ある末姫は望みて

「もう七年ですか。椿様が当主となられるまであと十年と少し。あまりにも短い」

「ローゼンクロイツ卿の仰る通りかと。彼の方が我等の上に立てる器とは……おっと、これは失敬」

「せめて水城様が後に産まれておられれば。まぁ、今更どうにも出来んことですが」


 厭らしい声が耳に障る。思えばこの場所はいつだって澱んでいて、ヘドロが纏わりつくような嫌悪感に支配されている。


 聞くに堪えなくて、見るに堪えなくて、だけど私の主はいつだって背筋を伸ばして座っているのだ。彼女に仕える私が、無様な姿は見せられない。だから血の味が滲むほどに歯を食いしばって口を閉ざす。この場にいる全員を殺してやりたいほどの激情に駆られながら。

 不本意だが全員に珈琲を配った後、周囲の一切を無視して主人の席の隣に立った。主以外の飲み物に毒を入れてやりたいと思ったのは一度や二度の話ではない。


 月に一度の御影の現当主と元老院代表との話し合い。会議とは名ばかりの、老害共がネチネチと不満を漏らすだけのふざけた時間。こんなものに意味は無いのに、「捌け口」が必要なのだと主人は仰った。

「御影」に生まれたというだけで権力を手に出来る人間がいる。その事に対する鬱憤を吐き出す時間と場所が。

 元老院の大半はこの組織を生み出した六人の魔術師の子孫から選出されている。

 魔術を過信する愚か者達。プライドだけは山のように高く積み上げられたこいつらは、“銀の星”の主が魔術師としての力量も本人の才も度外視で選ばれるというシステムが気に食わないのだ。

 過去の栄光を振りかざす馬鹿共はいつだって私の主人の名誉に刃を突き立てる。


 だけど彼女は魔術師である前に何処までいっても「御影の観測者」で。まるで世界を観測すること以外に関心は無いとでも言うように、茜色の瞳は何処か遠くへ向けられている。


「水城に後を継がせるつもりはないわ。この決定は揺るがない。“観測者”としての素質はあの子には無い」


 主人は──紅葉様は淡々と告げた。私は知っている。連中は水城様を望んでいるわけではない。単純に、椿様が次期当主であるのが気に入らないのだ。

 椿お嬢様は紅葉様によく似ておられる。彼女が当主となれば今と変わらぬ“銀の星”が約束されるだろう。

 紅葉様は元老院の意見は尊重するが、奴等に勝手は許さない。元老院はあくまで当主を支える為の立場だ。こいつらが組織内で勝手を出来るほどの権威を持てば“銀の星”のパワーバランスが崩壊する。

 私をこうして手元に置くのも元老院への牽制の為だ。処刑人である私は、存在そのものが奴等の枷となる。


「“観測者”。成る程確かに。だが、観測者としての素質と“銀の星”の主たる素質、それがイコールで結ばれるのはいかがなものかと」

「確かにそうでしょう。でも、椿には上に立つ者としての素質もある。それに、伝統を重んじるがゆえに血筋だけで何の苦労もなく元老院に収まった貴方達が、今更そんな話を持ち出すというのかしら」


 水城お嬢様を頭にすれば、好き放題出来る権力が与えられるとでも思っているのだろうか? だとすればこいつらはやはり何も分かっていない。魔術師が衰退していく中で秩序と均衡を重んじることがどれほど重要なのかを。この箱庭が、どれほど魔術師という存在を守っているのかを。


 こいつらは自分の思い通りになる傀儡をトップに置きたいのだ。紅葉様や椿様ではそれが叶わないから、水城様を引き合いに出す。彼女が、並の人間に制御出来るだなどと幻想を抱いているから。

 椿お嬢様は人は変わるものだと言う。本当にそうだろうか。


 水城様の本質は、良くも悪くも“魔術師”だ。彼の方の根底にあるものは観測者の在り方とかけ離れている。

 彼の方が初めて動物を殺めたのは何年前だっただろう?

