終幕.落ちる花、朽ちる前の記憶

「……どうして、こんなことになったのかな」


 雨に打たれながらエイダを見る。エイダの顔は雨と涙でぐしゃぐしゃになっている。慰めてあげたいのに、エイダが痛いくらいに抱き締めて離してくれないせいでどちらの手も動かせない。


 水城があんなにも憧れていた外の世界が、私達の前に広がっている。迷いの森から出られないはずだった私は、森の外の地面を踏んでいる。


『……私が観測者となる。その為にはお前は邪魔だ。ここから出て、何処へなりとも行くが良い──椿』


 今朝、水城は何人もの大人を引き連れて私の前に現れた。不機嫌な時の水城は怖い顔をしているけど、そんなの比べ物にならないくらい冷たい表情をしていた。


『何を言うのです水城様……! 紅葉様が亡くなって間もないというのに、妹君を追い落とそうなどと!』

『お前もだ、エイダ。我が愚妹を連れて私の前から消え失せろ。お前達は今日いまこの時をもって追放処分とする』


 あんまりなその言葉にエイダは激昂した。水城が小型の銃を持っていなければ──それを私に向けなければ、エイダは水城を殺していただろう。


『それとも、追放ではなく処刑とするか? このような愚か者が観測者となるなど悍ましい。より優秀な者が後継となるべきだ』


 ……私は、水城が観測者なんてものに何の興味もないことを知っている。私達が観測者という肩書きに抱くそれはあまりにも違い過ぎる。だから水城がそんなことを望むはずがないのだ。

 考えられる理由はたった一つだけ。


(……ああ、そうか……お母さんはやっぱり事故死じゃないのか……)


 分かっていた。あの日、医療班が不自然に出払っていた理由も。

 あの日から水城が時折、すとんと感情が抜け落ちたかのような表情をする理由も。


(なんて……なんて、)


 私は今初めてあの人を憐れに思う。片割れがいる私達とは違う。真の孤独の中でそのまま観測者に据えられたあの人は、あまりにも世界が狭かったのだ。

 母の考えが今なら分かる。あの人は私と水城を天秤にかけ、そして水城を逃がす方を選んだ。そこに怒りも悲しみもない。それしかないもの。私だって、立場が同じならそうするはずだ。


 ……だと、言うのに。


『だめ……待って……待って水城……っ! こんなの駄目! 間違ってる!!』


 冷たい目が私を見下ろしていた。まるで本当に、双子の妹を心底見下しているかのような、そんな赤い目が。縋り付いた手は他でもない水城自身に振り払われて、私もエイダも周りの大人達に押さえつけられる。


『分かってるんでしょう!? だってっ、これじゃあまるで……っ!!』


 大人達は私を強引に引き摺って、血で描かれた魔法陣の上まで連れて行く。エイダが狂ったように暴れていたけど最終的には魔術で拘束されてしまう。

 この魔法陣を、私は知っている。前に水城が可笑そうに話していたから。「こんなもの何の意味があるんだ」と、そう言って。


『……全く、迷いの森の結界も蓋を開ければ大した絡繰でもなかったとは。まさか魔力で御影の直系を判断して弾き出す迎撃式の結界であったなどと。通りで、追放された者が二度と戻ってこないわけだ。魔術師でなければあの森には入れないのだから』


 その声は酷くつまらなさそうだった。

 この魔法陣は、自身の血で描く魔術式。


 


 ただ魔力を奪うだけのものとはまた違う。魔力を奪い、自分のものとし、そして奪われた相手は──魔術師ではなくなる。これはきっと、御影の人間の為だけに生み出された魔術だ。

 水城の言葉の意味を考える。御影の直系は外には出られない迷いの森。外の世界と森との境界には結界が張り巡らされているから。そしてその結界は、魔力で御影の魔術師とそうでない者とを仕分けている。


 魔術師じゃなくなれば──私は外に出られる。出られてしまう。


 魔法陣が光り出す。全身が総毛立つけれど、分かる。この魔術はもう止まらない。そういう種類のものだ。私は水城を止められない。


 どろりと身体の中から何かが溶け出して、溢れ出るような感覚。まるで私を構成する成分が溶け落ちていくかのように。


 私の片割れ。私の半身。私より賢いあなたがどうしてそんな選択をするの? なんで、どうして。


『どうしてなのお姉ちゃん──!!』


 私の絶叫は水城には届かなかった。もう用はない、出て行けと。そう吐き捨てた水城はエイダと私を銀の星の外へと放り出した。べしゃりと泥塗れの地面に叩き付けられた私達は、あまりに惨めな姿をしていただろう。だというのに、より憐れなのは──本当は、誰?


『失せろ。もしも次に顔を合わせるようなことがあれば殺す』


 もしも、だなんて。

 そんなもしもはもう二度と訪れないのに。それが分からないあなたじゃないのに。


 あの時、私を抱えて走り出したエイダをきっと私は一生許せないのだと思う。エイダからすれば当然の選択だった。そう、頭の片隅では理解していたとしても。

 ほとんど錯乱状態にあった私は彼女を散々罵倒して、大暴れして彼女を拒んだ。


『何で……!? 違う、エイダ、違うよっ、水城は』

『分かっております!!』


 横殴りの雨の中でも、その悲鳴のような叫びはびりびりと空気を震わせた気がした。


『分かって……分かっているのです……! 紅葉様が死ななくてはならなかった理由も! 水城様が!!』


“銀の星”はもう組織として終わっている。

 ただそれぞれの魔術師が私腹を肥やす為の装置に過ぎない。だから御影 紅葉は食い潰された。そして──元老院は私にもその役目を望んでいる。だから観測者になればそれはもうを意味するのだ。“銀の星”という装置の為の人柱となるだけ。

 だけど私はそれでも良い。そうすれば水城は自由になれた。水城はずっと憧れていた外の世界で生きていけた!


