、チュンッと小さな音を立てて次々と消えていく。
「ダーク、さすがね! これは、相当ベタ甘よ! ウップ……ワタクシ、実は甘いもの苦手なの……ううっ……」
鼻筋にシワをよせ、真っ青になって両手で口をおおう夢ヶ咲さん。とても気持ち悪そうに体をくの字に曲げ、その場にへたり込んだ。
「そこまでキライなのかよ!?」
ん? この表情は、どこかで見たぞ? そうだ!
まさか、アーケード街に入った時に『におう』って言ったのって、ただ単に甘いにおいがイヤだっただけ? 悪夢のにおいを感じ取ったんじゃなくて?
『凄い』って、驚いていたボクがバカみたい。
「これでやっと悪夢祓いは終わり? ボクは帰れるの?」
「まだよっ! ウップ……」
フラフラになる夢ヶ咲さんに肩を貸して、きた道をゆっくり歩き始めるボク。全力で走ったせいで、ボクだってもうヘロヘロだ。
歩きながら、ボクは広げた右手のスナップをきかせて、ヒュッとアスファルトを指さす。ポンッと現れる柴犬。柴犬は嬉しそうに、ボクと夢ヶ咲さんの周りをグルグル走りまわる。そして、キュッと拳を握りしめると、影も形もなく柴犬が消える。
お、面白~い! 魔法みたい!
ボクは連続して指先を振った。
ヤカン、ボールペン、スニーカーがアスファルトに転がる。ボクはそれをジーッと眺め、ふと首を傾げた。
「ねぇ……これって、みんなできるの?」
「想像力と表現力の大きさで、個人差はあるわ。考えられるものなら何でもありよ」
「何でもありかよ!?」
「そんなわけ、ないじゃない!」
「どっちだよ!」
ああ、いつもの夢ヶ咲さんだ。顔色も、さっきよりだいぶいい。
「悪夢は出せないわ。どう説明すればいいかしら……たとえば、巨大ゴキブリを出そうとしても、京子ちゃんには悪夢になるから無理ね。バクが許可しないの。退夢師に取って、人の夢を壊すことは御法度よ!」
なるほど。夢ヶ咲さんらしからぬ、よくわかる説明だ。例えに巨大ゴキブリを出さなくてもいいと思うけど。想像しちゃったよ。
要するに、退夢師は悪夢祓いが仕事だから、悪夢を生み出したら退夢師失格ってことね?
ん? バクが許可しない? バグじゃなくて、今度はバク?
「バクって、悪夢を食べてくれるっていう伝説の動物だよね? どこにいるのさ?」
キョロキョロと辺りを見まわす。
道路に街路樹、青い空と立ち並んだ店。動物らしき姿はどこにもない。
「スマホを見てごらんなさい?」
そう言えば、みんながボクの夢に突撃してきた時、タマゴから変なものがかえっていたような気が……ブタみたいな。
朝起きた時、悪夢にうなされた感がひどくて、すっかり忘れていた。どこに置いたっけ? そうそう、本棚だ。そんなの、持ってきているわけないじゃないか。
「頭が固いわね。想像するのよ」
あっ、そうか。ボクは左の手の平に向かって、右手でヒュッと指をさした。
手の平に、ポンッと現れるスマートフォン。えっと……電源はどうやれば……
「タップすれば入るわよ」
あぁ、そうですか。それでは……電源オン!
