そして潰えた
さぁ、身勝手な復讐を始めよう。
♦︎
少女は手の中で黒い魔導石を転がしていた。通信用の石の向こうからは何やら愚か者共が騒ぎ立てる声が聞こえるが、彼女は冷えた目でそれを一瞥する。
連中を集めた部屋は右京達に指示を出して初めから結界を張っておいた。対象者だけが指定した空間から出られなくなる結界を。
今更過ちに気付いたところでもう遅い。奴らが手を結び、結界の破壊に尽力したのならば結果は変わるだろうが……プライドだけが
(母よ……これで少しはあなたの憂いを晴らせるだろうか?)
少女は──水城は息を吐く。手の中の魔導石が熱を帯びている。
『観測者』の席に着き、彼女が真っ先に行ったのは観測者に与えられた権限を把握することだった。
思い出すことがないわけではないが──
『待って……待って水城……っ! こんなの駄目! 間違ってる!!』
『どうしてなのお姉ちゃん──!!』
……まぁ、今は良いだろう。優先すべきはゴミの排除だ。
連中の不正の証拠を握るのはあまりにも容易だった。あの男……秋人が自身の正体が割れた時の保険として色々と情報を集めていたのだ。加えて。
「流石の手腕ですな。水城様」
えんじ色のスーツの男が笑みを深くする。薄暗い部屋の中で男の深緑の瞳が奇妙な光を放つっている。
「ふん、密告した口でよく言う。私はお前の手の上で踊ってやっただけだ──メイザース」
水城の言葉に、メイザースはくつくつと笑った。それは無言の肯定も同じ。
元老院・メイザース一族の代表である男。秋人が寄越した情報を補完する形で奴らの悪事を暴いたのは他でもないこの男だった。先程、水城は彼らに「部下を脅して喋らせた」と告げたがそれは正しくない。それを行ったのはメイザースだ。
「……朱雀院は権威に溺れ、怪物に変貌しようとしています。サナギは羽化する前に焼くべきかと」
「孫に祖父を焼き殺せと?」
「それを望んだのは水城様でしょう?」
ふん、と面白くなさそうに水城は頬杖をつく。あんな男への情など無い。ただ、誰かの思うように動くのが気に食わないだけだ。
それでも踊ることでしか出来ないことがあると言うのなら、存分に踊ってみせようじゃないか。操り糸を切るのはその後でも遅くはない。
「……彼は、反対されたでしょう」
ふとメイザースはそう言って顎髭を撫でた。首を傾げた水城だが、直後、合点がいったかのように頷いてみせる。脳裏に浮かぶのは、蒼い──。
「あれは意気地が無い。大方、なりふり構わず私を制止する資格など無いと思っているだろうさ。……そして私を置いて、ここを去る勇気も無い。そんな義務など何処にも無いのに」
確信がある。
あの男はきっと、自分から手は離さない。否、離せないとでも言うのだろうか。手を離す勇気が無いのだ。そうしたところで誰も責めたりはしないのに、或いは、誰も責めないことこそが何よりも恐ろしいのだとでも言うように。
だから、利用する。
「この組織を完全な形で私のものとする。恐怖で縛り付けるには力が必要だ。……例えば、これのように」
魔導石を指で弾く。その瞬間、砕け散った石が漆黒の光を放った。
少女の側でメイザースが感嘆の声を漏らすが、無視する。
観測者ではなく、“銀の星”の主として。代々伝えられる特権は多く存在する。
元より、組織の発足とは何の関係も無い御影がトップに立ったのだ。反発があったことは想像に難くない。
それゆえに“銀の星”統括にのみ与えられたものが──支配者としての力。
「木蓮様……先々代は何度か使用されておりましたが、紅葉様はこれらを嫌悪しておられましたな。なにせ」
「ああ、起動するだけで他者の命を奪える魔導石だ。先代は望まれぬだろう」
魔力を通すだけで指定した者の命を奪う石。そんな記述を目にした時は一笑に伏した。
あまりに馬鹿馬鹿しいから? 否。
そんな物があるなら、何故使われていないのかと。
故に試したのだ。名前も知らぬような構成員の数名を使って。
そして結果は──語るに及ばず。
数にこそ限りはあるが、死の魔導石だ。
