名も無き男の受難

「お前は、一体──何を考えてるんだ?」


 コンコン、と拳で机を叩く音と震えるほど冷たい声が執務室に響き渡る中、水城の側近の一人は身を縮ませていた。下手な怒鳴り声よりもよほど恐ろしい。声色に感情が一切乗っていない。生々しく怒りが伝わってくるのだ。


 ……この方がこんなに怒っているところなんて初めて見た……。


「何故憤る! 君には関係の無いことだ!!」


 部屋の空気は氷点下並みに冷え切ってるし怖い。超怖い。

 そんな事を考えながらちょっと泣きそうになっている彼を他所に、お叱りを受けているはずの当人は何故か負けじと怒りを露わにしている。

 言わずもがな、彼の上司……というか“銀の星”のトップである少女(?)だ。


 ここ最近、組織内は大騒ぎだった。何せ水城は一週間も昏睡状態。その上、右腕もごっそり失っていた。彼女の生命力が底無しであった為に一命を取り止め、目覚めたばかりの今もこうして大声を張り上げているが普通なら既にあの世行きである。何でこんなに元気なんだこの人。

 そもそも、普段は彼女の手綱を握っているが任務で遠征部隊に付き添って不在だったことも間が悪過ぎたのだ。彼が帰還したのはつい先程で、一連の事件の報告を受けたのもほんの数時間前だというのだから。

 そんな彼──秋人は椅子に座ってふんぞり返っている水城(反省の色無し)を説教している真っ最中である。


「私の組織で私が好きにして何が悪い! 大体、あの村はうちの管轄下だった!」

「だから一人で行くなって普段から言ってるだろ。ふざけてるのか? それで死に掛けたんだろうが。しかもその腕──」

「五月蝿い! ええい鬱陶しい……! おい、そこのお前! 秋人を何処か他所へやれ!!」

「お、おおおおお戯れを!!」


 何故自分がそんな事を!

 半泣きになりつつ、男は大慌てで首を振る。


 水城は確かにここのトップだが秋人とて(本人は一切認めていないとは言え)幹部を通り越えて扱いは水城の次席、副官である。それを無理矢理引き摺り出すだなどとそんな恐ろしい真似はいくら水城の命令とは言えども出来るはずもない。それだけではなく見たこともないほどめちゃくちゃ激怒しているのだ。怖過ぎる。

 しかもその怒りは正当だと思うし。


 それにしても普段ヘラヘラしているイメージしかないだけに迫力があり過ぎる。蒼く、海を思わせるはずの瞳が今だけは氷のような冷徹さを帯びている気がした。


「クソッ、お前は本当に……」


 強く舌打ちして、秋人は懐から取り出した煙草に火を着ける。鎮静剤代わりなのだろう、水城が騒ぎを起こす度に彼の喫煙回数が膨れ上がっていることを水城の側近達は知っている。

 言っても無駄だと周囲が匙を投げて好きにさせているこの人水城だが、ただ一人だけがまるで親のように叱り付けることを辞めずにいるのだ。


 ……まぁそのせいでストレス溜まってるんだろうけど……。


「腕はもう良いのだ。気が向いたら義手でも造らせる。腕一本と幾つかの村を犠牲にあんなものが手に入ったのだから文句は言うまいよ」

「……はぁ?」


 少し前までは腕が生えていたはずの右袖を不自然にはためかせ、水城は不敵に笑う。それに対して顔を顰めたのは当然秋人だった。彼は一瞬、頭痛を堪えるように眉間を押さえてから大きく煙を吐き出す。


「いや、もうお前と会話するのは疲れる。……そこの君」

「は、はい!」


 白羽の矢を立てられ、男は思わず姿勢を正した。にまにまと愉しそうに笑っている水城はきっと自分の心配などしてくれないのだと思う。先程までとは全く異なる柔らかな声色で語り掛けられたことに逆に背筋が凍る。普段通り、彼がよく知るいつも通りの声色だ。穏やかな笑みを向け、彼は続けた。


「何か報告があるからそんな居心地悪そうな顔しながらも居るんだろう? 悪かったね、仕事の邪魔して」


 ……切り替えの早さ、こわぁ。


 それを口に出さなかっただけでも褒められて然るべきだと彼は思う。

 基本は寛大と言えどもいつどういったきっかけで暴発するか分からない水城と違い、組織の構成員全てに平等に柔和な態度で接している為に(場合によっては水城よりも)慕われている秋人である。ただしそれは本音を見せないでいるだけなのだと男は知った。知りたくなかった。


「ほ、ほほほ報告を致します……! あ……あの者が目を覚ましたと……!」


 何でこんな一言だけを言う為にこんな場所に居なくちゃいけなかったんだろう? と彼は自問する。

 だって負けたのだ。ジャンケンで。皆が今のこのお二人には近付きたくないって言うから。


 もうすっかり目尻に涙を溜めている彼を他所に目を輝かせたのが水城、「あの者?」と首を傾げたのが秋人だ。水城には伝わったらしいが秋人の反応を見るに、彼はそもそもはまだ知らないのかもしれない。

 それは我らが水城様の悪癖──興味を引いたものは例え物だろうが人だろうが拾ってくる──が最悪の結果を生んだからに他ならない。


 この組織にはそのおかげで救われた者も大勢いる。ここで腰を抜かしそうになっている彼とてその昔、彼女に拾われたのだ。だがよもや、あのような『化け物』を拾ってくるなどと!

