狂心少女パラノイア③

「ふむ、牢の方が騒がしいな」


 地下へと続く階段を降りる。何やら奥からぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる声が聞こえる。説明を求めて隣を見るが、私を支える部下は困惑を顔に貼り付けていた。


「尋問の為に人を送ったのですが……」

「その割には複数人が大騒ぎしているように聞こえるがね。それとも、悲鳴を上げながら捕虜を尋問するような特殊な性癖の持ち主ばかりを集めたか?」

「御冗談を」


 牢が居並ぶ通路を溜め息を吐きながら歩く。それとは対照的に、背後からついてきていた者達はすっかり怯えてしまい階段付近に置いてくる羽目になった。一方で諦めたのか私の隣を歩く男だけは淡々とした様子である。まぁ、私の杖代わりをしている為に逃げられないのもあるだろう。


「さて……何の騒ぎだ?」

「み、水城様!! お助けを……!」


 目当ての牢に辿り着いた時、まず手始めに頭痛を覚えた。

 ……何故、見張りを外に一人も置かず全員仲良く牢内にいるんだ? しかも扉まで閉めて。

 この場所は相当暗い上に一つ一つの牢が何故か無駄に広い為、牢の奥は何も見えないと言っても過言ではない。ただ鉄格子に縋り付いてみっともなく涙を流す者達を見るに、あまり良い状況ではないらしい。

 左手をそっと格子に伸ばすと、指先に弾かれたような痛みが走った。……成る程、外部からの干渉も防ぐ結界か。こんな芸当が出来る者は私の組織にはいないはずだ。


「阿呆めが。相手が魔術師と分かっていながら何故魔術封じの檻に入れなかった。自業自得だ」

「お叱りは後でいくらでも受けます! だから、た……たすけて……!」

「良いや、そこで反省しているが良い。全く、捕虜に逃げられた上に反対にぶち込まれるなどと……」


 大方、例え魔術で反撃されようとも何とか出来るという傲慢な考えがあったのだろう。自分達が用意した牢屋から出られなくなっているのでは世話はない。

 それにしても牢に閉じ込められた程度でここまで取り乱すとはなんと情けないのだ。こんな間抜け達に構っている暇などない。現状を見るに、かの青年は逃げたのだろう。だがまだそう遠くには行っていないはずだ。今ならまだ見つけられる。

 しかし、そうやって踵を返そうとした私の足を牢から伸びた手が縋るように掴んだ。


「ちがっ……!! 俺達の後ろに! 水城様、どうか」

「お許しを! 死にたくない……! 私はまだ死にたくない!!」


 は? と首を傾げた、その直後のことだ。闇に沈む牢屋の奥からつんざくような悲鳴が響き渡った。

 ぎょっとする私と隣の部下を余所に、目の前の男達がますます顔を蒼白にする。小さくなっていく叫び声は、徐々に呻き声へと変わる。辛うじて腕がどうこうと呟いているのは聞こえてきた。

 目を凝らす。暗闇の中にぼんやりと浮かんでいるのは──二つの赤い光。


「おお!? おお!!」

「み、水城様いけません! クソッ! またいつもの御乱心だ!!」


 なんということだ! 思わず身を乗り出して鉄格子を掴む。バチバチと電流が走ったが、知ったことか!

 隣の男が慌てて詠唱を始める。魔術で無理矢理にでも引き剥がす気か。そう思ったものの、どうやら違ったらしい。掌ほどの大きさの光の玉が無数に周囲に浮かび上がる。

 柔らかな光が牢屋の中まで届き、我々は目の前の彼らが何に怯えていたのかを理解した。


「白い、鬼……」


 横で呆然とした声がそう呟く。それに釣られて思わず格子から手を離してしまった。ふむ、掌が焦げたな。しかし今は良い。

 牢の最奥で幽鬼のように佇んでいるのはあまりにも白き青年だった。その足元には数人の男が転がっている。僅かに痙攣しているので死んではいないようだが、誰も彼も手足が有り得ない方向に向いていた。……砕かれたか。

