第二章

狂心少女パラノイア①

 『人を喰らう鬼が出る』


 そんな馬鹿げた報告書を読んだ時、思わず一笑に伏した。最近、諸々が順調だから良かったもののそうでなければ破り捨てていただろう。これを作った者も張り倒していたはずだ。


 何でも、“銀の星”管理下にある村が次々にその鬼とやらに滅ぼされたらしい。

 女子供問わず、村民は全滅。村からの緊急信号を受け慌てて様子を見に行った者が目にしたのは、鮮血を浴びてなおも白く輝く鬼だったという。その鬼は人の血肉を喰らい、今日もまた生贄を探して彷徨っている──……。

 

 こんなものを報告書として提出するだなんて、担当した者は一体何を考えているのか。……こき使い過ぎているか? 可愛い部下達からの過労死寸前だというサインなのかもしれない。

 だがこれではまるっきり民謡や御伽噺の域ではないか。しかも何故物語風に纏めている。さては小説家気取りの阿呆がいるな。

 私は村が滅んだ原因を究明し、解決してこいと言ったはずだ。


「全く……」


 しかし、面白みもへったくれもない文書が居並ぶ中でこの報告書だけが一際異彩を放っているのもまた事実。切り捨てるのは簡単だが、それはあまりにも芸がない。


「目的は何だ? 警告……ではないな。全滅させる理由が無い。殺すことそのものが目的か──別に理由があるか」


 もし仮に鬼が実在するとして一見すると私の組織に喧嘩を売っているだけのようにも取れる。……が、どうやらうちの管理下にある村だけでなく周辺が出鱈目に襲撃されているらしい。その中にたまたま“銀の星”管轄下の村が含まれていたという見方が正しいのだろう。


「鬼などと下らない。下らないが、」


 面白そうだ。

 鬼の正体はさておき、現に、人死にが出ていることに変わりないのだから。直に調査依頼も来るだろう。あの辺りは複数の国の国境付近だ。

 こういうのを放置すると各国のお偉方から突き上げを食らう。自国で対処する気も無いくせに騒ぎ立てる臆病者どもめ。魔術に傾倒しておきながらも超常現象を畏れるのだから情けない限りだ。

 それにこの組織の管理下にある土地であれば、御影の当主たる私が見に行くだけの正当な理由となる。理由などなければ作るだけだが。しかしながら口煩い側近が多いので予防線は張っておくに越したことはない。どいつもこいつも、人を舐め腐りおって。


 さておき、そうなれば善は急げだ。


「出掛けてくるよ。何かあったら秋人辺りにでも頼ると良い。もしもの時は通信用の魔導石で呼ぶように」


 部屋の外に控えていた部下に言付けて魔導具である杖を手に取る。

 いくら組織の管轄にある土地とは言え一人で出歩くなと秋人にはしつこく言われているが……まぁアレの心配性は病気のようなものだ。知ったことではない。彼奴がくどくどと説教臭いことばかり言うから側近どもまでねちねち言ってくるのだ。私を誰だと思っている。


「いや、秋人様は確か遠征に……というか、どちらへ?」

「鬼退治だ」

「は? お、お待ちください! せめて護衛を……水城様!!」


 間の抜けた声を上げる部下を残して瞬間移動用の魔導石を取り出す。

 向かうべきは廃村ではなくその周辺でまだ襲撃を受けていない村だ。

 該当する土地で、ややこしい手続きを通さずとも今すぐ行ける場所は一ヶ所だけ。確か随分昔──少なくとも私が御影の当主になるより前、組織から追放処分を受けた者達の子孫の集落だ。

 そこで張り込めば運が良ければ鬼とやらに出会えるかもしれない。



 ……かくして、運を天に任せてある村へと足を運んだ私だが──そこで目にした光景に、息を呑むこととなる。久方ぶりに組織の外を拝んだから、ではない。


「これは……凄まじいな」


 そこには、村と呼べるものが残っていなかった。


 焼け野原と化した土地を村と呼ぶのであればともかく、目の前には焦土が広がっているだけだ。

 そして、夥しいほどの死体の山も。むせ返るような鉄臭さと、髪や肉が焼ける嫌な匂いが鼻腔を侵す。ほとんどの骸は原型を留めておらず、手足や頭がめちゃくちゃに散らばっている。靴の底に伝わったぶよぶよとした感覚の正体を考えるのは──やめた。


 ……なんと勿体無い。ちゃんと形が残っていれば良い素体になるのに。これではただの生ゴミに過ぎないではないか。


 部下からの通信を知らせる魔導石がけたたましく鳴り響いている。

 SOSを知らせる緊急信号を受けたのだろう。それを私に知らせようとしているに違いない。

 だが、手遅れだ。この地には救うべき人間が残されていないのだから。


「……」


 しかし私が目を奪われたのは、心を惹かれたのは、そんな事ではなかった。

 そのような些細な事はどうだって良かった。

 まるで池のように広がる血溜まりよりも、積み重ねられた死体よりも、何より。

 

 たった一つ。生きた人間が消えたこの地で一人佇むその影に、私は意識を奪われていた。


「……ああ、」


 成る程、確かに。そこにいたのは若い男の形をした鬼だった。

 血に濡れた風貌で、亡霊のように立ち尽くしていたのは一人の白き鬼だったのだ。


 鮮血に染まり、それでも白く浮かび上がる肌と髪。熟れた果実よりも赤い両の瞳。こうして直接目にしていてなお、視界に映るものが私と同じく人であると断ずることは出来そうにない。それほどまでに悍ましく、そして、美しい。