 理由は今でも覚えている。「生きたまま皮を剥いだ時の反応が知りたかったから」。泣きながらお止めになった妹君を怒鳴り付けて、彼女は小鳥にメスを入れた。「こんなものか」と落胆したように呟いて、亡骸の埋葬すらしなかった。

 ただ純粋な疑問を解消する為に、自身の目的の為だけに、他の全てを使い潰すことを厭わない彼女はあの年齢で既に魔術師として完成している。


「……それでは、後見人の件を考え直して頂けませんか。貴女様が当主の座を退かれた後、椿様には後ろ盾が無い」


 そうやって呟いた女は誰だったか。名前も曖昧なその老婆は、落ち窪んだ眼をゆるりと紅葉様へ向ける。


 御影の当主は、代替わりと同時に表舞台に立つことを一切禁じられる。この組織の地下には専用の軟禁部屋まであると聞く。……先代は今もそこで生きているのだろうか。

 その時になれば水城様はこの地を追放され、父親を亡くしている椿様は独りになる。


「思えば、愚息は本当に情けのない限りであった。あれが余計な事をせねば、話も違ったものを……否、そうとも限らぬか。あれが私の役に立った事など終ぞ一度も無かった」


 ああ、そう吐き捨てた男の名は流石に覚えている。

 朱雀院の姓を持つ者達の、現・代表。──今は亡き百夜様の父親に当たる男だ。しかしそこに実の子を悼む感情の色など無く、安く仕入れた道具が予想通りに壊れただけだと言うような、そんな嘲りが透けて見えた。

 当時まだ幼かった紅葉様の婚約者に百夜様を推薦したのもこの男だと聞く。

 百夜様は幼少より優れた魔術師だったらしい。願わくば彼が紅葉様から権力を奪い盗る、そんな未来を期待していたのだと今では分かる。その浅ましい計画は他でもない百夜様の人柄と、そして彼自身の死によって破綻した。


「如何かな、当主様。あれには腹違いの兄がいるのはご存知でしょう。半分と言えど同じ血が流れているのだ。悪くはないと思うがね」


 だと言うのに、この愚物は未だ諦めがつかないようだ。

 他の元老院の連中からも賛同するような声が上がる。普段は意識して思考から追い出しているそいつらの顔を、今日は全員分記憶する事にした。いつか奴らを残らず処刑すればこの組織も幾分か綺麗になるだろう。


「何が、言いたいのかしら。はっきり言って頂きたいわ」


 紅葉様のお声が固い。下卑た笑い声を漏らす朱雀院はただ目を細めるだけだ。


 私は百夜様を存じ上げない。紅葉様と百夜様が仲睦まじかったとも聞いたことがない。ただ宛てがわれただけの婚約者同士だと、そう聞き及んでいた。

 だがほんの一瞬、刹那の間。我が主人が“当主”としての仮面を取り落とし、その瞳に鋭利な侮蔑を宿したのを私は見逃さなかった。


「そう……そういうこと」


 彼女が小さく、本当に小さく吐き捨てた怨嗟の声も。


「七年前からそれが狙いだったのね──朱雀院」


 ♦︎


 その後はただ淡々と予算の話や備品に関する話が続き、解散となった。

 不本意ながら元老院の連中は与えられた仕事にだけは忠実で、割り振られた任務を違えることは無い。その一線を越えてくれたのなら私は喜んで奴らの首を刈り取るのに。


「クロウリーの末姫ともあろう者が、あのような女に付き従っているなどと……恥を知るべきだ」


 通路を歩いていると、元老院の人間によるそんな囁き声が耳を穿つ。私の前を歩く紅葉様は一瞬歩みを止めて振り返ったが、私が首を横に振るとまた歩き出された。


 クロウリーの末姫。その言葉を向けられるのは私以外に存在しない。


 我が先祖の名はアレイスター・クロウリー。この組織を生み出すに至った六人の魔術師のうちの一人。

 代々、クロウリーの姓を持つ人間は無条件で元老院に選ばれている。血がそうさせるのか、高位の魔術師も産まれやすい。

 アレイスター様の直系として生まれた私もいずれクロウリーの代表となる──はずだった。


 今でも覚えている。クロウリーの一族は歴代でも最高と見込まれた私の魔力量や魔力の質に歓喜し、魔力をさらに増幅させる為の人体実験を繰り返した。

 得体の知れない薬品を大量に投与したり、安全性が証明されていない魔術を繰り返し使わせたりと、かなりの無茶を強要されたように思う。

 だが、人には予め許容可能な魔力の量が定められている。だからこそキャパシティが大きい魔術師は羨望の目を向けられるしそうでない魔術師は蔑まれるのだ。


 無論、私の体も同じだった。


 ある日唐突に魔力の許容限界を迎えた私は──九割以上の潜在魔力を失い、魔術が行使出来なくなった。

 奇しくも水城様達の誕生年と同じ七年前の出来事だ。きっかけとなった魔術は、未完成の術式だったという。


 失った魔力は本来外部から補充出来る。しかしそれ以降私の体は魔力そのものを受け付けなくなり、魔力が補充されることはなかった。医者には『魔力タンクそのものが壊れたのだろう』と診断された。


