狂心少女パラノイア④

「私の右腕を、斬り落とした男だよ」


 部屋に入ると同時に告げたその言葉に、深い意味など無かった。ただ事実を述べただけだ。

 だって、私の意識は既に例の青年の方へ移っていたから。


 彼はこちらに興味を向けなかった。報告にあった通りに椅子に座りながらもぼんやりと壁を眺めているだけだ。普通に考えて、閉じられていた扉から突然複数人が入ってきたのなら僅かにでも反応を見せるものだと思うのだが。事実、部屋の隅に控えていた監査役の者達は咄嗟に視線をこちらに向けていた。


 単純にただ無気力なのか、あるいは──。


 などと、そこまで考えて思考を止めたのは青年が原因……ではない。


 ジャキッ、という撃鉄を起こす音に目を見開いたのは、恐らく私だけではなかっただろう。誰かが息を呑む気配がした。びりびりと肌に走る怖気に名を付けるなら、それは殺気と呼ぶはずだ。


「秋人」


 名を、呼ぶ。

 私を押し除けて、背後に庇うように立った蒼い男は無言だった。


 無言のままに、銃口を向けていた。目の前の白い青年へと。


「……何を、している? 私はそのような指示は出していない。落ち着き給え」


 ……ふむ。何だ、何が起きている? 

 私は確か今の今まで彼と談笑していたはずだ。秋人が笑っていたかは忘れたが、私は笑っていたので談笑と呼んで間違いない。

 それが一体どういう因果で、彼がかの青年に銃を向けることへと繋がるというのだ。


 蒼い男を見上げる。その瞳に視線をやる。そこに激情は無かった。当たり前のことだ。この男には──熱量が無い。その代わりとして、蒼き瞳は昏く冷たく澱んでいる。


「いいや、俺は──冷静だ。冷静じゃないように見えるか?」


 その声は周囲の部下が震え上がるほどには冷え切っていた。

 仮に冷静であると仮定して、前触れも無く人に銃口を向けながらそんなことを宣う者が平常であるというのは、流石の私も顔を顰めかねない。もっとも、平常心のまま人間を撃つことそのものは別に難しくも何ともないので、私はその考えを一先ず他所へと置いた。


「これは以前にも言ったはずだが」


 この私が制止しているにも関わらず、秋人は引き金から指を外さなかった。それどころか私を見ることすらしなかった。その視線はかの青年の方へと固定されたままだ。部下達を使って無理矢理止めさせようかと考えて、やめる。

 この男は着火するポイントが分からない。そして妙な所で譲らないところも昔から変わらない。例え攻撃魔術をぶち込んで強引に目を覚まさせようとしたとして、腕の一本や二本が吹き飛んだところで銃を下ろしたりはしないだろう。……果たして腕が二本無くなった時点でそんな事が出来るかは置いておくとして。

 この男はそういうタイプの狂人だ。


することで、懸念材料が一つ消えるなら、それに越したことはない。違うか? 従順なペットか凶暴な理性なき獣か……見極めるまで手元に置く必要はないと。この話は何度目だ?」