 人ならざる鬼のような、あの見目を思い出しただけで怖気が走る。やはり時を待たずに処刑するべきだったのだ。目覚めた早々、何人もが襲われたと言うのだから。


 何やら水城と一悶着あったとかで、再び意識を失ったその者は今回はすぐに目を覚ました。水城の命もあり魔術を封じる結界が張られている部屋に閉じ込めたまでは良い。だが此度の騒ぎを知る者達の間では既に殺すべきだとの風潮が広がっている。


 彼だってそう思った。


 そうだ、殺すべきだ。あんな化け物。


 だと言うのに……。


「そうかそうか! それは実に良い報せだ! 先程は虫の居所が悪かったのか会話にならなかったが──」


 ああ、どうしてこの方は太陽のような笑みを浮かべておられるのか!!


「……何の話だ?」


 きらきらと顔を輝かせている水城とは対照的に秋人は露骨に眉を寄せている。やはり水城は話していないらしい。まさか怒られるのが嫌で隠したとかではないだろうが。彼女にそんな人間味があるとは思えない。

 しかも結果として、バレた後はもっと怒られるだけなのだから。

 そんな中で訝しげな視線を向けられている水城は素知らぬ顔でそっぽを向いているし、もしやこれは自分が説明するしかないのだろうか。いやいや、本当に? この空気の中で?


「彼はどうしている?」

「そっ、それが……驚くほど大人しいと……! ぼうっと壁を眺めているだけで……か、変わらず問いには応えないとのことですが、」


 そうか、と水城は呟いて天井を仰ぐ。もう言うべきことは告げたのだしさっさと出て行きたいのだが、話が進むにつれて水城の前にいる蒼い人の顔が険しくなっていくのが気に掛かる。


「……また妙なの拾ったのか」


 エスパーかな? ……という言葉は辛うじて飲み込んで彼はそっと一歩後ろへ下がった。隙を見て逃げよう。また雲行きが怪しい。


「妙なのとは何かな。珍しいものと言い給えよ。そして私が拾った中で君以上に『妙なもの』は無いよ。今のところはね」


 この人は本当に、こんな時ばかり綺麗に笑うのだから狡いと思う。

 この方の本性を知るのは一部の側近のみ。それ以外はこのカリスマ性を見せられて、魅せられて。灯りに群がる蛾のように、彼女の熱に焼かれてしまう。

 自分も知らないままでいられればこんな気苦労は背負わずに済んだのに、と彼は息を吐いた。あとついでにもう一歩下がった。


「こうしてはいられない。行くぞ秋人。今度こそ彼を懐柔……じゃなかった、彼との親睦を深めるのだ!」


 派手に椅子を倒して立ち上がり、意気揚々と部屋を出る水城の背を白い目で見送る男が二人。

 無論、秋人の方は明らかな厄介事の匂いを感じて動かずにいたのだろう。だが、そうは問屋が下さなかった。「何をしている!!」と喚き始めた水城に渋々ついて、彼も部屋を出る。ここで無視すると後が五月蝿いからだと思われる。

 一方でこれを機に側近の男は逃げようとしたのだが……。泣く泣くついて行く羽目になった。だって、秋人の「お前も来いよ」的な無言の圧が凄かったのだ。水城の方はもう側近の存在など頭に無さそうだというのに。


「今回も子供を?」


 そう問う秋人に、男は静かに首を横に振る。今回「も」というのは、水城が拾ってくるのは大抵身寄りの無い子供だからである。

 そのせいでこの組織内の人員の平均年齢が著しく下がっていることに水城以外は密かに頭を抱えている。


「若い男です。……一応」

「一応も何もあれは青年だよ。女性に見えるのか?」

「そ、そういう意味ではありません」


 大真面目な顔の水城に溜息を噛み殺す。あれが男だろうが女だろうが、そんな事は問題ではないのだ。

 カツカツと三種類の足音が響く中で水城一人だけが酷く愉しそうに顔を綻ばせている。


「ふふ、ふふふ……あれは宝石の原石だよ。実に、実に素晴らしい……! あんなにも美しいものを私は見たことがない! あれこそまさに神が遣わした奇跡だ!!」

「お前さ、薬でもやってんの?」


 冷静過ぎるツッコミにごもっともである。

 しかしながらこうしてトランスしたイッちゃった水城が当分戻ってこないことを本人以外は誰もが知っている。何を言ってるのかそもそも何の話をしているのか一切分からないが、触らぬ水城様に祟りなし。


「なに、君も気に入るに決まっている。なんせ私が見込んだ青年なのだから」


 だが残念なことに、触らなくとも祟りがあるのが水城様である。


「ああ、端的に言うと彼は──」


 上機嫌な様子で目的の部屋の扉の前に立った彼女は、ただあっけらかんとこう言って笑った。


「私の右腕を、斬り落とした男だよ」

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