妄執は色を失い、

 ようやくあの愚かな女が死んだ。


 そんな事を考え、男は口の端を歪めて笑った。

 想定外であったのは事実だが僥倖でもある。

 魔術師としての誇りなど欠片も無い、あの女。あんな小娘が自分達の上に立っていることが我慢ならなかった。しかし邪魔者は消え、残るは後ろ盾の無い幼き娘二人のみ。


 本来であれば妹の方が組織の統括者を継ぐだろう。しかしあれは駄目だ。母親と同じく魔術師としての志は低く、何より──。あの娘が観測者になれば今よりさらに元老院の肩身が狭くなる可能性があった。母親にあまりに似通っているあの娘は洗脳するのも難しいだろう。下手に動けば察知される。

 その点、姉の方は良い。魔術師らしさが突出している。ゆえに、あれは人体実験を許すだろう。先代と同じように。

 唯一の懸念点は妹と比べると得体が知れないところだが……そこはまだ子供だ。今の内に教育してしまえばどうとでもなる。どちらかが観測者を継げば片割れは追放される。厄介な妹もここからいなくなればいくらでもやりようはある。


 つまるところ男が次に取るべきは双子の姉、御影 水城に接触することだ。幸いにも、何故か彼女からは直々に呼び出しがかかっている。紅葉は死んだとは言えども、水城も椿も男より明らかに立場が上。腹立たしいことは事実であれ従わなくてはならない。

 そう思い、男は組織内を闊歩していたのだが……。


「……何? 椿様が行方不明に?」

「はい、。今朝から行方が知れないと捜索隊が出されております」

「また迷っておられるのではないのか」

「それが……椿様の魔力反応が組織内にも森にも見当たらないらしく……」


 ふむ、と男は──朱雀院代表は顎に手をやった。彼からするとあの双子は実の孫に当たる。だが血の繋がりによる情などなく、どちらもただの道具に過ぎない。

 その道具の一つが行方知れずときた。こうして時折、予想だにしなかったトラブルが付き纏うのが彼の人生だった。しかしながら、姉の方が行方不明というわけではないのがせめてもの救いだろう。

 魔力反応が見当たらない、というのはキナ臭い。キナ臭いが、明らかに狼狽している部下とは違い探す義理も無い。


「魔力探知が届かない場所にでも入り込まれたのだろう。御影の直系は森の外へは出られない。何処かにはおられるはずだ」

「し、しかし朱雀院様……」

「くどい。私は忙しいのだ」


 起こり得ない事だが、あの娘が何らかのアクシデントで消えればそれはそれで手間が省けるというもの。とは言えども、椿が方向音痴であるのは周知の事実だ。いつものようにその内見つかるだろう。

 よくおかしな所に入り込むので肝を冷やすものだ。無論、孫娘を心配してではない。

 紅葉の目が届かない隠し部屋などを作り、禁止されている魔術等の研究をする元老院の人間も少なくはないが、厄介にも椿はその手の部屋に行き着く事が多いのだ。

 朱雀院とて、一つ気掛かりがあるとすれば──。


(……否。証拠は既に処分した。その上、あの女も死んだのだ)


 かぶりを振り、男は約束の部屋へと向かう。指定された場所は元老院と当主の話し合いに用いられる会議室だ。水城がどういうつもりで自身を呼び出したかはさておき、彼女を上手く唆し次期当主に祭り上げる必要がある。


「お待ちしておりました、朱雀院代表。、既にお待ちです」

「……何?」


 朱雀院を迎えたのは二人の男だった。紅葉に付き従う姿をよく見掛けた事を覚えている。確か口を開いた方が右京でもう一人が左近だったか。

 右京が示した室内には見覚えのある顔触れが揃っていた。誰もが元老院の代表達だ。何人か足りないが、言い換えれば元老院以外の者はいない。


「……肝心の水城様がおられないようだが?」


 じろりと眼球だけを動かして厳かに問う。どうやら呼ばれていたのは自分だけではなかったらしい。しかしながらその当の水城は部屋にいない。


「席にお着きください。水城様でしたら……あちらに」


 左近が指したのは上座──即ち、数日前までは紅葉が座っていた場所だ。そこのテーブルには赤く光る魔導石がぽつねんと置かれている。通信用の魔導石だと思われる。

 抗議の声を上げようとして、やめる。まずは話を聞いてからでも遅くはないだろう。

 そう考えた朱雀院が席に着いたと同時、魔導石から咳払いのような音が聞こえてきた。


『揃ったらしいね。ああ、先に魔導石越しとなってしまう非礼を詫びておこう。少々事情があってね。さて諸君、私こと御影 水城の呼び出しに応じてくれて感謝する』


 まだ幼い、しかしはっきりとした声。否が応でもその主の姿が脳裏に浮かぶ。だが分からないのは彼女の真意だ。子供とは言え、あの娘は伊達や酔狂でこのような場を用意するような人間ではない。魔術師らしく時間の無駄を異様に嫌う。

