追想エゴイズム⑥

 ……ふむ、何処から話すべきか。


 私は宣言通りに元老院の大部分を解体した。処刑に処刑を重ね、悉くを殺し尽くした。組織が立ち行かなくなる可能性も考えたが、そんなことにはならなかった。つまるところ、あんな連中など初めからいなくても良かったということだ。


 もっと早くに殺しておけば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


 処刑用の魔導石がそろそろ尽きるかという頃、私は真っ先にエイダ・クロウリー……つまりは処刑人の後継を指名した。何処の馬の骨とも分からぬ輩を選ぶわけにはいくまい。ゆえに、右京と左近を処刑人とした。母が側に置いた者達だ。問題は無いだろう。


 ……本人達の意思? そんなものは知らん。どうでも良い、私が選んだのだからそれで良いだろう。


 疑わしきは罰せよとはよく言ったものだ。母を死に追いやった直接の原因であろう朱雀院は殺した。だが、その考えに加担した者はまだ残っているかもしれない。或いは、知っていて黙認したような愚か者も。そういった輩はいずれ私にも牙を剥くだろう。背中を刺されるのはごめんだ。


 怪しい者は全て、処分しなくては。


 愚妹から奪った魔力は、さして役にも立たない。どうやら都合良く魔力量が増える魔術でもなかったようだ。まぁ当然か。あれは「後継者にはなれなかった御影の血を引く魔術師」を迷いの森から追い出す為のもの。言うなれば追放の儀のようなものだ。本来であればいずれ私が受けたはずのもの。

 奪った魔力が分かりやすくそのまま糧となるのであれば、もっと悪用されているに違いない。魔術師とはそういうものだから。


 余程のことがない限り──とは言え、そのは最近起きたばかりだが──迷いの森は魔術師以外は入れない。魔力の無いエイダも、魔力を失った椿も、二度と戻ることはない。


 ……愚かな妹。私の片割れ。復讐を遂げる為に、お前は邪魔だった。


 お前は好きに生きて好きに死ぬが良い。せめて、外の世界で。


 そして、秋人だが。初めは半ば脅すようにして留まらせたのだが、彼は自ら私の元を去ろうとする素振りはなかった。元々……何だ、黒い本……? とやらを探すという目的こそあっただろう。しかし、留まる理由も無かった。だと言うのに、彼は組織の統括となった私をそれとなく手伝うようになった。それどころかあんなにも難色を示したくせに、剣術も教えてやるなどと宣う。何故かと問えば、答えもせずに曖昧に笑った。


「せめて、お前が大人になるまでは」だなんて。


 じゃあ、私が大人になってしまったら、君もいなくなるのか。




 私の周りの人間はみな、愚か者ばかりだ。そして愚かだからこそ誰もがいなくなる。


 父は自死した。愚かだったからだ。

 母は死んだ。愚かにも、母自身でなく私達娘を優先したから。

 エイダと椿はいなくなった。追い出した。愚かなあの二人は、私の選択を望まないだろう。それでは邪魔になる。母を殺した連中を裁く邪魔をされれば、私はきっと妹でさえ殺した。

 朱雀院達は処刑した。あんな愚かしい連中、生かす価値すらない。


 愚者は淘汰される。当然のことだ。

 どうせいなくなるなら愚か者は要らない。


 ♦︎


「……やり過ぎです、水城様」

「……なに?」


 呆れたような、小馬鹿にしたような声が頭の上から降ってきて顔を上げる。書類の山を一瞥した後、目の前の男を睨み付ける。


「書類を片付けろと口煩く私をせっついたのはお前だろう、メイザース。全く、八歳の幼気な女児になんて真似をさせる」


 報告書などそもそも私が読む必要などあるまい。たかだか魔術の研究一つ取っても報告書が何十枚と提出されるのだ。研究を進めても構わないか、その許可を私から得るために。

“銀の星”だけでなく、大抵の魔術組織は魔術信仰が残る各国から秘密裏に援助を受けている。名目は数が減っていく魔術師の保護の為とのことだが、その対価として我々はある程度は連中の望みを聞いてやらねばならない。保護下に無い魔術組織を潰したりだとか──手綱が握れないことを恐れてだろうが──魔術絡みの犯罪者を処分したりだとか、指定された魔術を新しく生み出したりだとか。

 そのせいで戦闘向きで無い者達は一日中魔術を開発している。何故私がこんな激しくどうでも良い魔術に関するレポートを読まされるのだ。研究がしたいなら勝手にやっていろ。ふざけるな。

 ……と怒鳴り散らした私を宥めすかしたのは他でもないメイザースだ。それでは“銀の星”の統括としての意味が無いと。そも、法に触れなければ好きにしろというのは歴代の統括者達のスタンスだ。そのせいで朱雀院のような阿呆が蔓延ったことを思えば、成る程確かに、必要な仕事ではある。