 さて、そんなことははっきり言ってどうでも良い。重要であるのは一つのみだ。


「なんだ、ちゃんといるではないか! 君! こっちに来なさい!」


 水城様!? と叫ぶ部下達は無視である。私の声に反応して青年の首がゆっくりとこちらを向く。伏せられた睫毛すら白く長く、だからこそ瞳の赤が異様に映える。その神々しさが見た者に畏怖を与えるのかもしれない。

 ……しかし、何故だろう。感情が抜け落ちた彼の赤い目を見た途端、そこに深い悲しみが宿っているかのように思えたのは。

 その理由を考えてみようとしたが上手くいかなかった。周囲が言うに私は人でなしらしいから、彼の気持ちに寄り添ってやることなど出来ないのだろう。

 血のような赤い目と視線が絡む。とりあえず他にすべき事も思い付かないので、私は今の思いを伝えてみることにした。


「そんなところで何をやっているのかね。君はあの時の私の話を聞いていたのか? 君はもう私の物だと言ったはずだ、青年! 心配せずとも出来るだけ希望に沿った部屋を与えようではないか。なんせ私はとても優しいからね。それともここを君の部屋にするつもりかい? やめておいた方が良い。お世辞にも住み心地が良いとは言えない。まぁ私は君の意思を尊重するが、それにしても埃っぽいしカビ臭いし何よりそこら中の血の跡は取れないしで」

「み、水城様?」

「何だ? 邪魔をするでないよ。私は今忙しい」

「そうではなくてですね」


 何がそうではないのだ。

 隣の男は遠慮がちに牢の奥を指差した。件の青年は何故か一番隅に移動している。彼は私の顔を見ながら、なんとも表現し難い顔をした。


「あの時の……頭のおかしい女……」


 ……聞き違いか?


「まぁ水城様が少々アレだというのは否定出来ませんね……」

「お前、顔は覚えたからな」

「それよりも、怯えてませんか? 何をしたのです」


 何かされたのは腕を奪われた私ではないか?

 それに怯えているだと? まさか。彼は私の心優しい提案に感動しているだけに違いないのだ。あまりに心外である。

 腹立ち紛れに鉄格子を軽く蹴ると、ギィ……という音を立てて扉が開いた。


「何だ、開いているではないか。やはり私を歓迎しているのだ」

「いや、多分水城様に驚いて結界を解除してしまったのではないかと……聞いておられますか? 水城様? ──ああ、もう! おい! 誰かあの方を呼んでこい! もうお戻りになっているはずだ!」


 何やら騒がしい付き添い人に持たせていた魔導具の杖を奪い取ってから中へと入る。

 五体満足な者達は我先にと牢の外へ飛び出していった。そこらに転がっている連中が邪魔だな。ついでに運び出してくれれば良いものを。

 カツン、と足音が立つ。一歩ずつ青年へ近付くと、彼はそれ以上退がることも出来ないのに後退りしようとしていた。ふむ、どうにも恐縮しているらしい。私はこの組織で一番偉いので致し方ないことだが。

 しかし、それを差し引いても様子がおかしいな。緊張のあまり挙動不審なのかとも思ったが、顔色が白を通り越して酷く青白い。呼吸も浅く、正常とは言い難い。ふらついているように見えるのは気の所為ではないと思う。


「……青年。君、魔力は足りているか?」


 返事は無かったが、確信があった。元々が魔力不足で昏睡状態にあった青年だ。意識が戻る程度には魔力が戻ったとは言え、本来は魔術を行使出来る状態に無い。だがあの結界やこの燦々たる有様を見る限り、ただでさえ少ない魔力を使ったのだろう。それでは魔力がまた切れるに決まっている。

 しかし後先考えない行動だな。恐らく部下達を殺しでもして魔力を奪うつもりだったと思われるが。そこに私が来て手を止めた、ということか。


「ほら、そんなところにいないで出ておいで。魔力なら部下達に用意させよう。ここは暗いし、寒い」


 そういう場所は心の健康に良くないらしい。私は別に何とも思わんが。むしろ過ごしやすいまである。

 しかしこの青年、ちっとも喋らないな。出会った時もそうだったが口数が少な過ぎて情報が一切入ってこない。ふむ、そうか。恥ずかしがり屋なのだな。


 ここまできて魔力切れなどで死なれては困る。困るが、片腕を失ってただでさえバランスを崩しやすい今の私では強引に連れ出すことも出来ない。暴れて逃げられては敵わないので本人の意思で牢から出てもらうしかないのだが、牢屋が気に入ったようだしどうするか。


