蒼玉ヘジテイト⑤
腹を括らねばならない、とは感じていた。
六大陸へ戻る為の異界の扉が開く気配は無い。これは六大陸側に問題があるわけではないということは理解している。結局のところ、彼自身に降り掛かる不都合や不条理は全て彼に原因があるのだから。
だから、彼の地に戻るのは諦めた。
ならば何をするべきだろうか。結論はとうの前から出ていた気がする。今も昔も、優先すべきものは一つだけ。
そうして日々を過ごすうちに、いつの間にか一年という月日が流れていた。
「どうだ! 立派なレディに見えるかい?」
「いや、いつもと変わらずちんちくりんだよ」
胸を張る少女にそう返すと、「どうしてそうデリカシーの欠片もないんだ!」と蹴り飛ばされる。ダメージとしては無いに等しいので良いとしても、事実を述べただけで暴力が飛んでくるのは如何なものだろうか。少女──ミズキは赤い瞳を吊り上げてついでに指先を秋人に突き付ける。人目が多いし廊下じゃなくて何処かの部屋で話さない? という提案は無視された。
「いつもと大違いだろう! 見給え! 魔導具を新調したのだ!」
声高に宣言する彼女が振り回しているのは先端に赤い魔導石が埋め込まれた木の杖だ。新調も何も、昨日までの物との違いがさっぱり分からない。馬鹿正直にそのまま言葉にすると確実に癇癪を起こすに決まっているため、秋人は「それは凄い」と肩を竦めた。
「そうだろう! 感激し給え! 魔導石をもっと上等なものに替えて、樹の素材にも拘って作らせたのだ。その上──」
「魔術の威力が上がるとか?」
「む? 何だそれは。そんなはずがないではないか。魔導石や魔導具の質で魔術の威力が上下するのならそも、魔術師など必要無い」
それは秋人にとってどうでも良いことではあるが、どうやら魔術師にとって魔導具を新しくするというのは新品の服に着替えるみたいな意味合いを持つらしい。一張羅を自慢しに来たようなものだろうか。その感覚は全くもって理解出来そうにない。
今日に限って妙にテンションが高いのもそのせいなのだろう。この一年、ミズキが纏う雰囲気はいつも刺々しかった。何らかの出来事が心境の変化を齎したのかも──などと考えて、意識して思考の外に追いやっていた出来事を思い出す。
……奇しくも、処刑人達の死が少女を改めさせたのかもしれない。
「ミズキ、君は──」
「しかと刮目するが良い! この杖は、こうして……見ろ! 外れた!」
「……仕込み杖?」
きゃっきゃとはしゃぐ少女は杖の先端部分を引き抜くと放り投げた。ガシャンッ! と響いた音は魔導石によるものだろう。あれって確かめちゃくちゃ高いんじゃなかったっけ……と秋人は胡乱な目で転がっている杖先を見遣る。割れたりはしていないらしい。でも、あれが無いと魔術って使えないんだよな? そんな扱いで良いの? みたいな気持ちには無理矢理蓋をしておく。
その持ち主であるミズキは、杖から伸びる日本刀のような形状の刀身を振り回して遊んでいた。持っているものの最悪さに目を瞑れば、年相応に子供らしく見える。
「私が剣を持ち歩くのは現実的ではないと言っただろう! この仕込み杖は軽いし、持ち歩いていても不審ではない。これで解決だ!」
「そうかなぁ……」
確かに言ったけども。それは「八歳の少女が剣なんて物騒な物を持ち歩くんじゃない」という意味であって、剣が重くて持てないからとか持っていると怪しいからだとか、そんな実用性の面の話ではない。それに、この少女に剣を持たせたくない理由は他にもある。
(妙に筋が良いんだよなぁ……)
(渋々とは言え)ミズキに剣術紛いのものを指南する羽目になった秋人だが、せいぜいチャンバラの域を出ないだろうとタカを括っていた。というか、相手は八歳児だし。そもそも体格差のせいで打ち合っての稽古など絶対に出来ないし。
だと言うのに、予想に反してミズキはこと剣の扱いに関しては異様に呑み込みが早かった。子供用の木刀を使わせたとは言え、本来なら持ち上げて振ることも難しい。それを容易く振り回すだけでなく、力を加える方向などが完璧なのだ。今とて、仕込み杖を適当に振りかざしているように見えて綺麗な剣筋が通っている──すなわち、物や生き物に当たればちゃんと切れるということになる。
