落ちる花、朽ちる前の記憶④

「剣術を教えろと言っているのが何故分からない! 私を何だと思っている!!」


 今日も今日とて、元気いっぱいの(ちょっと元気が有り余り過ぎている気もする)私の姉の声が通路に響き渡る。水城の声は鼓膜を突き破らんばかりに良く通るので、声を張る必要性は少しも無いと思うのだけど、水城は隙あらば声を荒らげる傾向にある。

 勿論それを直接向けられている秋人は本当に嫌そうな顔で両手で耳を塞いでいた。


「いや、もう……君は本当に五月蝿いな。ツバキを見習え。で、なに? 剣術? 何で俺がそんなの教えてやんなきゃいけないの」


 露骨に溜息を吐く秋人に私も同感だ。水城は水城らしくあれば良いと思うけど、剣術を秋人に学ぼうという意思はよく分からない。


 何日か前、エイダと秋人が模擬戦闘をする機会があった。最近ますますお母さんのストーカーと化しているエイダだけど、お母さんがどうしても一人で色々と考えたい事があったとかで暫く暇を出されたのだ。

 そもそもエイダが大人しく私達の世話係の任を降りたのはお母さんの命令だったからだ。つまり、本人が納得していた訳じゃない。それもあって数日とは言えお母さんの手を離れてやる事がなくなったエイダはと言うと……。


『エイダはすべき事を思い出しました』


『得体の知れない男がお嬢様方の側を彷徨いているなどと、到底見過ごされるべきではない事態です』


「いや、今更?」と問いたくなるような言葉と共に私達と一緒にいた秋人を襲撃しにやって来たのである。エイダの優先順位の上位はお母さんで埋め尽くされている為、今になってやっと私や水城の存在を思い出したのだと思う。ちなみに、場所は食堂で私達三人は食事中だった。


『弱き者には死を。エイダは、如何なる凶刃からも水城様と椿様を護れる者以外をエイダの後任とは認めません!』


 そうやって食堂で暴れ出そうとしたエイダを何とか説得し、ついでに嫌がる秋人も説き伏せて、二人を訓練部屋に叩き込んだのが水城だった。構成員達が戦闘訓練をする為のかなりの広さがある空間だ。「ここならエイダのような猪女が大暴れしても壊れるまい!」と胸を張っていたのは当然水城である。

 ちなみに、食堂は公共の施設なので他にも人はいっぱいいたけど皆エイダを怖がって手伝ってくれなかった。


 エイダは水城曰く「脳筋」なのだそうだ。つまりはある程度実力を示せば満足するだろうというのが水城の見解で、後はまぁ単純に面白半分にエイダ達をぶつけただけだろう。私としては心配で仕方なかったんだけど。だって……秋人ってお世辞にも強そうに見えないんだもん。荒事は適当に回避しそうだし。それに相手がエイダであるのも懸念点だった。


 エイダ・クロウリー。“銀の星”から放逐されたクロウリー一族の、末姫。

 魔術実験の後遺症だとかで素の身体能力が飛躍的に向上したらしい彼女は魔術に頼らずその身一つで処刑人の座に上り詰めた。

 特技は殴殺。武器も特に持たず、本来は防具であるはずの籠手を着けた手でぶん殴るだけという何もかもをかなぐり捨てたスタイルである。

 何が言いたいかというと要するに凄く強いのだ。魔術に依存しがちな魔術師は近接戦闘に弱いのもあって、この場所でエイダと渡り合える人間はそういない。


 いない、はずだったんだけど。


「あの猪突猛進女を納得させられるほどの腕前があるのならば何も問題は無いだろう。何が不満だ!」

「強いて言うなら君のその態度かなぁ……」


 腰にしがみついて離れない水城を、秋人が胡乱な目で見下ろす。あの日以来二人はずっとこの調子だ。


 そう、失礼だけども驚いたことに秋人はちゃんと戦えるのだ。それもエイダが大人しくなるくらいに。

 エイダが力業で強引に押し切る戦闘スタイルであるのに対し、レイピアを用いた二刀流である秋人はとにかく。技を受け流したり捌いたり、そういった事に異様に長けている。びっくりするほど器用なのだ。対エイダという点で彼ほど適任はいないだろう。

 純粋な力比べになるとエイダに軍配が上がるだろうけど、暫く打ち合った後に「参りました」と頭を下げたのはエイダだった。


、エイダはこれ以上は口出ししません。それに、紅葉様が信じた方です。……私は、彼の方の意思と共に在りたい』


『──先祖がした事に関して、謝罪はしません。そして貴方自身も、どうか私含む“六人の始祖”の血を引く者達に、心許す事無きように』


“六大陸の主”に仕えるとされる秋人と、そんな“六大陸の主”を封印した魔術師の内の一人、アレイスター・クロウリーの子孫であるエイダ。

 衝突は避けられないと思い、私や水城は秋人に関してエイダに話さなかったけど……お母さんが説明したのだろう。

 だけど私達が危惧していたような事態にはならず、それ以上二人は言葉を交わさなかった。


 エイダと秋人の一件はそれで片付いた。問題は、それ以来剣を用いて戦うことに心を奪われてしまった水城である。私の姉は以前から魔術を使わないで戦えるようになりたいのだとぼやいていた。勿論、大人達は誰も相手にしてくれなかったので護身術さえ学べていない。別に戦う必要性なんて何処にも無いと思うんだけど。そもそも何と戦うつもりなのかも分からないし。