「そのことではございません。むしろ水城様は書類仕事を溜め込み過ぎです。やり過ぎどころか、やらな過ぎる」


 このクソジジイ、日に日に面の皮が厚くなる。こいつがそれなりに役に立つから良いものの、そうでなければ勢いで処刑しているところだ。そう悪態をつくと、メイザースは大袈裟に首を横に振った。


「書類云々ではなく、粛清の話です」

「……──なんだと?」


 声に剣呑な気配が宿ったのが自分でも分かる。それくらいには不愉快な話題だ。何故私の手元には銃がないのだろう。今手の届く範囲にそれがあったのなら、きっと撃ち殺してやっただろうに。そう言い切れるくらいには、それについては触れるなと再三言い聞かせているはずだ。


「悉くを滅ぼし尽くし、“銀の星”を一新すると。今の上層部は水城様のその御言葉に感銘を受けた者ばかりです。私は、何度もそうお伝えしました」

「……それで?」

「その筆頭でもある、蘆屋の一族の長を処刑した理由をお聞かせ願えますかな?」


 なんだ、何かと思えばもう三日も前の話ではないか。何を今更。

 蘆屋の長──名前は忘れたが──は右京達に命じて処刑した。理由など、隠すほどのものでもない。もっとも、聞かれなかったので今まで誰にも教えていないが。


「あれの甥に不穏な動きがあった。問い詰めれば、あれは甥はまだ若いから見逃せなどとほざく。それもまた一理あるだろう。だが、一族の長たる者が下の者を制御出来なかったのは事実」


 だから殺した。甥を売るほど分かりやすい男であれば追放で済ませても良かったが、致し方あるまい。身内の不正を告発出来ないような者は元老院に向かない。


「……私が伝え聞いた話とは少々異なるようですな。その甥とやらは、任務の最中に現場に居合わせた民間人を守る為に許可なくては使用出来ない魔導具を無許可で使用したと。蘆屋の長はそれで命まで奪うのはあまりに酷だと抗議したと聞きましたが……」

「それの、何処が異なる?」

「はい?」


 何を言うのだ。よもやこの男がここまで頭が悪いとは!

 一年も側に置きながら気付かなかった。私の目も知らぬ間に随分と曇っていたのだろうか?


「私の話と何の矛盾点がある。禁止されている行為を行ったというのはつまり、叛逆の意思があるということだ。罪に大小は無い。罪を犯したか否か。ゆえに不穏分子は処刑せよと命じたのに、蘆屋の長はごちゃごちゃと……ならば代わりにお前が死ねと、そう言ってやった。それだけの話ではないか。お前は何に拘泥している?」


 全くもって腹立たしい。やはりこの老いぼれも処分すべきか。殺しても殺しても、私の組織が良くならないのは何故だろう。もしやこれでもまだ足りないと? 処刑した連中の死体を見せしめに磔にでもしてやれば、余計なことを考える奴らもいなくなるのではないか。


「水城様」


 回り始めた思考に余計な声が挟まる。

 鬱陶しい。


「貴女は恐ろしい化け物になろうとしている。サナギが羽化する手伝いをした老いぼれの言えたことではないが、それはいけません」


 知ったような口を叩く。奇しくも、一年前のこの男の言葉が思い出された。朱雀院という名のサナギを、焼けと唆した身でよくもそんな。

 メイザースめ。よもや、貴様も愚か者であったとは。

 私を見下ろす深緑の瞳を睨め付ける。とんだ詐欺師だ。まるで本当の忠臣のような真摯な表情を浮かべてみせるではないか。

 せせら笑う私に、メイザースは深く頭を下げた。痛ましいものでも見るかの目つきに、大した演技力だと嘲ってやりたくなる。


「お伝えしたいことがございまして、参りました。蘆屋の話ではありません。右京と左近のことです。私は、申し上げたはずです。このようなことを繰り返しては処刑人達が参ってしまうと。無為の殺戮を重ねれば、どちらが悪か分からなくなる。……右京達の言葉に耳を傾けたことはございますか?」


 右京と左近の言葉? そんなもの。

 あの二人は母の忠実な部下だった。であれば、私があの二人を使うのは当然のことだ。


『当主様。お考え直しを! これでは、まるで──』


 ……ふむ、彼奴らはなんと喚いていたのだったか。覚えてなどいない。思い出せないのならば、大した言葉でもないということに他ならない。


『貴女を、憐れに思いお仕え申し上げて参りました。ですが、これはあんまりだ。紅葉様がどれほど嘆かれるか……』


 ──死者が嘆くなどと馬鹿馬鹿しい。

 ああ、そうだ。死ねば何も残りはしない。

 メイザースが再び私を呼ぶ。私を名で呼ぶ者も随分と少なくなった。左近達もいつの間にか当主様と呼ぶようになった。


 目の前の老人は、口重そうにこう切り出した。




「先程、二人が自室で死んでいるのが発見されました。側に、遺書も。……毒を仰いだようです」






「……なに?」


 死んだ? 処刑人達が?

