怪物アンロジカル①

 あれはもうどれくらい前のことだっただろうか。


『ああ、まるで、人間みたいに振舞うのね』


 地獄から這うような、怨嗟の言葉が紡がれる。

 かつて「ずっと一緒にいてね」と、鈴のような声で笑った口から。


『あんたがいなければ良かった。そうよ、あんたと出会わなければこんな事にはならなかった』


 向けられる憎悪の眼差しを知っている。

 だけど、この少女から向けられる日が来るだなんて思ってもいなかった。


『あんたの所為よ。どうして、あたしの前なんかに現れたの。どうして、兄さんが死ななければならなかったの。どうして、死んだのがあんたじゃなかったの!?』


 両腕に兄の亡骸を抱きながら、少女は呪詛を吐き散らす。彼女の周囲の床に描かれた魔術式──否、魔法陣に魔力が灯った。

 その魔術の正体を知っている。だって、かつて自分が教えたものだったから。

 反射的に伸ばした手は、明確な拒絶の意思を持って弾かれた。


『馬鹿みたいね。この先も人間の真似事を続けるつもりなの? あたし、あんたを許さないわ。あたしから兄さんを奪ったあんたを、永遠に許さない、この──』


 瞬間、魔法陣が燃え上がる。少女と、兄の亡骸を巻き添えにして。

 二人は、炎に呑まれて崩れていく。災禍の火が、を呑み込んでいく。


『化け物が』


 最期に目が合った彼女は、酷薄な笑みを浮かべてそう吐き捨てた。



 その瞳が流した一筋の涙の意味を、今でもまだ分からずにいる。


 ♦︎


「貴様、何者だ。何故あの村にいた? あの場所で何をしていた」


 首筋に突き付けられた刃先を、はすっと見下ろす。脅しのつもりだと言うのなら、カタカタと震えているそれは落第点だろう。

 分かりやすく怯えている割に、こんな懐まで入り込んでくるとは驚きを通り越して呆れてくる。古びた鉄格子に囲まれたこの部屋は、見た限り牢としての機能を持つようだが……尋問が目的なら格子の外から行えば良かったのだ。

 そんな事を考えながら、彼は皮肉げに口元を歪めた後、目の前の男達に視線を戻した。そのうちの一人が彼に突き付けている剣の形をしたそれは、恐らくは魔導具だ。見た目の割に本体に殺傷能力は無い。どうせなら本物の剣を向けて見せれば良いものを、と彼は思う。もし仮にそうなったとしても恐怖を覚えることなどないが。


「何が、可笑しい」


 馬鹿にされたと思ったのか──実際、その通りなのだが──魔導具を握る若い男は顔を顰めた。男は「質問に答えろ」と低く囁く。


「貴様が彼の方を傷付けたのか……?」


(彼の方?)と彼は首を傾げる代わりに僅かに身動ぎをした。それに釣られて両手と両足に付けられた枷がじゃらりと音を立てる。目が覚めた矢先、牢屋らしきものに放り込まれているかと思えば拘束具のおまけ付きだ。空っぽだった魔力は何故か気休め程度に補充されていたが、それにしても寝起きでさえなければ腹立たしさに任せて手枷と足枷を引き千切っていただろう。ついでに、目の前の連中の首も引き千切っていた。

 なのでどちらかと言うと状況を尋ねたいのはこちらの方だ──そうやって取り留めもないことを考えつつ、彼はただぼんやりと無言を貫く。その態度が腹に据えかねたらしき男達は目に見えて殺気立った。


「答えろ! 返答によってはこの場で処刑する!」

「いいや、答える必要すらない。殺せ!!」

「こいつが彼の方を害したに決まっている!」


 そうだ、殺してしまえと。そんな声がいくつも上がる。

 ……ああ、馬鹿馬鹿しい。目の前の得体の知れない存在に怯えているくせに、少し群れただけで自分が大きくなったかのように錯覚する。

 羽虫が何匹集まったところで所詮虫けらに過ぎないというのに。

 そう考えるとどうしても笑えてしまう。殺してしまえ? 心底くだらない。


 それならやってみると良い──


「……きに、」

「なに?」

「好きに、すれば?」


 それを望んでいるのだと教えてやれば、どんな反応をするのだろうか?