「これが、バク?」
ディスプレイに映し出される変な黒い塊。
クルッと一回転した小さな紐みたいなものが真ん中に見える。それが、右上に左上にピョコッ、ピョコッと小さく動いていた。
「そうよ! あら、お尻しか見えないじゃない。ダークのバクは恥ずかしがりやなのかしら?」
ボクのスマホをのぞき込み、ディスプレイに映し出されたバクのお尻を、ツンツンと突っつく夢ヶ咲さん。
「ああ、これお尻だったのか? で、このバクが、ボクたちの夢の中の行動を見張っている……と?」
「当たらずとも、全く違うわ!」
「遠からずじゃないの?」
「説明すると長くなるのよ」
しれっとした顔で腰に手をあてる夢ヶ咲さん。
ああ、わかりました。こうなったら話が通じないのは、もう学習しました。あとで誰かに聞いてみればいいや。
ボクはスマホをパジャマのポケットにしまう。そして、夢ヶ咲さんに……
あれ? 何かがポケットに……
そういえば、巨大アリから逃げている時に、ポケットにねじ込んだっけ。
ボクは拾ったUSBメモリを取り出す。
「それがキーよ!」
夢ヶ咲さんがボクの手をビシッと指さす。ビクッと大きく肩をはずませるボク。
「キーって? 見つけたら連絡しろって言っていた? これが? ただの、USBメモリにしか見えないけど」
ボクは指先でUSBメモリをつまんで、目の前に近づけた。どう見ても、斜めに見ても、多分逆立ちしてみても、USBメモリでしかない。
「バク子、退夢ライン! ダークがキーを発見! 全員集合せよ!」
夢ヶ咲さんがスマホに向かって叫ぶ。同時に、ボクのポケットから着信音が鳴った。ポケットから取り出したスマホに、夢ヶ咲さんの言葉が表示されていた。
バク子って、夢ヶ咲さんのバクの名前?
ボクも名前をつけてやろうかな? 『
ブロロロロ……ガロン! ガロン!
逃げまわっている間、一台の車も見かけなかった道路に、いかついバイクが颯爽と走ってくる。乗っていたのは浅黄くんだった。浅黄くんはバイクのスタンドを立て、ヘルメットを脱ぐ。
「マジか? ダークがキーを見つけたって? スゲーじゃん!」
チリンチリン、チリン。
今度はサラサラの髪のイケメンが、自転車に乗って近づいてきた。そのうしろで、イケメンの腰に手をまわす青沼さん。
イケメンは、ボクらの前で青沼さんを自転車からおろすと、さわやかな風をまとい走り去る。
一言、言わせてもらっていいかな? 何これ、どこの少女漫画?
「ヘェ~、凄いですね。キーを見つけた上に、アリもやっつけたなんて。ワタシが初めて夢に入った時は、物陰に隠れて泣いていただけなのに」
青沼さんは気持ち腰を曲げて、ボクの顔を上目づかいで見る。
か、可愛いぞ?
パカロッ、パカロッ、パカロッ、パカロッ、ヒヒーン!
ブルルルル……カツ、カツ、カツ……
道路の真ん中を走ってきた黒いサラブレットが、ボクらの目の前で前足を高くあげた。そして、鼻を鳴らして小さく足を前後させ、ボクたちの周りをユックリ歩く。
黒いサラブレットから飛びおりる、シロクマ。
こんなシュールな光景を見たことは、生まれてこの方一度もない。
絶対にツッコまないからな! 触れるとキケンだから。
「チェッ、今回はボクがキーを見つけようと思っていたのに」
口をとがらせて、ジトーッとボクを見る川緑くん。
川緑くんは先のシロクマの一件で、おかんむりのままですか?
優等生に見えて、意外と根に持つタイプなんですね? まぁ、格好からは優等生の『ゆ』の字も見られないんだけど。
夢ヶ咲さんはボクが持つUSBメモリをヒョイっと取りあげると、頭の上に目いっぱい振りあげた。そして、足元に向かって、それを思いっきり振りおろす。
カチッ……
まるで、そこに端子があるかのように、深々とアスファルトに突き刺さるUSBメモリ。その瞬間、目の前に木製の扉が現れる。
「それじゃぁ、いくわよ!」
「いや、どこに!?」
ボクの言葉を完全にスルーした四人が、次々と扉の向こうへ消えていく。
ちょっ、待って! 説明は? なし? あっ、置いていかないで!
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