 何を言う。一体全体、どんな理由があれば自ら毒を飲むというのか。


「『殺した者達の断末魔が耳から離れない』と。そう書き記されておりました。二人は、処刑人を続けるには善良過ぎたのです」


 理解出来ない。

 不可解過ぎる現状を前に二の句が告げなくなる。私を見つめている緑の目は、酷く凪いでいた。メイザースはこんな目をしていただろうか。私をもっと見下して──否。この男が私を真なる意味で嘲ったことなどあっただろうか?




「私が、悪いと言うのか?」



 まさかこの男は今、私を責め立てているのだろうか。処刑人が死んだのは私のせいだと? 勝手に毒を飲む部下の死は、私に責があると?


 メイザースは僅かに首を横に振った。


「水城様。忘れてはなりませぬ。貴女は人を信じてはいないのでしょう。人を人とも思わぬのでしょう。だから簡単に殺せてしまう。童が虫の手足を捥ぐのと同じことです。ですが、それを悟られぬように生きなくては」


 私を責め立てているはずの老爺はそんなことを宣った。幼い子供に言い聞かせるかのような口調で。


「怪物としての本性を気取られてはなりません。それは付け入る隙となる。どれほど恐怖で人を縛り付けようと、悪しき暴君はやがて座を追われるのが世の常でございます。貴女の胸の内に巣食う悪魔は、誰にも見られぬように隠しておくのです」


 ……。

 思考を放棄しようとして思い留まる。つまるところ……何だ? この男が何を伝えんとしているのかいまいち掴めない。

 それでも何となく察したのは、ここで理解を放り投げてはならないということだ。


 私の胸の内に巣食うものを、誰にも見せるなだと?


 ……思えば、それは簡単で当たり前のことだ。そういえばどうしてすっかり忘れていたのだろう。一年前まではずっとそうしていたではないか。

 だからこそ、朱雀院という考え無しの無能が私に目を付けたのだ。


 事を運びやすくする手段を私はもうずっと前から手にしている。


「この一年で貴女様の敵はいなくなりました。紅葉様を死に追いやった者達は全て、水城様が片付けたではありませぬか。……どうか、一度落ち着いて。水城様を脅かす者はもういないのです」


 ああ……ああ、メイザース。お前は私に大事なことを思い出させた。


 敵はもういない?


 否。この先も永遠に、そんな日は来ない。私が御影の当主である限りそんな日は訪れない。あんなにも立派な母でさえ、陥れられて破滅したのだ。


 私の敵がいなくなることなど金輪際無いだろう。


 右京達が死んだ理由を考えてみる。殺し続けることに自責の念が耐え難くなったから? いいや、暴君を止める術が無いことを嘆いたから。なんと軟弱な。そんなにも死を望むのならば私の手であの世に送ってやったのに!


 隠せと言ったなメイザース。私のこの心の内を悟られてはならないと。


「なんだ……メイザース。まるで私を心配するかのような口振りではないか」


 私は知っている。相手を騙す為の表情の作り方を知っている。そうして大人達を欺き続けてきたのだから。

 少し不貞腐れたように、メイザースの顔を見上げてみせる。怒られた子供のように、バツが悪そうに。


 お前の言いたいことを、理解はしている。

 でも納得は出来ない。


 そう私が考えていると思わせる為に。


「まるでも何も。事実、この老いぼれは水城様が気掛かりでならぬのです。まだ貴女はたった八歳ではありませんか」


 狸ジジイだと思っていたものだが、そこに浮かぶ表情には素直に驚きを覚える。

 この男が私を利用しようとしていると。私がそう決め付けてかかっていただけで、存外、メイザースという老人に探られて困る腹など無かったのかもしれない。

 進言も決死の覚悟で行ったのだろう。全くそう見えないが。

 怒り狂った私がそれこそ本当にこの男を撃ち殺す可能性を考えなかったわけではないはずだ。


「……はぁ、全く。分かった。私が悪かった。処刑人達は手厚く葬るように」


 手をひらひらと振ってメイザースを追い払う仕草をする。ここで露骨な心変わりを見せるのは私らしくないだろう。

 あくまでも渋々といった体を崩してはならない。


 メイザースは私を嗜めた。

 何故か? メイザースやその他の組織の者達にとって、この一年の私の振る舞いが不当であったからだ。


 ならばこの先、誰かを処刑する際は──その理由が客観的に見て正当であればよいということだ。


 あまりに容易いことだ。根回しならいくらでも出来る。私は御影の現当主にして“銀の星”の統括。この組織で最高権限を持つ者。

 外野が喧しいのなら、騒ぐ理由を潰していこう。ゆっくりと着実に、時間をかけてこの組織を塗り替えていこうではないか。


 表向きはいくらでも聖君のように演じてやろうとも。聡いだけの子供のように踊ってやろうとも!


「お分かり頂けたようで何よりでございます」


 何処か安堵したように、メイザースは笑みを深くした。それ以上何も言わないところを見るに、納得したらしい。


 愚かな男だと思ったものだが、考えを改めなくては。なんと素晴らしい天啓をもたらしてくれたものか。

 成る程確かに、この方が遥かにやりやすいではないか。




 そうか……こう振る舞えば良いのだな、メイザース。

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