 ♦︎



 小さく絞り出すような声に過ぎなかったのに、耳元で直接囁かれているかのようにその声はよく通った。少年と呼べるほどに幼くもないが、声には若さが残っている。おかしなところなど何も無いはずなのに、何故かただそれだけで男達の背筋に怖気が走った。

 青年の赤い目が細められる。薄暗い牢の中で、その赤だけが異様なまでに鮮やかな光を帯びていた。そう、まるで、血のような赤が。


「こんな魔導具に頼らないと、脅せないんだろう? それでも殺せると言うのなら好きにすると良い。都合良く、こちらはまともに身動きも取れないことだし。……それとも、鎖で繋がれた相手すら上手くほど魔術の扱いが下手なのか?」


 じゃらり。青年の手首を繋ぐ鎖がまた音を立てる。薄く、薄く笑みを浮かべて彼は掌を広げてみせた。表情、という点で見れば。それはきっと微笑ではなかっただろう。あくまでも反射反応のようにして口の端が動いただけ。そう言われても疑問を抱かないくらい、彼が浮かべたそれには感情が乗っていなかった。

 対して、瞠目したのは魔導具を突き付ける男の方だ。ひっそりと足元から忍び寄ってくるのは、恐怖。指先が酷く冷たく感じる。


「焼く……? きさま……何をっ、何故」

「……白々しいな。『火』属性の魔術師なんだろう?」


 ひっ、と喉を引き攣らせたのは誰だったか。自分ではないという確証は男には得られなかった。


「ほら……心臓と、首。どちらも今なら無防備だ。その剣を突き立てて魔術を放てば良い。さぁ、早く」


 囁くように、謳うように、呪を紡ぐように。

 その瞳に歓喜すら宿して。血液を溶かし固めたような赤い目が更に真紅に染まる。そこには得体の知れない高揚が宿る。


 青年は一切の前触れなく、魔導具の刃を右手で鷲掴みにした。突然の凶行に慄いたのは男達だ。中でも魔導具の持ち主は悲鳴にもならなかった引き攣った声を上げて後ずさる。しかし掴まれた魔導具はビクともしない。むしろ刃の方がみしみしと嫌な音を立てていた。岩に打ち付けたところで傷一つつかない魔導具が、だ。


 補足しておくと。

 魔術にはいくつかの属性がある。魔術師によって得意な属性は異なり、それは火であったり水であったり風であったりと様々だ。そして他者の属性を判別出来る魔術師は──その者よりも遥かに格が上の魔術師だけ。この組織においても例え相手が最下級の魔術師であれ元老院の、それも極一部の魔術師以外にそれが出来る人間など存在しない。加えて今魔導具を掲げる彼は、この場にいる他の全ての魔術師よりもレベルが高い魔術師だった。だからこそこうして先頭に立っていたのだ。

 そんな彼が、口にすらしていない魔術の属性を看破された。それは即ち目の前の青年の形をした何かはこの場の誰もが到底敵わない領域にいる魔術師だということになる。


「は、離せ……離せッ!! 何をするつもりだ!?」


 半狂乱になった彼は魔導具にしがみ付いたまま喚き立てる。魔術師が魔術を使用するには魔導具が必要不可欠だ。これを奪われては身を守る術が無くなる。それに、相手が自分と同じく火属性の魔術師であったなら? 奪われた魔導具はそのまま相手にとっての武器となる!


 ……本来は尋問する側にいるはずの彼の思考が既に被害者のそれになっていることには彼自身気付かずに、男は必死で考えを巡らせた。

 背後で同じくパニックになっている者達がもたもたと懐からそれぞれの魔導具を取り出そうとするが、遅い。


 そうだ、致命的なまでに遅過ぎる。だって早く、早くしなければ。目の前にいる存在が、化け物か何かのように見えて仕方がなかった。こんなものは相手にしてはいけない。首元に死神の鎌を突き付けられているかのような恐怖が全身を脅かす。どうして俺はこんな所に来てしまったんだ。何で俺がこんな奴の前に立たなきゃいかなかったんだ。だってこいつらが、違う、選んだのは自分で、何で。どうして。時間が無い。駄目だもう間に合わない。今すぐに何とかしないと








 ──!!








「あ、ぁああアァああッっ!???」


 絶叫と共に、男はほぼ反射的に己が最も得意とする魔術を起動した。何か考えていたわけではない。頭に浮かんだ魔術式にそのまま魔力を流しただけ。それは一種の防衛本能が働いた結果だった。

 手にしていた魔導具の補助を受け、魔術式を巡る魔力が爆発的に膨れ上がる。恐らくは彼の人生で最大規模の魔術であっただろう。後先を考えずに、持ち得るほぼ全ての魔力を注ぎ込んだ。