(運動神経はそんなに良いように思えないんだが……なんか、引っ掛かるな)
例えば、剣の才能だけが後からぽんと付け足されたような……そんなちぐはぐさを思わせるのだ。
「なぁ、ミズキ」
「ん? 何かね? そういえば秋人って普通の人間より頑丈だよね。試し切りしても構わないかい? 殺したりはしないから」
「ふざけんな馬鹿」と言いかけてやめたのは相手が見てくれだけは八歳児だからだ。到底信じられないことに悪気は無いのが恐ろしい。首を傾げるミズキに合わせて黒い髪が肩から溢れる。やっと手を止めてくれたため、秋人は僅かな溜息と共にこう尋ねた。
「変な喋り方をする女の子に会ったことはないか? 瞳が赤……というよりもピンク色の。髪はくすんだ金髪だったと思うけど……」
この際、他でもないミズキが変な喋り方だという点は置いておくことにする。もっと特徴を上げることも出来るが、危ない橋は渡りたくない。下手に触れることで呼び込んでしまうかもしれないから。
ミズキは悩む素振りすら見せず、「無い!」と言い張った。
「本当に?」
「組織内にそういった容姿の子供はいない。私は構成員全員の名前と顔を記憶しているからね」
「いや、そういう話じゃなくて……まぁ、無いなら良いか」
「ある」と返された方が厄介だった。ミズキの境遇上、まず目を付けられている。人は思いもよらない才能や奇跡を神様の贈り物と称することがあるが……この世界の理に少なからず理解がある秋人からすればとんだ皮肉だ。
──押し付けられた呪いを奇跡と呼ぶだなんて。
「うーん、これだけでは心許ないな。猛毒とか塗ろうかな……」
何か危険な呟きが聞こえてきた為やんわりと制止しておく。八歳児が仕込み杖を持っているだけで絵面が危ないのに刃に毒を塗り出したらそれはもうお終いだと思う。色んな意味で。
ミズキがたまに息抜きと称して良からぬ実験を行なっているのは知っている。普通の魔術師なら魔術の開発実験に力を入れるのであろうが、彼女は怪しい液体を混ぜ合わせて遊んでいることが多い。一応、目の届く範囲でしか危険物は触らせないように秋人も気を配っているので人的被害は無い。今のところは。
それだけで十分頭が痛いというのに毒物に手を出されては敵わない。
「じゃあ致死毒は諦めるから泡を吹いて失神する程度の毒薬で妥協しようではないか。掠っただけで相手がバタバタ倒れていったら面白くないかい?」
「全然……」
くるりと杖を回したミズキが転がっていた杖の先を拾う。複数人との斬り合いを想定しているらしいものの、どうしてそんな発想が出てくるのかが分からない。というか、そんな大立ち回りをミズキがする可能性はかなり低い。彼女の役目は組織内でふんぞり返っていることであって、現場に出ることではないからだ。
「だってほら、あらゆる事態を想定しなくては。殺されるようなことがあってはならないから」
「……?」
「そんなことより」
ミズキがくるくると杖を回すにつれ、赤黒い魔導石が不気味に光る。一年前、ミズキは組織の全ての人員に【ミミルの知恵】を行使した。ありとあらゆる秘密を暴くその魔術によって、膨大な数の構成員が処分を受けた。彼女が得意とする魔術は【ミミルの知恵】一つだけ。だが、そのたった一つがどれほどの脅威となることか。恐怖で人を縛り付けることを支配者の素質と呼ぶのなら、ミズキほどの適任はいないだろう。
彼女は確かに優秀だった。しかしそれは“銀の星”の統括としてであり──“観測者”としてではない。
「秋人、君、歳を取らないよね?」
別段、その事実は彼にとってひた隠しにするほどのものでもない。どちらにせよミズキには自分が普通の人間とは違うことは割れている。そもそも六大陸の主人達が不老であるというのは有名な話のはず。見た目だけは人と──ただの人間であった頃と何一つ変わらないというのに、どうあっても人間という生き物とは存在が異なるというのは皮肉なものだ。
「まだ一年しか経っていない今ならともかく、あと数年もすれば君の異質さに
少女は愉快そうに笑っている。とっておきの仕掛けを広げて見せるように。