 それ以降、私の生活は一変した。

 家族には見放され、誰も彼もが私を見限り、時にはすれ違いざまに罵倒されたり謂れのない暴力を振るわれるようになった。友達だった相手に魔術で髪を切られた事もある。

 別に今となっては誰も恨んではいない。

 彼らがかつての私に期待したのも、失敗して捨てられたのも、魔術を使えない魔術師が差別の対象にあるのも、全ては“魔術師”にとっては当たり前のことだ。私とて立場が違えばきっと同じ事をした。


 しかし、それに激怒したのが紅葉様だった。


 いつも諦めたように笑う彼の方があんなにも怒りを露わにするところを目撃したのはあの日きりである。そして、権力を振りかざすことを何より嫌う彼の方が“御影の現当主”としての権限を一切の容赦無く使われたのも。

 私の処遇を見て彼女はクロウリーの人間全てから元老院の肩書きを剥奪し、別の地へと追放した。私一人を残して。


 結果としてあの時の出来事が元老院の紅葉様への反発を強くした。

『魔術師』にとって、私が関わった一連の出来事は当たり前のことだ。だと言うのに、その“当然”に対し厳罰を下した紅葉様が手の施しようのない暴君のように映ったのだろう。


 確かに、紅葉様の感性は魔術師からは遠いのかもしれない。

 だがそれが人としてあるべき形なのだと、今では分かる。

 排他的に生き、数も力も減らしていくだけの現代の魔術師達を見ていて思うのだ。魔術師は変わらなくてはならない。そしてそれは紅葉様が思い描く理想でもあるのだと。


『ごめんなさいね。まだ幼い貴女から、家族も何もかもを奪ってしまった』


 そう言って泣きそうな顔で微笑んだ紅葉様を覚えている。


『恨むのならどうか私を恨みなさい、エイダ』


 いいえ、いいえ。どうして恨むはずがありましょうか。

 貴女が気に病むのなら、私はクロウリーの姓を捨てよう。

 エイダ・クロウリーではなくただのエイダとして、ただ貴女と共に。


『それなら、私を……エイダを、当主さまの駒としてお使いください。エイダのこの身体は、きっと当主さまのお役に立ちますから』


 私は当時六歳だった。最後に使った魔術の後遺症──否、代償に、私の体は本来のものより十年以上時が進められている。

 最も、水城様や椿様も含めて多くの人間が私を見た目通り二十代半ばだと思っているのであろうが。関係者たるクロウリーの人間はここにはもうおらず、事情を知る元老院にも箝口令が敷かれている為である。


 紅葉様がそんな私を水城様達の世話係としたのはどちらかと言うと私の為だったのだろう。

 大人達に触れさせるよりは、小さな無垢な命と共に過ごした方が心も癒えるだろうと。だから本当に彼女らの御世話をする事は求められていなかったように思う。


 だが、私はそれでは不服だった。

 紅葉様のお役に立ちたい。その為には、見た目に見合うだけの能力がいる。

 外見と同じように、精神までも、立派な“大人”に。


 そうしてあれから、早七年。

 紅葉様の為ならば何であれ実行した。彼女は反対したが、命に背いた者を処分する為の処刑人にも上り詰めた。


 追放されたクロウリーの末裔でありながら、紅葉様を憎むでもなく、元老院に戻ろうとするでもなく、彼女に付き従う私を良く思わない者は多い。

 だが、それが何だと言うのだろう。私はクロウリーの一族に憎しみはないが、同時に情も無いのだから。


 私は紅葉様の為だけに生きている。

 誇りを持って担ってきた水城様達の世話……いや、教育係を新入りとやらに奪われたのは不愉快だったが、こうしていつでも紅葉様に付き添えることを思えば僥倖だったとも言えるだろう。


 私は、エイダ。ただのエイダ。


 紅葉様が望まれるのであれば、私はきっと神をも殺すだろう。

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