 ともあれ、秋人が剣を扱える(しかもかなり巧く)ことを知ってしまった水城は彼に剣術を教えてもらおうと騒いでいるのである。


「大体、俺は忙しいんだって。しかも彼女エイダのせいで筋肉痛なの。子供の相手は出来ないの」

「あれはもう三日も前の話だろう、もっとマシな言い訳を使い給え。しかも忙しい忙しいと言うが組織の連中と喋っているだけだろうが! 私を構え!」

「良いか若人、寝て起きれば全快するのは子供のうちだけだ。覚えておくと良い。大人は体力も精神力も何もかも回復するまでに何日もかかる。そして大人には大人の“忙しさ”がある」


 実際のところ、ここ暫く秋人は本当に忙しそうにしている、気がする。

 普段は大人達に放って置かれても気にしない水城だけど(というか望んでない時に構われると機嫌が悪くなる)秋人相手だとどうしてか「構え!」と癇癪を起こす。そのせいで時間が許す限り秋人は私達の所に来てくれるけど、最近はその頻度がかなり減っている。

 組織の構成員達が忙しくしている時は組織外での任務が多く入っている事がほとんどだ。だけど秋人は任務が言い渡されることは無いのに。


「手が空いたら遊んでやるから。少しの辛抱だよ。出来るだろう?」

「剣は? 教えてくれるのか?」

「それはまぁ、紅葉の許可が下りたらね。とは言え、俺は完全に独学なんだけどな……」


 名残惜しそうに秋人の服の裾を引っ張っている水城を、そっと引き剥がす。こういう態度を取る時の秋人は本当に時間に余裕が無い事が多い。それに最近の秋人が疲れたような表情を多く取ることを私は知っていた。

 だけど彼は自分よりも他人を優先しがちなので、水城が駄々をこねればこの場に留まってしまうだろう。


「……母さんも秋人も、遊んでくれない」


 立ち去った秋人の背中を見送りながら、水城はふとそんな言葉を零した。子供らしい、むすっとした表情で腕を組んでいる。


「急がなくても良いでしょ? 明日だって明後日だって、その先も時間があるんだから」

「だが時間は有限だ。私は資源の無駄遣いは好かん」

「もう」


 秋人が来てから、水城は良い意味で変わったように思う。

「我儘が過ぎる」「最近、水城様は甘やかされ過ぎです」とぼやいていたのはエイダだけど、これまでの水城は自分で勝手に決めて勝手に行動してしまう事が多かった。水城単体で全て完結していたのだ。少なくともさっきのように誰かに対して「何かをしてほしい」と訴えることは無かったように思う。


 きっと、もっとずっと前から、水城には甘えられる誰かが必要だったのだ。


(それを、が早く気付いてくれれば良かったのに)


 水城が縋って伸ばす手を、あの人はこの先も取らないのだろう。あの人にとっては観測者という立場が絶対だ。

 だけど、分かる。離別が約束された中で、私だって同じ立場ならそうするから。


 それでも、人は、一人では生きていけない。


 孤独に支配されれば人は狂ってしまう。孤独という名の恐怖が心を蝕んで、壊してしまう。一人で生きる事に慣れてしまっていた水城が、誰かを求めるのならばそれは良いことなのだと思う。


 私がお母さんの後を継いだ時に、離別を約束された私の片割れが独りで生きる選択を強いられないような、そんな未来が訪れないことをいつだって願っている。


 不機嫌な水城を何とか宥めて私達は部屋に戻ることにした。機嫌が悪い時の水城は部屋に押し込めておくのが一番だ。お気に入りの魔導書だとかを読んでいるうちに、興味がそっちに移るからである。

 部屋へ向かう途中、何人もの大人達とすれ違う。一人一人丁寧に頭を下げて挨拶をしてくれる光景は私達からすると当たり前なのだけど、前に秋人は「違和感が凄いな」と言って笑っていた。

 それを聞いてようやく知った。これは普通ではないことなのだと。だとすれば、皆やめてくれれば良いのにって思う。

 心にも無いお世辞を口にする大人達を見るのは本当に苦手なのだ。


「ああ、これはこれは」


 そうやって色んな人とすれ違う中で出くわしたその人だけは、私達が足を止めざるを得ない人だった。ほんの一瞬、隣の水城が嫌そうな顔をしたのが分かる。だけど私の姉は外面が良いタイプなのですぐに取り繕った。一方で私は思わず声が漏れてしまったのだけど。