 朱雀院は嘆息し、肩を竦めた。


「水城様、どういうおつもりですかな? 我々とて暇ではないのですが。そろそろ次期当主の引き継ぎも行わなくてはなりませんし」


 従来の規則に従い、椿を据えるか。

 それとも水城を当主に据えるか。

 はっきり言って元老院の中でも意見は割れるだろう。だが偶然にもこの場にいるのは水城を望む者ばかり。話を上手く運べば水城本人をその気にさせる事が出来る可能性が高い。


『引き継ぎ? ああ、引き継ぎね』

「……水城様?」


 しかし、朱雀院の言葉に魔導石の向こうの少女はくつくつと笑いを漏らした。顔が見えずともそこに嘲りが含まれることは即座に看破出来る。

 その場の全員に怒りよりも困惑の空気が流れた。相手がまだたった七歳の子供だから、という意識が強かったのかもしれない。馬鹿にされた事への屈辱などよりも意図の見えない行動への戸惑いがまさったのだ。

 幼い声はそれに気付いているのかいないのか、無視して言葉を続けた。


『引き継ぎは不要だ』

「なに?」

『聞こえなかったか? 引き継ぎならもう済んだ。──今日から私が観測者となる』


 ♦︎


 その声は悍ましいほどに冷たく響いていた。


 この娘は伊達や酔狂で動かない。そう考えたのはつい先刻の事だ。

 ならば先の言葉は冗談などではない。そして水城が御影の当主の座を望むのは本来であれば朱雀院自身も思い描いていた展開である。


 だが。

 そう。しかし、だ。

 そこに至るまでには様々な手回しが必要だったはずだ。水城が元々、観測者という肩書きに微塵も興味を示していなかった事は周知の事実。だからこそ少なくとも水城の説得は避けられなかったはず。

 それなのにその過程が全て一足跳びにすっ飛ばされ、都合の良い結論だけが差し出されている。

 それにあっさりと食い付くほど、この場にいる誰もが愚かにはなりきれなかった。


「な、何を仰る。お戯れは程々になさいませ。それに観測者は椿様が──」


 辛うじてそう呟いた現・ローゼンクロイツ代表は椿の名を口にした瞬間に押し黙った。その顔色はみるみる内に蒼白に染められていく。自分も彼と同じような顔をしていないか。その確信が朱雀院にも持てなかった。

 この場にいる全ての者の言葉を代弁すべく、ローゼンクロイツ卿が震える声で続ける。


「水城様……妹君は、今どちらへ? 行方が知れぬと聞き及んでおりますが……」


 水城が当主となるのに、椿は邪魔だ。

 その結論に至ったのは自分達のはずだ。必要であれば殺害も視野に入れてはいた。


 だが。


『……さぁ? どうなったと思う? もっとも──あれがいては、私が御影の当主と成り得ないのも事実だが』


 と。

 そんな考えと共に何か言い知れぬ悪寒が背筋に走る。

 椿がどうなったか。それに対する明確な答えは語られていない。だが事実、椿は行方が分からないのだ。それも魔力すら辿る事が出来ないと言う。

 そして──死体の魔力は辿れない。


『まぁそんな些細な事はどうでも良いではないか。私が君達を呼び付けたのは別件でね。御影の現当主として早速の初仕事を遂行しようと思ったのだ。ちなみに、ここでの会話は記録している。迂闊な事は口走らぬように』


 凍り付いた元老院の面々を気に留めることなく、少女は軽い調子で言う。しかし声色だけは冷え切ったままだ。魔導石越しでは今の彼女がどんな顔をしているのかも分からない。

 異様な空気を感じ取りながらも中座する者が現れなかったのは魔術師としてのプライドが邪魔したからか。かく言う朱雀院も、七歳の小娘から背を向けて逃げるような真似は出来なかった。


