1-3

 小学校の放課後は、教室から生徒がいなくなるのが早い。

 宿題があるからなんてご大層な理由じゃなく、ただ単に、みんな遊ぶ時間が惜しいだけだった。

 言わずもがな、ボクだって予定がなければ早く帰りたい。真弓のお見舞いに行かないと。


 夢の話なんて、ちょちょっと休み時間にでも教えてくれれば十分だった。改まって放課後にするような、深刻な話でもないだろうに。


 ボクは誰もいなくなった教室の窓から外を眺める。

 隣の校舎の窓ごしに、先生が廊下を歩いているのが見える。昇降口から走り去る、赤や黄色、カラフルなランドセルがちらほら。その先の校庭では、野球やサッカーをしている子たち。ランドセルを木の下に放り投げて、元気に走りまわっている子たちもいる。


 真弓も早く学校へ通えるようになればいいのに。


 妹の真弓は小学校二年生。

 転校してきてからは、まだ一度も学校へ通えていない。前の学校にも数えるほどしか行けなかった。

 たとえ行けても、体育の授業は全部見学。休み時間だって、友だちと走りまわれない。それでも、学校へ行ける日の前日は、興奮して眠れないほど喜んでいた。


 一年の半分は入院している真弓がどんな病気なのか、ボクは知らない。お父さんもお母さんも、ボクには教えてくれない。

 でも、それでいい。ボクにできるのは、学校のこととか勉強のこと、その日にあった面白いことなんかを、真弓にいっぱいいっぱい話してやることくらいだから。


 あっ、そうだ!

 悪夢祓いの話もしてやろう! 真弓も悪夢を見るかもしれないし。

 それにしても、夢ヶ咲さん遅いな。あまり遅くなると、真弓の面会時間が終わっちゃうんだけど。


 ガラッ、バンッ!!


「待たせたわね!」


 トンデモナイ勢いで引き戸をあけて、夢ヶ咲さんが教室に入ってくる。

 黙ってすましていれば可愛いのに、このテンションの高さはいったいどこからやってくるんだろう? もしかして、このテンションを維持するために、朝っぱらから寝ているのかも。


 ズカズカと教室へ入ってくる夢ヶ咲さんに続く、三人のクラスメイトの姿。それは、階段下で夢ヶ咲さんと話をしていた三人だった。


「あの……いったい……何ごと?」


 威風堂々とした四人に怖気づいて、ボクは肩をすくめて逃げるように教室の奥へ後ずさる。夢ヶ咲さんをのぞく三人は、無言で教室の前の方の席にバラバラに腰をおろした。


「ようこそ、悪夢祓い倶楽部へ!」


 教壇の前で、両腕を広げる夢ヶ咲さん。三人の大小の拍手が夢ヶ咲さんの声を追いかける。青沼さんは全力で、川緑くんは規則正しくリズミカルに、浅黄くんは面倒くさそうに。


 何? 悪夢祓い……倶楽部? この四人が?

 退夢師って、夢ヶ咲さんだけじゃなかったの?


「取りあえず座ったら?」


 教室の奥でオドオドしているボクに向かって、ニッコリと微笑む夢ヶ咲さん。ボクは眉をひそめて、挙動不審にその場をウロウロした。そんな落ち着かないボクを見て、浅黄くんは目をつりあげてバンッと机を叩く。


「早く座れよ!」

「はいっ!」


 目の前の席に、光の速さで座るボク。両手を膝に背筋をピンとのばして、顔は誰もいない真正面に。そして、目だけを窓の外に向けて、視線をさらにみんなから遠ざける。


 もしかしてボクは、踏み込んではいけない場所に立ち入っちゃったのかもしれない。どう考えても、この集まりはおかしい。不自然だ。

 お嬢様とガキ大将、引っ込み思案に優等生。共通点がまるで見つからない。ヘタに刺激しないように、口にチャックだ、チャック。

 今からしばらくツッコミ厳禁。思ったことは心の中ですべて消化。


「それじゃぁ、まずはアナタの用件を聞こうかしら? 黒崎くん?」


 夢ヶ咲さんは教卓に片手をついて身を乗り出す。


「ぶっ……ぶしつけな質問で悪いんだけど、君たちが退夢師ってヤツ?」


 キョロキョロと、不思議そうに顔を見合わせる四人。川緑くんはフッと横を向いてクスッと鼻で笑う。ボクはムッとして眉間にシワを寄せた。

 怒るってほどじゃないけど、カチンときたことはいなめない。


「なっ、何? 知らないことを聞いただけなのに感じ悪くない?」

「ゴメン、ゴメン。この学校……いや、この町では退夢師を知らない人はいないから。まぁ、黒崎くんは転校してきたばかりだし」


 ニコニコと笑いながら、軽く頭をさげる川緑くん。ちょっと上から目線が気にさわる。

 それにしても、退夢師ってそんなに有名なんだ。そりゃぁ、『国家資格』があるくらいだから。

 前の町にもいたのかな?


「最初から詳しく説明した方がよさそうね? 退夢師って言うのは悪夢祓いの専門家のことよ!」


 自信満々に胸を張る夢ヶ咲さん。ボクは息を飲んで次の言葉を待つ。

 …………

 ……………………

 …………………………………………続かないのかよ!? 息が止まるかと思ったわ!