「……お祖父様」


 眼が、細められる。

「お久しぶりです」と当たり障りない言葉と共に頭を下げたその男は朱雀院の現・代表だった。そして、お父さんの父親──つまり、私と水城の祖父に当たる人。

 私は、この人が苦手だ。私達を孫だなんて思ってもいないくせに都合の良い時だけその肩書きを利用しようとする姿勢が嫌だった。だけどその嫌悪を知られてはいけないらしい。そう言ったのは水城で、曰く、「つけ込まれるから」と。だから水城は私がボロを出す前ににっこりと笑顔を浮かべてみせる。


「ええ、お久しぶりです。お変わりないようで何より」


 ……水城のこういうところは流石だと思う。水城は子供特有のあどけなさを完全に放り捨て、いっそ優雅にも思える仕草で頭を下げる。組織の大人達の大半は、水城のこういった側面しか知らない。


「御二方こそ。それにしても、何とも他人行儀な。水城様も私を椿様のように呼んでくだされば良いものを」

「ふふ、ご冗談を。私達が貴方を真に祖父と扱えば、元老院のパワーバランスが崩れます。よもや、それが目的で? ……貴方のように聡明な方が? まさか」

「……」


 くつくつと喉を鳴らすお祖父様……いや、朱雀院に対して水城の声はあくまでも穏やかだった。だけど、朱雀院の物言いが相当気に障ったらしい。煽るような言葉と共に、わざとらしく綺麗に笑う。

 そうでなくとも、今の水城は秋人に構ってもらえなくて元々機嫌が悪かったのだ。水城は敵と定めた相手に容赦なんかしないことを私はよく知っている。


「ええ、ええ、分かっております。貴方はただ純粋な善意から、そして祖父として孫への愛と情を持ってそう仰ったのだということを。そう、存じておりますよ。、ね?」


 挑むように、水城は朱雀院を見上げる。

 旗色の悪さを感じ取ったのか朱雀院は一瞬顔を顰めたけどもう遅い。会話を始めたのはこの人で、水城を怒らせたのもこの人だ。

 そして私も、この人が嫌いなのだから水城を止める理由も無い。


「ですが、ああ、嘆かわしいことに。東洋ではこのような言い回しがあるとか。何でも、『壁に耳あり障子に目あり』だそうで。つまりはまぁ、何処で誰が聞き耳を立てているやもしれぬという意味らしいのですが……言い得て妙だとは思いませんか? 例えば、私達の先の会話」

「水城様」

「私と妹は貴方にそんな意図は無かったと理解しておりますが、貴方の言葉を心無き者が耳にしたらどうなるでしょう。『朱雀院代表は、次期当主とその姉に媚を売り更なる権威を得ようとしている』と、そんな噂が流れてもおかしくはありませんね」


 周りにもちゃんと聞こえるように水城はわざと声を少し大きくしてそんな事を言った。ただ、にこにこと笑いながら。


 ……私達は表面しか見えていないけど、元老院の権力争いはきっと思うより遥かに苛烈だ。魔術師という存在の力が弱まるにつれて彼らは行き場を失いつつある歪んだ自己顕示欲を権力に求めるようになっている。こんな、小さな組織に。

 だからそんな噂が流れれば朱雀院の代表はきっと周囲からの圧力で挿げ替えられるだろう。現・代表が不慮の事故によりこの世を去るという形で。

 それくらい今の元老院は危ういのだ。


 勿論水城だってこの程度で本当にそんな噂が流れるとは思っていないだろう。だけど水城と朱雀院のやり取りはほんの小さな楔にはなり得る。

 だから水城は暗に語っているのだ。『余計な手間を煩わせるな、用も無いのに話し掛けるな──消されたくなかったら』と。


「朱雀院代表。それでは私達はこれで。どうか、お身体にはお気を付けて。……ええ、くれぐれも」


 水城は頭を下げてからくるりと背を向けた。朱雀院の反応は待たない。水城は、「お祖父様」とはいつもこんなやり取りをしているように思う。


「……老害が。今日に限って声を掛けてくるなんて、何を考えている?」


 慌ててその背を追い掛けると、心底嫌そうに水城はそう吐き捨てる。


 水城の言うようにあの人は公の場以外で話し掛けてくることなんてなかった。あの人は、私と水城を都合の良い駒としか捉えていない。


「お姉ちゃん、お祖父様のこと嫌いだね」

「何を当たり前のことを。。その時点で信用に値しない。お前の人を見る目は確かだ」

「か、買い被り過ぎだと思うんだけど……」


 返事の代わりに、はん、と水城は鼻を鳴らした。その後は難しい顔ですっかり黙り込んでしまった。多分、あの人が話し掛けてきた本当の意味を考えているのだろう。


 あの人が読めないのは前からだ。


 だけど、愚かではない人だと、思う。


 だから気付いておくべきだったのだ。

 私が嫌いな、あの人の目。欲に眩んだ、濁った目。

 その両の目が最初から最後まで「私達」じゃなく水城だけを捉えていた、その意味に。

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