 ──なに、子供の言うことだ。

 それにこちらに都合の良い事には変わりないのだから……そう己を納得させ、不遜な笑みを浮かべてみせる。


「ほう、仕事ですか。我らを呼び付けたということはつまり」

『そう。お前達には先代が禁じた術や実験に携わった嫌疑がかけられている』

「なっ……!?」


 泡を食ったように真っ先に立ち上がったのはまだ若輩の代表数名だった。朱雀院はさておきローゼンクロイツ卿、フォーチュン一族の代表……といった古くから在る魔術師の家系に連なる者は表面上は平静を装っている。歴史の長さはからだ。踏んできた場数が違う。


「何を根拠に!! 冗談などでは済まされませんぞ!」

「我々を馬鹿にしているのか!?」

『根拠、ねぇ……』


 水城の言葉がただのハッタリだったとすれば彼らのように明らかな狼狽を見せれば墓穴を掘るだけ。その一方で、少女がやけに確信めいた物言いをしている事に朱雀院達も気付いていた。


「馬鹿馬鹿しい」と、そう吐き捨ててこの場を去ることも不可能ではない。だがその選択肢は誰一人取り得ないと彼らは知っている。

 全員に身に覚えがあるからというのも理由の一つだが──そもそもが一枚岩でない元老院だ。この場だけを逃れたところで後ほどの追及は絶対に避けられない。


 加えて、もし本当に水城が当主としての実権を握ると言うのなら彼女の発言は全てに意味がある。

 御影の現当主が「お前達を疑っている」と口にしたのだ。それを強引に跳ね除ければ罪を認めたに等しく、それだけで処刑の理由に足る。それを理解した上で水城自身も発言を録音しているという旨の言葉を吐いたのだろう。

“銀の星”を統べる者にはそれだけの権力がある。


(しかし、そう……ハッタリだ。小娘の戯言に過ぎぬ。他の者達と違い、私は実験の類は行っていない)


 暴かれて困る秘密。その数で言えば朱雀院は今ここにいる者達の中でもっとも少ないだろうという自負がある。

 奇しくも、実の息子を伴侶に差し出したせいで紅葉との距離が近過ぎたのだ。紅葉の勘の良さも邪魔をし、全てのプロジェクトは凍結せざるを得なかった。それでも控えなかったクロウリーの一族はあのざまだ。


『根拠も何も、証拠なら腐る程揃っている。何せ、殿

「!?」

『いやはや人望が無いねぇ、高位魔術師でありながら。頭を売れば罪には問わないと、そう脅しただけでペラペラ喋ったのだから驚きだよ。……もっとも、その程度で犯した罪を無かった事にしてやる道理は無いが。これを機に元老院の大半を解体する』

「なにを……何を馬鹿な!!」


 今度こそ朱雀院は机を叩いて立ち上がった。


 解体。かつて紅葉が選んだ追放などという生温いそれとは違う。その言葉は──血筋の断絶を指す。歴代の観測者にもこの決定を下した者はそう多くないはずだ。文字通り関係者を残らず処刑する、狂気の所業である。

 そんな真似をしては内部の反発はまず免れない。ゆえに、禁止行為に抵触する者がいたとしても暗黙の了解で見逃される事がほとんどだったのだ。


 それを……。


 ギリ、と歯噛みして朱雀院は魔導石を睨み付ける。思い出したのはかつてクロウリーの末姫がすれ違い様に吐き出した言葉だ。


『……ご無礼を承知で申し上げるとすれば。水城様をだと思われぬ方が良い。彼の方は──常人の手に余る』


『それでもまだ水城様を次期当主にと仰るのなら、いつの日か悔やまれるとよろしいかと』


 得体の知れない怪物の前に立たされているかのような感覚を抱く。魔導石の向こうにいるのは、何だ?


『ああ、そう焦るでないよ朱雀院代表。君は他と罪状が異なる』


 ころころと笑い、声は告げる。愉快げでありながらもそこに温度は無い。赤の他人の死がニュースで報道されたのを見ただけのような、そんな感情が透けて見える。あるいは。スリッパで叩き潰したゴキブリを眺めるような調子で。


 少女は宣告を突き付ける。


使。これをお前の罪とし──裁きを与える』


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