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白いアコーディオンカーテンでさえぎられたパイプベッドの上で目を覚ましたボクは、一瞬自分がどこにいるのかわからず、挙動不審に辺りを見まわした。視界にあるのは、カーテンとベッドだけ。それでもすぐに、ここが保健室だとわかったボクの頭は、青空のように澄み渡っている。
そして、突然降ってわいたように、今朝の夢が頭をチラつく。
そうだ! 思い出した!
とびきり可愛い女の子が、ボクの顔をのぞき込んで、『大丈夫?』って聞くんだ。
「ああ……もう一度、会いたいなぁ」
自然と口をついて出た自分の言葉に、ボクは苦笑いを浮かべた。
肩より長い、ゆるいウエーブのかかった髪を指先で耳にかけ、小首をかしげてニッコリと笑った女の子。
表情や仕草なんかは言葉だと説明できるのに、どうしても、逆立ちしたって、顔だけはまったく思い出せない。こんな場所で本当に逆立ちなんてしないけど。
「あら、起きたの? お腹の具合はどう? もうすぐお昼だけど、給食は食べられそう?」
フッと白いカーテンを押し広げて、メガネをかけた保健の先生が、ボクの横たわるベッドをのぞき込んだ。ボクは目を合わせず、コクッと小さくうなずく。
本当に眠っていたとは言え、『お腹が痛い』って言うのは仮病だから、どうにも気まずかった。
ボクは保健室を出て、授業中の誰もいない廊下を、一人教室へと向かう。
職員室の前を通り、昇降口の、並んだ下駄箱の前でふと足を止める。
登校して、真っ先に目につくであろう真正面の壁に、畳二畳ほどの大きさの掲示板がある。目にはつくけど、気にして見たのは今日が初めてだ。
小学校新聞や、行事のお知らせのほか、生徒が書いた習字が四枚と今月の標語。校内地図に、誰それが何かのコンクールで入賞しましたという報告。そこに……
『悪夢、根こそぎ祓います!』と大きく書かれたA3サイズくらいの紙。
何この、『害虫、根こそぎ駆除します』的ノリは?
『眠るのが怖い。起きたあとに体が重い。ご飯も喉を通らない。勉強が手につかない。親や兄弟、家族との関係が悪化した。ペットに吠えられた。デジャヴに怯えている。一つでも当てはまる方は、悪夢祓い倶楽部まで。アナタの悪夢、無料でお祓いいたします。そのほか、夢でお悩みの方もお気軽にご相談ください。
ブッ……何じゃこりゃぁ!?
学校の掲示板に、200%私事とかって、あり?
先生たちはこんなこと、許していていいの?
そもそも、悪夢祓い国家資格って……何?
悪魔祓い……エクソシストじゃなくて?
海外ではエクソシストの国際協会があるなんて話を本で読んだことがあるけど、退夢師なんて、生まれてこの方、十一年間見たこともなければ聞いたこともない。それが国の認めた資格だなんて寝耳に水だ。
しかも、発信者が夢ヶ咲さん?
いいとこのお嬢様が、こんな胡散くさいことをやっているなんて、名門夢ヶ咲家の名にキズをつけるんじゃないの?
ツッコまずにはいられない。ツッコミどころしか見当たらない。
悪夢を見て家族の関係が悪くなったり、ペットに吠えられたりするの?
デジャヴって、今朝のあれ? 既視感ってヤツでしょ?
初めて見た景色なのに『見たことがある』って思ったり、今話しているセリフなのに言った覚えがあったり。
気持ち悪いけど、怖がるようなこと? 夢と何か関係があるの?
気になって気になって、このままじゃおちおち夜も眠れない。
昼休みに聞いてみよう。自分から声をかけるっていうのは不本意だけど。幸いにも『お気軽にご相談ください』って書いてあるんだから。
ついでに、今朝の夢のことも聞いてみようかな? ちょっと恥ずかしいから、その辺は上手くぼかして。
どうにも気になるんだよね、夢に出てきたあの女の子のことが。ドキドキが、胸の高鳴りが止まらない。思い出そうとしただけで、口元が笑みでゆるむ。
まさか、これが恋? ボクの初恋? 夢の中の女の子なのに?