『っ、だったら!』

『でも!』


 私を抱き締めるエイダの手が震えている。もどかしさのままに言葉を吐き出そうとして、上手くいかなかった。雨ではなく涙で濡れた金色の双眸が彼女自身への怒りで歪んでいたからだ。


『私には、おひとりしか救えない……っ!!』


 ──どうして、こんなことになったのかな。


 私は水城に自由になってほしかった。お母さんも、水城を選んだ。

 どちらか一方は食い潰されると分かっているんだもの。それが当然の選択でしょう?


 彼女は私の半身。私の片割れ。だけど私とはあまりに違っている。だから思いもしなかったの。


 水城も同じ結論に辿り着いて、その上で──


『お二人を守る力はエイダには……っ、私には無いのです! あの状況で私が感情のままに暴れれば! 水城様のやろうとしていることが台無しになったかもしれない! そうすればお二人を同時に失うのです!!』


 ……やっぱり、水城は恐ろしく合理的だ。水城ならきっと復讐を選ぶ。お母さんを殺したかもしれない悉《ことごと》くを滅ぼすのだろう。恐怖と暴力で縛り付ける才能は私には無い。水城は私を追い出した。

 復讐と生存。その両方を成し遂げる為に。


『申し訳、ありません……ごめんなさい……っ、ごめん、なさい……紅葉さま……!』


 まるで小さな子供みたいに泣きじゃくるエイダを見て思う。エイダは私と水城を天秤にかけて、私を選んだ。そうすることが“どちらかしか選べない”現実を“どちらも選べるかもしれない”という絵空事へと塗り替えるから。そしてそんな夢物語が叶うかどうかは、もう私達には分からない。どれを選んでも、結局エイダは悔いただろう。死にたくなるほど後悔して、懺悔して、だけどお母さんの存在が彼女が逃げることを許さない。エイダは、お母さんの為に私達を守りたいから。


 二人で一緒に逃げる道も、二人で共にあの組織で生きる未来も、どちらもあり得なかった。

 こんなの何もかも間違ってる。だけど、その間違いを正すだけの力が私には──私達には無い。


『水城は……死んだりしないよ』


 雨音に掻き消えそうな声で呟く。水城があの組織に食い潰されることはないだろう。私の中の酷く冷静な部分はそう訴えかけてくる。むしろ食い物にされるのは“銀の星”の方だ。水城は蹂躙を望んでいる。私の半身は、母を死に追いやった全てを許しはしないだろう。でも……その先に、一体何があるというのだろうか。


『だけど……もう二度と、水城とは会えない』


 一人、あの場所に残される私の水城。

 憎悪が身を焼くうちは、まだ良い。数年後、あるいは数十年後、憎む対象すらいなくなってしまった時──水城は何を思うのか。


『何でよ、水城……そんなに、私は頼りなかった……?』


 私の呟きは、雨音に呑まれて消えた。


 ♦︎


 ……。



 …………。



 ………………。





 ……あれから、どれくらいの月日が流れただろう。

 初めは、それはもう大変だった。だって私もエイダも、魔術という存在が当たり前の世界で生きてきたから。エイダは魔術が使えなかったけど、それでも魔術はいつも身近にあった。その当たり前が存在しないことが常識の世界で生きるのは、本当の本当に苦労した。


 そもそも、私達は外の世界の常識を知らない。その上でエイダの生活力の無さには絶句したものだけど……彼女の本当の年齢を知った時、エイダに甘えてばかりではいられないと決意した。そうだ、もう水城はいないのだから。私自身が頑張らないといけないんだ。


『椿様が弱くて泣き虫だと思っておられるのは椿様と水城様だけでしたよ。私も紅葉様も、それはもう水城様のイカれ具合……失礼、破天荒さが気掛かりでしかありませんでした』


 お母さんや水城の話をする時のエイダは懐かしそうで申し訳なさそうで、それでもいつしか彼女はお母さん達の話をしても泣きながら謝ることはなくなった。

“銀の星”に帰る方法を探さなかったわけじゃない。だけど“銀の星”は、その周囲の迷いの森は、魔術師にしか見つけられない。何でも、異界との狭間……? にあるんだとか。魔力が無いとそのゲートみたいなのが開かないんだって。これはエイダから聞いたことだけど。

 魔術がすっかり廃れているのは知識として知っていたものの、探そうとしたところで魔術師の一人も見つからないのは驚いた。“銀の星”に属していた魔術師以外はもう一人も残っていないのではと思うほどに。

 それでもやっぱり諦めきれなかったのだから、いっそ笑ってしまう。


 いつか水城を迎えに行こうね。


 そんな言葉に縋ることだけが私達の生き甲斐だった。


 今でも思うことがある。


 あの時、あの場所に残ったのが水城じゃなく私だったなら。

 自由を得たのが水城だったなら。


「なんて……今更、遅過ぎるね」


 エイダの写真に向かって語り掛ける。もう叶わない夢を見るには、私は歳を取り過ぎてしまった。

 エイダは幸せだっただろうか。私は懸命に生きられただろうか。


 毎朝鏡を見ながら考えていた。いつか、こんなことなら双子として生まれなければなんて思ったけれど……やっぱり私達が双子で良かった。どれほど月日が流れても、あなたの顔を忘れずに済んだもの。


 私達が双子で生まれたのが運命だと言うのなら、それを生み出した神様が憎かった。

 だけどあなたに出会えたのも同じく運命だとしたら、私は神様に祈りたい。


 私の片割れ。


 私の半身。



 私の、最愛。


 ──生まれ変わることが許されるなら、またあなたと家族になれますか?


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