 魔導具の刀身がドス黒い炎に呑み込まれる。無論、それを掴んだままだった青年の白い腕すらも捕食するようにして。

 度肝を抜かれたのは他でもない、魔術を放った彼の方だ。異常な勢いで立ち昇るこの火柱の収め方など彼は知らない。火に炙られた肌が痛みを訴えている。

 腕だけでなく青年の全身すらこの焔は焼き尽くしてしまうだろう。尋問予定だった捕虜をその場の勢いで殺してしまった。きっと水城様にもお叱りを受ける。ああ、だけど、


 俺は、助かったんだ。


 そんな安堵が込み上げてきた彼はその場にへたり込んだ。その拍子に手放してしまった魔導具はまだ白い腕が掴んでいる。溶けた皮膚が張り付いて離れないのだろう。そんな嫌な予想が脳裏を過ぎり、自分が冷静ではないことだけは自覚した。

 誰かに火を消させないと──そう、自分に言い聞かせた直後のことだ。


「──……何だ、弱いな」


 ふ、と。

 視界を埋め尽くしていた赤黒い焔が、音も無く消失した。肉が焼ける臭いすら無い。いいや、初めからそんな臭いはしていなかったように思う。

「は、え?」と間の抜けた声を上げる彼の前には白い青年が座っている。先刻と一切変わらぬ姿で、否、その表情だけは先ほどとあまりに違っていた。狂気を宿して爛々と輝いていた瞳から感情は消えている。その顔に浮かぶ表情は、何か耐え難いほどに下らない茶番を見せられたかのようなつまらなそうなものだ。


「……この、程度で。殺すだとか何とか、息巻いていたのか?」


 かくん、と首すら傾げて彼は呟いた。

 脚を捥がれて地面で無様に蠢く昆虫を眺めるような目で。自分と同じ生き物を見る目ではない。その目には殺意など微塵も浮かんでいない。だけど、男はその時確かに実感した。


 目の前にいるものは、死の権化だ。


「ひっ、あ、ぁああ……な、何で……何でぇっ!?」


 何で無傷なんだ。

 何でそんな真似が出来るんだ。

 しかしその叫びは言葉にはならず、男はそのままずるずると後ずさる。


 殺される。理由は分からないがこのままでは殺される。

 発動済みの魔術を、同規模の魔術をぶつけて打ち消すならともかく何の詠唱もなく搔き消すなど人間業じゃない。それに身体検査は済ませたはず。魔導具らしきものなんて待っていなかった、魔導具無しで魔術を使える魔術師なんて聞いたことがない!

 何かトリックがあるのだとしてもそれが看破出来ない時点で自分では絶対に目の前のこれには敵わない。……彼は比較的優秀な魔術師だった。ゆえに悲しいかな、魔術という側面において手が届かない領域があると完全に理解出来てしまう。

 だからこその恐怖が、絶望が全身を縛り上げる。

 彼の背後でガチャガチャガチャ!! と耳障りな音が鳴り響いた。牢の中の誰も彼もが扉に殺到しているのだ。しかし、そこは無情なまでに固く閉ざされている。


「あ、開かない!? 開かない! クソッ! 誰が閉めやがったんだ! 鍵を出せ!!」

「鍵なんかかかってねぇよ! でも開かないんだ!!」

「こ、これ……結界だ……結界が張られてる……!」


 誰かのその言葉に、全員の視線が一点へと集中した。

 その視線の先で、じゃらり、と鎖が音を立てる。

 白く、白く、白い。悍ましきまでの純白の青年。その中で唯一の色彩を放つ彼の赤い目が、答えを示すかのように細められる。それを引き金として彼らは火が付いたように騒ぎ出した。

 何とか牢をこじ開けようとする者。掴み合って相手を盾にしようとする者。恐怖で既に気を失っている者──。


 そうやって恐慌状態に陥る彼らとは対照的に、酷く落胆したのは青年の方だ。

 何も仕掛けていないのに勝手に怯えていた彼らへのちょっとした意趣返しのつもりだったのだが……これではただ不愉快なだけだ。一人でも向かってくる者がいれば話は別だったものを。


(……彼らから魔力を奪って、さっさと出よう)


 バキリ、と手の中の魔導具の刀身が砕ける。ついでとばかりに手足の枷についた鎖も引き千切った。砂糖菓子ほどに脆い。どうやら何の変哲も無い作りをしていたらしい。とは言え、指ほどの太さがある鉄の鎖である。砕け散ったそれを見て男達が余計にパニックになるが、青年はそんな事は気に留めなかった。


 そのうちに、誰だったのだろうか。恐怖を顔に張り付けた中の一人が震える声でこう呟く。


「ば、化け物……」


 その瞳には恐怖と絶望の他に、もう一つの色が混ざり込んでいた。

 憎悪だ。

 目の前に存在する理不尽への怒り。自分が突如としてこんな目に遭うことへの憎しみ。


 目の前の存在を、人でないと拒絶するその目は。


「────………………」


 ……ああ、雑音が五月蝿いな。


 化け物、だなんて。




 お前達が、勝手にこんな所に連れてきたくせに?


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