 

 ああ、人を喰らう鬼とは。よく言ったものだ。成る程確かに、血が滴る剣を握るそれは──青年の形をしただけの悪鬼だった。


「君が、くだんの人喰い鬼か」


 考えるよりも先に口が動く。

 吐息を吐くように問い掛けても、鬼は答えなかった。心臓が奇妙なまでに高鳴っている。これは、この感情は、一体何だ。


 この得体の知れない高揚感は、一体。


「この者達は……君一人が殺したのか」


 答えない。


「他の村を襲ったのも」


 答えない。


「君のような若者が、何故、こんな」


 答えない。素振りすら見せない。

 まるで心ここに在らずとでもいうように、彼はぼんやりと空を仰いで虚空を見つめている。

 正体不明の化け物を前にしている。そう理解していても、不思議と恐怖は抱かなかった。

 地獄と化しているこの場所が感覚を麻痺させたのか、それとも……この時とうに、私は鬼に魅せられていたのか。


 ぽつり、雨が降り始める。

 贖罪の雨のような気がした。理由は分からないが私には鬼が──彼が、泣いているように見えたからだ。

 泣きそうな顔で、だけど泣くことも出来ずに立ち尽くしている……迷子の子供のように。


(ああ、とても、)


 何故だろう。悲しく思えるのは。

 だってこの雨は、きっと何も消してはくれない。

 血溜まりは洗い流れても、鉄の匂いは薄れても、が犯した罪は変わらない。

 それがどうしようもない悲劇のような気がした。


 だから一言だけ、私は呟いたのだ。


「君は、可哀想だね」


 この感情の正体を、私は知らない。


 ♦︎



 直後、私の右腕がぼとり、と地に落ちた。


 噴き出す鮮血を浴びながらこちらに剣先を向ける鬼の、怒りと嘆きで歪んだ赤い瞳を──今でも忘れることが出来ないでいる。



 ♦︎


 腕を斬り飛ばされたと、そう理解するのに時間は要らなかった。まさに刹那の出来事だ。剣技に覚えのある私の目でも、一切捉えられないほどの。

 間合いまで踏み込まれた? 馬鹿な、今とてこんなにも距離が離れているのに?


 その上でこの肌が敏感に感じ取ったのは、身の毛もよだつような悍ましい殺気。首筋に死神の鎌を突き付けられていると思しき、尋常ではない殺意がこの身を縛る。


 まるで、死の権化。


 死という概念がそのまま具現化して立ちはだかっているような錯覚が全身を駆け抜ける。思考だけでなく手足まで痺れるような感覚があった。

 しかし、あんなにも恐れていた死を目前にして、私は恐怖を抱かなかった。むしろ、これは何だ? 


 そうだ、そうだこれは──歓びだ。私は歓喜すら覚えている。

 落ちた右腕を蹴り飛ばす。もうこんなものなど必要無い。


「悲しき鬼よ。否、鬼と呼ばれし青年よ! 君は人を殺し、その先に何を求める?」


 問い掛けに、鬼の赤い瞳がぐっと色を増した気がした。何かが彼の胸のうちを刺激したのだろう。何が彼の興味を引いたのかは分からないが。


 私だって、人くらい殺す。私はそれを罪とは思わない。私の悲願の前に、数多の命の価値など些細なものだ。そして死んでいった者達とて、私の偉大なる実験の役に立てたのだからあの世で感激に震えているに違いない。

 では、目の前の鬼が命を奪った理由は何か?


 仕込み杖の刃を向ける。……ふむ、弱った。毒を拭う為の腕が無い。うっかり掠れば殺してしまう。

 私の利き腕を奪った鬼は、やはり口を開かずにいる。そっちがそのつもりなら、私も好きに喋らせてもらおうではないか。


「良い、実に良いね、君は。最高だよ。私は君のような者を待っていたのだ……!」


 それにしても、傷口からは当たり前のようにドバドバと出血しているのだが痛みを感じない。どうやらアドレナリンが分泌され過ぎておかしくなっているようだ。これはいけない。意識を失う前に、何としてでも私のこの燃えるような思いを彼に伝えなくてはならない。


「ふっ、はは。ははははは!! 決めたぞ、青年! 君は私のものにする! そうだ、君はもう私のものだ! 安心し給え!! 例え私が死んでも連れ帰ってやるぞ!」


 む? 何故か青年が一歩下がった気がするが、まぁ気の所為だろう。それか私の言葉に感動したあまり後ずさったのかもしれない。現に、先程爆発的に膨らんだ殺気もみるみる萎んでいく。やはり私の言葉が胸を打ったのだ。

 何せこんなにも熱心に勧誘しているのだから。彼はもう私の組織の一員も同然だ。あれは既に私のものだ。


「なに、を……」

「何をぶつぶつ言っているのかね。さぁ、私の元へおいで。心配せずとも良い、この村が滅んだのは悲劇だが、私と君が出会う為には必要な犠牲だったのだ!」


 仕込み杖を放り捨て、手を伸ばす。興奮のし過ぎか目眩がするが気にしている場合ではない。


 欲しい。この鬼が。何故かは分からないが、魂が彼を求めている。とうの昔に欠けたはずの私の身体が、この鬼こそが私が求めていたものだと叫んでいる!


 


 ──!


「ああ、やっと見つけた、私の──……」


 徐々に光を失っていく視界の先で鬼の体がぐらりと傾いだ気がした。


 その先のことはよく覚えていない。

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