 今、って言ったよね? 端的すぎやしませんか? 大筋はつかめたけど、フワッとしすぎでしょ。これでボクに、どんなリアクションをしろと?

 口をおさえて、ここまでの言葉をゴクンと飲み込む。

 ツッコミ厳禁、ツッコミ厳禁。

 ボクは大きなため息をつく。そんなボクを察したのか、川緑くんがスクッと立ちあがった。


「ボクから説明しよう。退夢師は古代日本で活躍した陰陽道からの分派で、悪夢祓いの専門家のことなんだ」


 陰陽道は本で読んだことがあるから少しは知っているけど、そんな職業があったなんて初めて聞いた。ちょっとオドロキ。

 イスの背もたれに寄りかかって、腕と足を組む浅黄くんがあとに続く。


「もっと詳しく言えば、古代中国の陰陽五行思想に天文学や暦学、易学なんかを加えた陰陽道から、今度は逆に陰と陽……つまり夜と昼のエキスパートだけを集め、夢の管理をさせたのが退夢師の始まりと言われている」


 今の今までニコニコと話していた川緑くんは、たちまちムスッとして、浅黄くんに背を向けるようにイスに座った。


「ワタシたち三人は、退夢師見習いです。国家資格に合格しているのは、代々悪夢祓いを生業としている夢ヶ咲家の一人娘、紅子ちゃんだけです」


 目を隠すようにたらした前髪の隙間から、分厚いメガネのレンズのさらに奥の瞳をのぞかせる青沼さん。初めて青沼さんの声を聞いたけど、かなりキレイな声をしている。見た目とのギャップが凄い。

 川緑くんはボクの方に体を向け直して、教室全部をさすように片手を大きく振った。


「ボクらは紅子ちゃんをリーダーに、この学校の悪夢祓いを任されているんだ。先生公認だよ」

「町長の公認でもあるな」


 ガタンッ! バンッ!!


 勢いよく立ちあがり、机を叩いて浅黄くんと向き合う川緑くん。


「何だよ、さっきからいちいち! ボクの説明に文句があるのか?」

「足りないんだよ、小鉄の説明じゃぁ。わざわざオレがつけ足してやってるんだから、感謝するのが道理じゃないか?」

「よけいなお世話だって! 『つけ足してやった』とか『感謝しろ』とか、龍之介の上から目線は昔から気に入らないんだよ!」


 ボクはオロオロして、ケンカを始めた二人を交互に見る。そんなボクの元に、背中を丸めて近寄る青沼さん。ゆるいウエーブがかかった髪を指先で耳にかきあげて、コソッとボクにつぶやいた。


「いつものことだから、気にしないでください」


 メガネの奥の目を細めてニィと笑う。

 あれ? ゆるいウエーブがかかった髪? 指先で耳にかきあげる? かがんだ拍子に見えた、メガネの向こう側の青沼さんの目がキレイで、ちょっとドキッとした。

 まさか青沼さんが、ボクの夢に出てきた『夢恋の君』?


「つまり、そういうことよ!」

「サッパリわかりません!!」


 シーンと静まり返る教室。

 やっちゃった、やっちゃったよ。ツッコミ厳禁だったのに。だって、不意打ちだろ? 何の気構えもしていない時に、いきなり夢ヶ咲さんが妙ちきりんなことを言うから。

 ポカンと口をあけて、ボクを凝視する四人。

 今日だけで、ボクの体はかなり風通しがよくなった。視線の矢も、刺さるどころか、もはや素通りするくらい。


「フハッ、意外と面白いヤツだな、黒崎」


 浅黄くんが顔をクシャッとゆがませて吹き出す。川緑くんも肩をすくませて軽く笑った。


「そっ、そうかな?」


 うしろ頭に手をそえて、照れ笑いを浮かべる。

 こんな反応は予想外だった。『言葉がキツイ』とか『バッサリ斬りすぎ』なんて言われ続けて早十一年。こんなボクの暮らしにも、やっと光明が見えました。

 ありがとう、本当にありがとう。


「黒崎くん? 大丈夫ですか?」


 拳を握りしめて感動に打ち震えるボクを、膝を抱えて下からのぞき込む青沼さん。

 この子って案外いい子かも。普段、人と話している姿を見たことがないから気づかなかったけど。

 もしかしたら、ボクの夢に出てきたのは青沼さん? なんてこと面と向かって聞けっこないし、違ったら違ったで顔から火が出るのは間違いない。


 どうにかして、今朝見た夢を思い出せればいいんだけど。これって、聞いてもいいのかな? いいよね?

 『夢でお悩みの方もお気軽にご相談ください』って書いてあったし。

 意を決して、ボクは勢いよく立ちあがる。


「悪夢祓い倶楽部のみんなに質問なんだけど、忘れちゃった夢って思い出せるのかな? 夢に出てきた人が誰なのか知りたいんだ。別に悪夢ってわけじゃないんだけど」

「夢に出てきた人? んー、そうだなぁ。夢のことを説明すると長くなるし、いちいち茶々を入れるヤツがいるから……なぁ?」


 川緑くんは腕を組んで、チラッと浅黄くんを見る。浅黄くんはうるさそうにシッシと手を振った。それを確認すると、川緑くんは立ちあがって、ゆっくりと話し始めた。

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