いやいや、そんなバカな話…………好きだ!
どうしよう? 好きになっちゃった。どうするの? 名前どころか、顔すらもわからないのに。
そうだ! 『
『夢恋の君』……いい響きだ。
キーンコーンカーンコーン。
ボクは昼休みのドサクサにまぎれて何食わぬ顔で教室に戻り、まるで最初から教室にいたかのように、ごく自然に給食を済ませる。
夢ヶ咲さんが給食を食べ終えるのを今か今かと待ち、パンの最後の一切れを口にふくんだ直後、ボクは彼女の前に立った。夢ヶ咲さんは緊張に体を強ばらせるボクを見あげ、バンッと机に手をつき勢いよく立ちあがった。
「ようほほ! あなははくふほほはっへいはは!」
ボクの目が点になる。 絶対に点になっている。
昼休みの騒がしい教室の一角。
ボクと夢ヶ咲さんのいるこの僅かなスペースが、珍妙な空気に包まれた。今日はクラスメイトの視線に、何度串刺しにされればいいんだろう? ボクは恥ずかしさも相まって、薄笑いを浮かべたまま肩をすくめた。
「えっ……と、取りあえずパンを飲み込んでからしゃべった方がいいんじゃ……」
夢ヶ咲さんは『そうね』とでも言いたそうに小さくうなずき、口元を両手でおさえた。
「あむあむあむ……ゴックン……それでは、改めまして……」
ゴクッとツバを飲み込むボク。
イヤだなぁ。リアルに会話するの苦手なんだよなぁ。なるべくツッコまないように。
もう一度、自分に言い聞かせるけど、ツッコむんじゃないぞ?
「ようこそ! あなたがくるのを待っていたわ!」
片手を腰にあて、もう一方をバッと勢いよく横に振り抜き、これ見よがしに胸を張る夢ヶ咲さん。ボクの思い描く、いいとこのお嬢様の面影は、そこに1㎜もない。
いつも、上品で小奇麗な格好をしている夢ヶ咲さん。髪こそ一本三つ編みだけど、今日の服装だって、平日の学校なのに、薄いピンクチェックのフォーマルワンピース。これぞ『ザ・日本のお嬢様』って感じだ。
それなのに、仕草や態度、言葉づかいから目つきまで、とても残念な女の子に見えるのはボクだけなのだろうか? そもそも、朝一番のホームルームから寝る体勢ってどうなの?
朝一番から昼直前まで、保健室で寝ていたボクが言うセリフじゃないけど。
いいんだよ、ボクはお坊ちゃまじゃないから。
「は、はぁ……それはどうも。あの……その……夢ヶ咲さんに聞きたい……」
「みなまで言うな! 放課後にここで話を聞かせていただくわ!」
もの凄いドヤ顔で、ふんぞり返る。ボクの言葉は彼女に遮られ、池のコイのようにパクパクと口を動かすことしかできなかった。ただただ、呆気に取られたこともあって、ツッコむことを忘れていたのは不幸中の幸いだったと思う。
「アナタの告白、楽しみにしているわ!」
「告白、違うし!!」
やっぱり、こういう結果になるのは目に見えていたんだ。
夢ヶ咲さんのテンションの高さから、イヤな予感はしていたんだよ。
そもそも初めから、ボクとは真逆な夢ヶ咲さんと、普通の会話なんてできる気はしなかったんだ。
夢ヶ咲さんは腕を組んで、不思議そうに首を傾けた。
「あら? 夢についての告白でしょ? 退夢師であるこのワタクシに」
ズルいや。
そんな言い方されたらうなずくしかない。言いようのない悔しさが、お腹の底からフツフツと涌きあがってくる。
だったら最初から、そう言ってくれればよかったのに。何もボクがツッコミやすいような言葉を選ばなくとも。
これが彼女の素なんだとしたら、ボクにとってこの子はかなり厄介だ。
悪夢祓い国家資格認定退夢師、夢ヶ咲紅子……侮り難し。
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