追想エゴイズム⑤

 秋人が私達の専属の世話係となってから、早半年近くが過ぎた。そして反対に、エイダ・クロウリーは我々の専属から外れることになって久しい。世話係と言っても要は御影の次期後継者たる椿とそのスペアでもある私に万が一のことが無い為の監視係である。複数人は必要無い。


 そもそもエイダの役割は“処刑人”──つまりは、この組織に不要と判断された者を殺処分するというものだ。だからこそ彼女は多くの者に恐れられており、世話係であったのがおかしかったのである。

 私からすればエイダなどただ口煩いだけの存在だが。大体、母がやけにエイダを構うのも気に食わない。自分と十も歳が変わらないような女をまるで娘か何かのように扱うことがままあるのだ。


 話がズレたが何が言いたいかというと、監視役が代わったことにより組織内での私の自由は格段に広がった。秋人はどうやら「子供は伸び伸び育ててやるべき」という考えの持ち主のようでエイダほど五月蝿くないのだ。少々、心配性のような気もするが。かなり頻繁に様子を見に来る。


 そしてもう一つ、嬉しい誤算がある。


「よし、今日は入ったことのない部屋を探索するか」


 ひとりごちて、組織の奥へ奥へと進んでいく。以前は方向音痴な上に喧しい椿が付き纏ってきた為にあまり奥まったところへ行けなかったのだ。


 そう、いつまで経っても私にべったりであった椿が秋人と共にいることが増えた。あんな調子で将来どうするのかとも思っていたが、姉離れが済んだようで何よりである。エイダにすら最低限しか懐かなかった妹だとは思えないほどだ。

 そうして意図せずして自由を得た私は、ここ最近毎日一人の時間を満喫している。


「む? ここは……」


 目の前にあるのは、「所有者無し」に加えて「使用禁止」の札が扉の横に掛けられた部屋だ。


 この組織は大半の構成員は六人ずつの大部屋に寝泊まりしており、個人部屋は与えられない。

 その一方でエイダや左近達のようにある程度の地位を確立している者や高ランクの魔術師、そして元老院げんろういんと呼ばれる上層部に属する魔術師には個人の部屋が割り当てられている。勿論のこと私と椿の部屋も“個人部屋”に当たる。

 部屋と言っても種類は様々で、ただの寝室(シャワールームは共用なので大抵の部屋には無い)であったり、研究室付きのものであったり、まぁ色々だ。常識を逸脱しなければ改造も認められている。

 高位の魔術師は特殊な魔術を研究している者も多い為、研究の成果が他者に漏れるのを防ぐのがそもそもの目的である。

 ちなみに、秋人も特例で個人用の寝室(しかもシャワー室付き)が与えられている。「他人と同じ部屋で寝るのはマジで無理」「あとシャワールームが共用なのもヤダ」との要望わがままがあったからだ。彼の境遇が特殊な事もあって、母はあっさりと特例を許してしまった。あの男、割と強かである。


 話を戻すが、個人部屋・個人研究室には扉の横に部屋の主を示す名札が掛けられている。今の私の目の前の扉もそれに当たり、「所有者無し」の札はそのまま空き部屋である事を示すが……「使用禁止」?

 個室は数が足りていないので使用を禁ずることなどないはずだが。前任者が死亡するなり何なりで突如部屋が空いた場合もすぐに解体されて部屋が空くのだから。

 解体の指示を出すのは母である。あの人は自身の目で管理出来ないものが増えることを嫌がる為、不要な部屋を残すのを良しとしない。


(ふむ……研究室か。解体出来ない事情があるのか?)


 電子ロックが壊れているその扉を強引にこじ開けて中に入る。

 薄暗いそこは、何の変哲も無い研究室に見えた。

 机の上にはビーカーやフラスコが転がり、効力を失った魔導石も大量に散らばっている。部屋のあちこちに積み上げられた紙の束や、壁一面をびっしり埋め尽くす本棚が妙な圧迫感を演出していた。

 室内は酷く埃っぽい。もう何年も使われていないのだろう。

 試しにいくつかの本を手に取ったが、魔術開発について書かれたものばかりだった。この部屋の主は新しい魔術式を生み出すことに心血を注いでいたらしい。

 残念なことに私自身は潜在魔力が少ないのと魔力の質があまり良くないので魔術開発には向かない。見る者が見ればこの部屋は宝の山なのだろう。だからこそ無駄を嫌う母もこの研究室を残しているのかもしれない。


 しかしそんな中、一冊だけ不思議と目を引いた書物があった。


「何だ? タイトルも何も書かれていないじゃないか」


 机の下、魔術式が乱雑に書かれている紙の束に埋もれているそれが目に留まる。

 黒い本だ。何故あれだけが本棚ではなくこんな所に……?