初めて会った時と同じ目だ。彼女は自身の好奇心を満たす為に手段を選ばない。その際に何を踏み付けにしようとも気にも留めない。誰が通るかも分からないこんな通路で話をする理由も、別に秋人を陥れんという意図など無いのだろう。杖を見せびらかしに来たついでに、本当に何となくたった今思い付いたから口にしているだけ。
「例の黒い本とやらは君にとっての第二候補だ。さほど重要でもない。君に必要なのは“銀の星”そのものだろう。あるいは、魔術師か」
……こんな所にはいつまでもいられない。
いつだったか、同じように赤い瞳を見下ろしながら考えたことだ。
帰らなくては。約束を果たさなくては。だけど──。
「君が帰る場所なんて何処にも無いものね」
にっこりと、ともすれば無邪気に見える笑顔で少女は囁いた。
「君って自分のことを話さないだろう? 当然、六大陸の話もしないし。だからてっきり、もう“ご主人様”のことはどうでも良くなったのかと思っていたんだけど。まぁ、そんなわけないか。──君の命なんかよりもずっと大事なんだものね」
……これで悪意が無いのが、心底厄介だと改めて思う。もうすっかり慣れてしまったというよりも、諦めの感情が強い。
諦観の息を吐き、男はこう呟いた。
「……君の考えている通りだよ。彼女を封印している魔術を解除する。その為にはそもそも封印の魔術がどんなものなのかを調べる必要がある。六大陸に戻れない以上、“銀の星”は──彼女を封印した連中が作ったここは、情報を集めるのに適している」
ミズキがまともな魔術師であれば、この瞬間にでもそれこそ仕込み杖で秋人の喉を切り裂いても──そんなことが可能かは別にして──おかしくはなかっただろう。だが、少女は満足げに頷いただけだ。
一年かけてもそんな魔術に関する文献などは見つからなかった。無関係な人間の目に付くような場所には存在しないということだ。だが、魔術師という生き物がそんな歴史的大業に関する資料を一つも残していないというのは考え辛い。
いずれ六人の魔術師の子孫とも接触しなければならないだろう。
「君の主人が封印から解き放たれれば、残る五人も解放されるよ。そうすれば世界はまた混沌の渦に叩き込まれる。君はそういったことを嫌いそうに見えるがね」
答えなど分かりきっているくせに、少女はそう嘯いた。口笛でも吹き始めるのではないかと思えるほどに声は明るい。
「別に構わない。彼女の為に世界が滅びるのなら、それでも良い」
半ば投げやりに言った言葉だが、紛れもない本心だった。……有象無象にかまけてなどいられない。世界が灰になった後でそれでも彼女が笑えるのであれば、彼女の為に世界を焼こうと思える。
「全く、私以外に聞かれないようにね。冗談抜きで火炙りにされるよ。まぁ、それくらい確固たる理由があった方が私としても扱いやすい」
この子供を利用しようと。そう思っていたわけではない。少なくとも一年前は。
なし崩し的にとは言え、世話係となった。だから、二人の家族をほとんど同時に失った少女を哀れに思っただけだ。
ツバキが行方不明になった経緯を随分後になってからミズキの口から聞かされた。本人に自覚は無いようだが、ミズキはこの組織からいなくなった双子の妹は何処かで幸せに生きているはずだということを頑ななまでに信じている。……“外”の常識を知らない当時七歳の少女が、何も持たずに放り出されても生きていけるものだと、そんな夢物語を。
目の前の八歳の少女にとって、“家族”だけは彼女が善良なままでいられる唯一の存在だったのだ。
「正式な構成員として組織に属し給え。そうすれば私の権力で融通を利かせてあげよう。君が歳を取らない件に関しても元老院の連中を洗脳して他の構成員を洗脳するよう命じればそれで済む」
何かが軋む音をずっと前から聞いていた気がした。気が付いていて聞こえない振りをしていただけだ。
そうやって、これまでも多くのものを取りこぼしてきたくせに。
「それともう一つ。秋人、君、処刑人をやらないかい? ちょうど席が空いてしまってね」
そう言って微笑む少女の瞳に、死んだ処刑人達への憐れみの色は見えなかった。
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