ステップ1 夢を知る

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 ボクは寝ぼけ眼をこすりながら、ゆっくりとベッドから体を起こした。

 大きくあけられない目。気持ち顔を下に向けて、ボーッと布団に目を落とすボクの耳に、イヤになるくらい爽やかな鳥のさえずりが聞こえた。ボサボサになった頭をポリポリとかきながら、一度大きな深呼吸をする。


いい夢だったなぁいい夢だったなぁ


 うわっ! デジャヴだ! 気持ち悪っ! 何なんだ、デジャヴって?


 ん? あれ? いい夢? 夢を見ていた? どんな夢だっけ?


 顔を洗い、お父さんやお母さんに朝のあいさつと取りとめのない会話をした後、朝ご飯をお腹に流し込み、昨日準備しておいたランドセルを背負って玄関を出る。

 夢のことを考えながら、条件反射だけでここまで動けた自分に脱帽だ。

 ああ、習慣って恐ろしい。


 けど、ここからがそう上手くはいかなかった。まだ、この街に引っ越してきて、たった一か月。無意識でたどり着けるほど、通学路は甘くなかった。

 気づいた時には、ランドセルを背負った子が一人もいない路地裏を、一人ぽつんと歩いていた。

 通りすがりのおばあさんに小学校までの道のりを聞いて、『あらあら、大きな迷子だこと』と物珍しそうに笑われた後、ボクの足は音速を超えた。と思ってもらいたい。


 右往左往しながら何とか学校へたどり着いたのは、朝のホームルームの五分前だった。

 転校したてで遅刻だなんて、笑うに笑えない。

 『目立たず、飛び出さず、ひっそりと』がモットーのボクが、のっけから悪目立ちしてしまうこと……それだけは、何としてもさけたい。


 上履きにはきかえ、急いで教室へ向かおうと階段にさしかかった時、どこからともなく誰かの話し声が聞こえてきた。ボクはハタッと立ち止まる。そんなヒマもないのに。


「で、タマゴは?」

「確認済みよ!」

「じゃぁ、フカ待ちだな。で、どうなの? 使えそうなの?」

「大丈夫ですよ。紅子べにこちゃんが選んだんですから」


 タマゴ? フカ? 何、この会話? 生き物係の寄り集まり?


 ボクは身を乗り出して、階段の下をのぞき込む。そこには四人の生徒が円陣を組むように話していた。四人の生徒……ボクのクラスメイトだ。


 いいとこのお嬢様だって誰かが言っていた、明るく活発なクラスの中心的女の子、夢ヶ咲紅子さん。

 『毎日どれだけ時間をかけているんですか?』と聞きたくなる、見事なまでなツンツンヘアーの鋭い目つきの男の子、浅黄龍之介あさぎりゅうのすけくん。

 分厚いレンズのメガネをかけた上に、目を隠すように前髪を垂らし、いつも教室の隅っこでうつむいている青沼あおぬまやよいさん。

 『かしこい』って言葉を縫い合わせて、それをそのまま着こんだような、『キングオブ優等生』、川緑小鉄かわべりこてつくん。


 一見すると、とても友だち同士には見えない。


 そんな色々な意味で目立つクラスメイトに、ボクから元気に声をかけるなんて、あまりにもハードルが高すぎる。ボクはクラスの輪の中に、自然にとけ込めればいいだけだ。誰もが存在を忘れる空気のように。


 どうやらボクは昔から、よけいな一言を言ってしまうクセがあるらしい。

 ツッコミって言うのかな? 漫才をしているつもりもなく、相手もボケているわけじゃないのに、ついついポロッと。えぐり込むように。

 それで相手が傷ついたり怒ったりすることがしばしばあって、ボクはひっそりと暮らすことを選んだ。そうすれば、好かれないまでも、相手を傷つけて嫌われる心配もない。


 ボクは何ごともなかったかのように、一つ飛ばしで階段を駆けあがった。面倒ごとに自ら飛び込む趣味はない。

 そして、六年三組の教室の引き戸に手をかけた時、気づく。

 階段下で話をしていたあの四人は、このままだと遅刻になってしまうんじゃないかと。けど、今さら戻って声をかけるほどの余裕はボクにはない。


 ガラッ。


 キーンコーンカーンコーン。


 クラスのみんなが一斉にボクを振り返った。ボクは小さな声で『おはようございます』とつぶやいて、斜め下を向いたまま一番うしろの自分の席につく。


黒崎晃くろさきあきら、ギリギリセーフっと」


 無精ヒゲが残ったアゴを左手で撫でまわしながら、出席簿にチェックをする尼寺にじ先生。ボクは黙ったまま小さくうなずいた。


「よしっ! これで全員出席! じゃぁ、ホームルームを始めるか」


 出席簿をパンッと叩いて、尼寺先生は機嫌よさそうに黒板を振り返った。

 あれ? 全員出席? あの四人は?

 ボクはフッと顔をあげて、教室の中をグルッと見まわす。そして、こぼれるくらいに目をむいて、勢いよく立ちあがる。


 ガタンガタンッ!!


 何で!? 何で!? 何で!? 何で!? 何で、四人ともしれっと席についているの?


 教室に入ったのはボクが最後だ。四人を見かけた階段から、教室まで一本道。ボクは抜かれた記憶なんてない。あり得ない!

 大切なことだからもう一度……まかり間違っても、絶対にあり得ない!!


 クラスメイトの視線が、ボクに一点集中する。チョークを握ったまま振り返った尼寺先生も、けげんな顔で眉をひそめた。


「どうした、黒崎?」


 クラス中の矢のような視線に苦笑いを浮かべ、フルフルと小さく首を振り、何ごともなかったかのように、スッと腰をおろす。

 机の上で手を組み合わせ、気持ち斜め下に顔を向けたまま、目だけで四人を観察する。


 浅黄くんは背もたれに寄りかかり、退屈そうに口をとがらせている。先生の話も聞かず、理科の教科書を読みふける川緑くん。青沼さんは薄笑いを浮かべ、黙々とノートにペンを走らせている。夢ヶ咲さんに至っては、朝のホームルームから机につっぷして、さっそく入眠の体勢。


 別だん珍しい行動をしているようには見えない。ボクがこのクラスに転入したばかりのころから、この四人はいつもこんな感じだ。

 じゃぁ、ボクが見たのは……夢? 白昼夢ってやつ?

 ボクはブンブンと大きく首を振った。そして、そっと頬をつねる。

 ハッ!? 痛くない。まさか本当に、まだ夢の中?

 指先に力を込めて、思い切りねじりあげる。


「イッターイ!! イタタタ……タ……タタ?」


 本日三度目の、視線の集中砲火。呆れ顔でため息をつく尼寺先生の口からお小言が飛び出す前に、ボクはお腹をおさえ、慌てて席を立った。


「先生、朝からお腹が痛いので保健室に行ってきます」

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