使い方も使われた記録も全ては御影の当主にのみ閲覧が許される文書に残されていた。どうやら六大陸の者達との戦争の際に手に入ったとのことだが……詳細は分からなかった。
だが今日この日まで両手でも余るほどの数が保管されたままであることを見るに、やはり積極的に使用されたことは無かったのだろう。
「私のように至らぬ魔術師でも扱えるのだ。もっと早くにこの力を知らしめていれば……元老院の愚か者共のような連中は生まれなかっただろうよ」
直後、通信石の向こうから響き渡る絶叫を、少女は変わらずに冷めた表情のまま聞いていた。
♦︎
「あ、ぁあ……! 体が……体が燃える!!」
「どういう、どういう事だ朱雀院!? 紅葉様は事故死では……この状況は何だ、貴様一体何をしたァ!!」
あちこちから悲鳴と怒声が上がる。まるで順に処刑台に送られるかのように、一人、また一人と体が炎に呑まれては灰になる。
扉の前に控えていたはずの右京と左近はいつの間にか姿を消していた。だが、扉を押そうが引こうがビクともしない。体が燃え上がり、パニックになったローゼンクロイツの代表が扉に向けて魔術を放ったが──やはり傷一つ付かなかった。どうやら部屋そのものに強力な結界が張られているらしいと、気付いた時にはもう遅い。ローゼンクロイツ代表は怨嗟の言葉を遺言代わりに吐き散らしながら、呆気なく燃え尽きてしまった。
「私は……何か特別な事をしたわけではない。貴殿らと違ってな……」
思い出されるのは一人の女のことだ。
あんな事になるとは思っていなかった。嬉しい誤算だと考えたのは事実だが、それを差し引いてもやはり彼女が死を選んだのは計算外だったのだ。
底無しの甘さを持つ女。それでありながら、観測者としての役割にしか興味など無い愚かな女。
いつだってあの空っぽの赤い瞳はただ虚空を眺めていた。
だと、言うのに。
『……朱雀院、貴方は百夜を愚かと言ったわね。でもきっと、本当に愚かであるのはいつまでも妄執に取り憑かれている貴方の方。その曇った目では、何も見えはしないのよ』
お前が気に食わぬのだと。そう吐き捨てた後、女は呆然としていたように思う。だと言うのに、背中に浴びせられたその声は酷く凛とした響きを持っていた。
『分からないのでしょう。私は、観測者である前に──一人の母親なのだということすらも』
あれに、あのかつて人形のようだったあの娘に、親としての心が宿るだなどと……考えてもみなかった。
過ちがあったとするのならば、恐らくはそこを見誤ったことなのだろう。
業火が罪を焼く。弁明すら許さずに、一人ずつ消えない火に呑まれていく。
ここは“銀の星”。
魔術師の箱庭、そして楽園に見せ掛けただけの飼い殺しの檻。
だが無償で餌だけを与え続ければ、檻の中の獣はやがて与えられることが当然だと考えるようになる。
そうして、腐っていく。獣も──人も。
そんな中で毒入りの餌が投げ込まれたとて、疑いもなく口にしてしまうほどに思考を放棄して。
腕が、燃え上がる。
朱雀院は目を閉じる。かつて友人だった男はこの場所のトップとして君臨していた。
朱雀院が目指した、完全なる魔術師としての在り方。
魔術師という、神に選ばれし者。それに見合った働きをすることこそが魔術師の使命であると。
それに何よりも理解を示したあの男は、しきたりに従って娘へと肩書きを譲り、そして彼の前から姿を消した。
ならばせめて、あの男の望んだ理想だけは形にしよう。
なに、伴侶すら実験台にした奴のことだ。
地獄で手を叩いて笑っていることだろう。
だがよもや、よもやその血を継ぐ者にこんな形で邪魔をされるだなどと誰が予想出来ただろう?
「ああ……木蓮よ」
骨すらも溶かす熱が全身を抱く。誰かの静かなる怒りを表したかのような、赤き焔が。
「お前の、我々の孫は──とんだ化け物だったらしい」
その言葉を最後に、男の妄執は終わりを告げた。
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