 何の話か分からぬのだろう。部下達が狼狽えた様子で視線を彷徨わせている。秋人の突然の凶行に動揺しているようだが、私からの指示が無いので動けないのだ。


 目の前の男は──慎重で臆病で、そして卑怯な唯一の私の理解者は、いつからか何度も同じことを口にするようになった。


 何度目だ、などと。

 そんなの覚えてるはずがないのに。


「良いか、お前は世の中を甘く見過ぎてる。今回のことだってそうだ。お前が勝手に決めて、勝手に動いて……。そのリスクを何も理解していない」


 何故そんなことを蒸し返すのかが分からない。その話はもう済んだではないか。大体、秋人には関係のないことだ。


 そうだ。君には関係無い。


 今だって私の方を見もしないくせに、よくもそんな。




 ──というか、何故、






「みっ、みみ水城様が悪いんですよ!! 何でそんなに不思議そうにしてられるんですか!?」


 唐突に、だった。

 意図したかは知る由もない。ただ、空気を壊すように頭を掻きむしりながら叫んだ者がいた。それは先程の報告係だ。


「……なんだと?」


 私が悪い? 何を訳の分からぬ戯言を。

 此奴、さっきから挙動不審だとは思っていたが頭がおかしくなったのか? それとも元からおかしかったのだろうか。


「う、腕が一本無くなって、死にかけて!! その上で、こんな……っ、はいそうですかで流せるわけないでしょう?! 我々がこの一週間どれだけ──」

「クソッ、まず……ッ!?」


 報告係の言葉を遮ったのは、不思議なことに秋人の声だった。


 魔術師という生き物は、傲慢だ。

 魔術さえあれば大抵のことは何でも出来るとたかを括っている。それと同時に、

 魔術を封じる部屋に押し込めてしまえば、相手が魔術師である以上は危険は無いと。そんなことを無意識に信じ込んでしまう。

 同じ部屋の中にいる以上、条件は同じ。だが頭数が全く違う。だから誰も警戒姿勢など取っていなかった──ただ一人を除いて。


 秋人だけは初めからずっと、一度たりともから目を離してはいなかった。だが、縮こまっていた部下の一人が喚き出すというのは予想だにしていなかったのだろう。

 虚を突かれた、と言うべきか。恐らくは思わず、視線を向ける相手を変えてしまった。


「ミズキ!!」


 何が起きたかは分からなかった。


 ただ、気付けば天地がひっくり返っていて──地面に叩き付けられていたという話であって。

 後頭部ごと背中を打ち付けたため本来ならめちゃくちゃ痛いはずだが、思考が一切追い付いてきていないので痛みすら感じない。

 咳き込む暇すらなく、私を薙ぎ倒したであろうその者は、私に覆い被さるようにして掴み掛かる。


「…………?」


 赤い瞳が、明らかな憎悪を待って私へと向けられていた。

 ……ふむ、何の話をしているのか。何だか分からない話をする為にこの青年はわざわざ私を押し倒したのだろうか? 変わった趣味だ。

 というか、先の配置でどうやってこの状況に持ち込んだというのだろう? 不思議に思って視線を彷徨わせると、どうにも私と彼との間に立っていたはずの秋人は横薙ぎに弾き飛ばされたらしい。かぶりを振って立ち上がるのが見えた。よく衝撃で銃の引き金を引かなかったものだ。流石である。


 この手のイレギュラーへの対応の早さもあれの利点だ。腰を抜かしてへたり込んでいる他の部下達とは違い、即座に青年へと銃口を定める。


「そいつから離れろ」

「……脅しているつもりか? その引き金を引くよりもこの女の首を圧し折る方が早いのは、さっきので分かったはずだが」


 囁くような声色だった。それでいて、悍ましいほどにそこには温度が無かった。本当に取るに足らないものを、もっとずっと高い所から見下ろしているような……そんな風に感じさせるものだ。

 しかしそれは困るな。私はとてもか弱いので、首を圧し折られれば普通に死ぬ。


「いいや、違う。望みは? この部屋にいる全員を殺そうと思えば出来ただろう。それなのにこんな回りくどいことをするのなら──」

「交渉をしようと? 状況が分からないらしいな」

「交渉じゃない。命乞いだ」


 吐き捨てられた秋人の言葉に、青年は首を傾げるような動きをした。あくまでもような、である。それが本当に疑問を抱いたから起こる行動だったのかは不明だ。

 何故かは分からないが、オウムなどの鳥類が意味も分からず人の言葉を真似ている様を思い出した。


「そっちの望むものを用意する代わりにそいつを殺さないでくれと、そう言ってる」


 秋人は酷く億劫そうに溜息を吐いた。それが人の命を賭ける態度だというのか。なんて男だ。


 交渉と命乞いとでは意味が全く異なる。交渉は互いの利益が保証されなければならないが、命乞いはその限りではない。「やっぱりやめた」が通用してしまうものだ。私がよくやる手段である。


 しかし、そもそも何故こんなことになっているんだ? 私は彼に今後の話をしてやろうと思っただけだというのに。

 私のやることに間違いはない。私は存在しているだけで正しいからだ。では初めに銃を持ち出した秋人を責め立ててやろうかと考えたが思いとどまる。あれはどうやらこの状況を見据えてのものだったのだろうから。


 青年は秋人の言葉に何の反応も示さなかった。残念なことに興味を引かなかったらしい。私の首に掛けられている彼の手は驚くほど冷たい。人の手でなく氷を直接押し付けられていると言われた方が信じてしまいそうだ。


 ……うーむ?

 というか、さっきから何か、頭の片隅に引っ掛かるものがあるような……?


 何処へやった、と彼は問うた。主語が無かったので意味が分からなかったが、そう言えば一つだけあったな。


 部下が気を失っていた彼から奪った押収品が。

 私としたことがすっかり忘れていたな。執務室に置いてきてしまった。


「ああ、なるほど。君、あれを返してほしいのだね」


 そう言って微笑みかけると、みしり、と音が鳴った。


 それはどうやら──私の首から響いた音らしかった。


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