 何か言いようのない衝動に突き動かされて手を伸ばす。

 そのままでは届かないので机の下に潜り込もうとしたが、肩を掴まれる感覚がそれを阻んだ。


「おや、水城様ではないですか。ここで何をされているのです?」


 振り返ると、そこにいたのは老齢の男だった。えんじ色のスーツを着た男は、私の顔を覗き込んで深い笑みを浮かべている。

 疚しいことなど何も無かった私は、胸を張って男の問いに答えた。


「探険だ!!」

「お元気で良いことですな。しかし、遊び場には少々適さぬのでは? 確か使用禁止とあったはずですが」

「だが立ち入り禁止ではなかっただろう」


 言われてみれば、と男はしわがれた声で笑った。


「立ち入り禁止であれば私とて入れませんでしたからな。扉が開いていたので覗いてみれば、まさか水城様がおられるとは」


 見覚えがある男だが確か……ラストネームはメイザースだったか。ファーストネームは覚えていない。元老院の一人だったはずだ。

 危ないから出てくるようにと言われ、渋々机の下から出る。


「メイザース。ここは何故使われていないんだ? 見たところただの研究室のようだが」


 元老院の者なら知っているだろう。問い掛けると、メイザースは白い顎髭を撫でる。深い緑の瞳に奇妙な色が宿った気がした。


「……ふむ。ご存知だったわけではないのですか」

「何の話だ?」


 いえ? とメイザースは笑みを浮かべる。そこにどのような意図があったのか、人の感情に聡い椿なら分かったのだろうか。

 成る程成る程……と勿体ぶるように呟く様が腹立たしい。催促の意味を込めて睨み付けるとようやく言葉を続けた。


「ここは水城様の御父上の──百夜様の研究室です」


 ほう、と声を上げる。それ以外の感想も感傷も特に無かった。

 七年も前に死んだ人間の部屋だったか。どうりで生活感が無いはずだ。


「御影 百夜の、か。彼は魔術開発を主に行っていたのだな」

「ええ。彼の方は近年の魔術師には珍しく、魔術の才に恵まれておりました。それがどうしてあのような事になったのか……」


 メイザース曰く、この部屋が当時のまま残されているのは他ならぬ母の意思だということだ。貴重な資料が埋もれている可能性もあり、特に反対意見も出なかったらしい。

 最も、我が父に当たる男は相当な変人だったようで、あまり役に立つ魔術の開発はしていなかったとのこと。手を使わないで食事が出来る魔術だとか感情に応じて顔の色が物理的に変化する魔術だとか、意味の分からんものばかりを作っていたのだという。

 前述したように、何か貴重な魔術式のメモなどがのちに出てくることも期待して七年もの間放置されているのだとか。

 誰かが整理しなかったのかとも聞いたが、そもそもが発狂死した男の部屋だ。縁起の悪さを嫌って誰もやりたがらないらしい。どうやら人望はあまり無かったようだ。


(そう言えば……父の死についてはあの子供が語っていたな。あれきり一度も見ていないが、やはり白昼夢だったのだろうか?)


 口元を引き裂いて嗤う、赤いマントの子供を思い出す。人間でないという点では秋人もだが、あの子供はもっと得体の知れない何かであった。辛うじて人型を保っていたのは見た目だけだ。あんなものが我々と同じように言葉を喋るという事実がもう悍ましかった。


 というか、秋人は見てくれだけでなく言動も完全にただの人間である。しかも結構庶民的だ。

 あれが六大陸に由縁のある者だというのだから、ご先祖様方は一体全体何にビビり倒して六大陸の主達を封印したのか全くもって分からない。


「さて、少々喋り過ぎましたな。水城様の興味を引くようなものは何も無かったでしょう?」

「うん? ああ、いや、」


 無くはなかったのだが。

 そう思いながら机の下に視線をやると、メイザースはまた自身の顎髭を撫で付けた。この男の癖らしい。


「あれは魔導書ですよ。ただのね。似た内容の物が書庫にあったと記憶しております。さぁ、部屋を出ましょう。水城様に万一の事があっては困りますゆえ。何かの拍子に魔術式が暴発でもしたら目が当てられません」


 一理ある。

 魔術は魔術式──魔法陣のようなもの──に一定量の魔力を流せば起動する。魔法陣に関しては「その形通りに魔力を込めれば良い」だけなのでわざわざ書く必要も無いが、実験の段階では紙にペンなどで書いてから線の通りに魔力を流す場合もある。適当にやってうっかり成功してしまうと、一度目に成功した魔術式の形を再現出来なかったりするからだ。

 まぁそれで済めば話は終わりだが、魔術式というのは基準外(この場合多過ぎても少な過ぎても駄目だ)の魔力の量や質であると時折流した魔力が爆発するのだ。実際、魔術実験での死亡事故というのは少なくない。よって、この部屋のように魔術式を書いたメモ書きをあちこちに散乱させるなど狂気の沙汰である。


「それにこんなに埃っぽい所に長居してはお身体に障りますからな」

「老体にも堪えるか」

「はは、違いありますまい。如何な魔術師と言えど、寄る年波には敵いませんからなぁ」


 もう一度メイザースは顎に手をやった。

 そう言えば歳を取らなくなる魔術だとか若返る魔術などは聞いた事がない。誰かが考え付いてもおかしくないはずなのに……。


「そんな事をしては、の怒りを買うでしょう。最も、正気のない者であれば手を出す領域の話かもしれませんが」


 肩を揺らして笑うメイザースに連れられて研究室を出る。


 薄暗い部屋で埋もれていたはずの黒い本は、闇に呑まれてもう目を凝らしても視認出来そうにもなかった。

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