 もっと親密になるか? そうすればここから出たくなるかもしれない。

 いや、もういっそ弱みでも握って脅すか。面倒になってきたし。

 幸い杖はある。【ミミルの知恵】ならすぐに起動出来る。


「【ミミルの知恵】」


 杖の先端を青年に向けてそう呟く。白い青年は一瞬、ビクリと肩を揺らしたがそれだけだった。

 瞼の裏に『情報照合中』だの文字が浮かぶ。いつものことながら妙にシステマチックだ。この魔術は本当に仕組みも何もかもよく分からん。しかし役に立つので文句は言うまい。

 これで彼の名前やら過去やらが一気に映し出される。

 はずなのだが。何故かいつまで経っても照合が終わらない。それどころか理解の出来ない文字列が並んだ。


『──……&j>o#による術式の破棄を確認。【ミミルの知恵】を停止』

「……は?」


 なに?

 青年の仕業……ではないな。発動済みの魔術を強制停止させることは不可能ではないが、それもまた魔術の一種だ。無論、常軌を逸した技量がいる事も事実だが。今の彼には魔力が無い。しかも【ミミルの知恵】の発動が止まるより前に彼の体は床に崩れ落ちた。気を失ったのだろう。


 しかしだとすれば何だ、これは。

 混乱する頭で考える。【ミミルの知恵】の停止権限を持つのは発動者である私以外にはあり得ないのに。

 破棄。私の意思でも、まして何らかの魔術的妨害でもない。しかも一番重要な部分が文字化けのようになっていて何を示しているのかが不明だ。

 これではまるで、得体の知れない何かが強引に【ミミルの知恵】を停止させたかのようではないか。


 そこまで考えたその直後──背筋に、とんでもない悪寒が走った。


『……──お前、誰の許可を得てに手を出しやがった?』


 僅かに、呼吸が止まる。咄嗟に視線を彷徨わせたが声の主の姿は無い。

 脳に直接響くその声は地の底を這うように低く、凄まじい怒気に満ちていた。心臓を直接鷲掴みにして捻り潰されたかのような異様な圧を感じる。それでいては何処か聞き覚えがあるかのように錯覚したのだから妙な話だ。


『泳がせておけば、図に乗りやがって。人の身でありながら世界の理を踏み躙り、──』


 ぐわん、と声が響く。青年と対峙した時とはまた違う、明確な死を連想する。一瞬、私は本気で死んでしまったのではないかと思ったほどに。


『とうの昔にお前は神の慈悲を超えていることを、思い知らされたいらしい』


 ……否。一歩間違えばその予感は杞憂で済まなかっただろう。そう直感するほどに、その声には本物の殺意が宿っていた。

 心臓が縮む。全身が総毛立つ。首を絞められているわけでもないのに、酷く息苦しい。


 そう、その時私は、確かに終わりを覚悟したのだから。


「──ミズキ!」


 久しく聞いていなかった気がするその声が背後から飛んでくる時まで。

 それと合わせて私を縛り付けていた緊張感が静かに霧散する。


「……秋人」


 その名を呼んで振り返る。

 耳元で舌打ちのような音と、先程と負けず劣らず怨嗟に満ちた声が聞こえた気がした。


『よくも邪魔を』『あと少しだったのに』──と。


(しかし……これは、)


 駆けてくる秋人の顔を見て、ふわふわとしていた意識が明確になる。それと合わせて周囲を見渡してみると燦々たる有様だ。可愛い部下達がゴミのように地面に転がっている。ちゃんと全員生きているのだろうか?

 ふむ、少々興奮し過ぎて諸々の配慮を忘れていた。


 怒られるな、これ。


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