落ちる花、朽ちる前の記憶③

 その後、結局どうなったのかという話をしようと思う。


 お母さんの対応が余程気に食わなかったのか、水城は少し目を離した隙にあの人を……秋人さんの後を追いかけて森へと行ってしまった。

 てっきり部屋で不貞腐れているものと思ったから、それに気付いたのは数時間が経ってからだ。

 悪鬼羅刹のごとき形相でエイダは私と水城を叱りにやってきた。勿論、杖を盗んだ件で。私を捕まえ、水城も回収──しようとしたところで行方が知れないことが判明したのである。


「やはり水城様の教育方針を見直さなくてはなりません。あのままではロクな人間にならない」


 エイダが重い溜息と共に呟く。だけど、教育を見直したところで今更あの姉が変わるだろうか? 絶対に何も変わらないと思う。水城は生まれた時から水城なのだ。


「とにかく、水城様はエイダが探しに行きましょう。不審人物と行動を共にしていた場合、くだんの不審者は問答無用で排除します」

「は、早まらないでね……?」

「善処致します」


 これはしないやつだ。

 エイダは水城レベルで人の話を聞いていないことがある。エイダがこうと決めたらもうどうしようもない。他の魔術師よりももっとずっと『六大陸』を嫌悪している。はずだ。

 だから秋人さんの素性はエイダには話さなかったけど、あまり意味は無かったかもしれない。エイダはお母さん以外の万物に厳しいのだ。


「エイダ。あの人は大丈夫だよ。水城はともかく、私の人を見る目は信じられるでしょう?」

「椿お嬢様、エイダは」

「心配なんだよね。水城は無鉄砲で後先考えなくて……だけど、いつだって何とかなってしまうから。だから変わらない。でもエイダだけが背追い込む必要なんてないの。きっと、いつか時間が解決してくれるよ。水城は私の双子のお姉ちゃんなんだもの」


 エイダは顔を背ける。私達双子の専属の侍女として、教育係として、エイダが目指す理想はあまりに高い。そんなエイダの目には水城の人としての欠落が酷く重大なことのように映るのだ。

 それでも水城が聡いのは事実なのである。だから他者を顧みない私の姉が、いつの日か変わる日が来ると私は信じている。


「しかし、今はそれとこれとは別の話です。エイダは不審者の始末に向かいます」

「いや、あの、出来れば水城の回収に努めてね? そっちが本命だからね?」

「行って参ります」


 結局そうなるの? と責めるようにエイダを見上げたけど、転送用の魔導石を取り出したエイダは気にしなかった。エイダを止められるのはこの世にお母さんただ一人なのだ。


 しかし、どうしようか、と視線を彷徨わせたのも束の間のこと。


「おい! 椿! 母さんは何処だ!!」


 他でもない水城が、そう叫びながら廊下を駆けてくるのが目に入った。

 何故か翡翠色の剣を一本引き摺りながら。


 ♦︎


「水城お嬢様、行方を眩ませたかと思えばどういうつもりなのです。しかも何処で手に入れたのですそのレイピアは! 今日という今日は」

「喧しい! 丁度良い。エイダ、母さんに報告してこい。あの男はうちの一員にするぞ!」

「水城様? 何の話です。報連相という言葉はご存知ですか」


 珍しく困惑するエイダを余所に、水城は「母さんに報告しろ」の一点張り。流石である。

 こうなってはラチがあかないので、エイダは渋々といった様子でお母さんを探しに行ってしまった。

 残されたのはやけに興奮した様子の水城と私だけだ。


「お姉ちゃん。どういうこと? というか何処いってたの? その剣あの人のでしょ? やっぱりあの人を追い掛けたの?」

「全く、物分かりが悪いなお前は。当たり前だろう、私を誰だと思っている? さっきまであの男と共にいたのだ」


 物分かりが良いも悪いも、そもそも情報量がゼロに等しい。

 それとお母さんを呼び付けることと何の関係があるというのか。


「何でも、六大陸に戻る為の異界の扉とやらが閉じられて開かなくなったらしい。つまり行く当てがないということだね。ならばうちに置けば良いではないか。簡単な事だ」


 ……何がつまりなのかは分からないが、水城語を一般的な言語に訳すと秋人さんを水城が大いに気に入って強引に手元に置こうとしているということらしい。多分。


「ねぇ、それお母さんの許可もだけど秋人さんは良いって言ったの? あの人魔術師じゃないどころか……」

「? 何故あの男の意思を尋ねる必要がある。帰る場所が無いのだからここに来るしかあるまい」


 これで悪意が全くないのだから怖いのである。むしろ心の底からの善意でやっている分たちが悪い。


「『もう帰る場所なんか無い』『そんな資格は無い』と、他でもないあの男が自分で言ったんだぞ? だからその帰る場所とやらをくれてやろうと言っているのではないか」


 状況はいまいち見えないけどその言葉は別に水城に帰る場所を用意してほしいという意味ではない。絶対に。

 だけど水城の中でそれはもう決定事項で、今更お母さんがNOと言ったところで覆らない。口八丁手八丁で認めさせるか、勝手に組織に連れ込んでしまうだろう。組織の人間全てが個々の顔や名前を覚えているわけじゃない。一度紛れ込んでしまえばバレることもないと思う。

 そしてそこに、水城以外の人間の意思は無い。


「ちゃんと秋人さんに話したの? 絶対に嫌がったでしょ。ここから離れたそうにしてたし」

「だから、離れるも何も行く場所が無いのだろう? それとこれとは何も関係が無い」


 駄目だ、会話にならない。姉の言葉の意味を汲み取ろうにも、水城の思考回路は私の凡庸な頭では到底理解出来ないのだ。


「しかしあの男、うだうだと五月蝿くてね。私が奴の過去を盗み見たのがよほど気に食わなかったのかと思い色々言ってやったら」

「……また、無神経なことを言ったんでしょ」

「無神経だと? 真理を突き付けるのは私の優しさだ。まぁ何やら凄い剣幕で怒鳴られたが何に怒っていたのかさっぱり分からん。死んだ人間のことなど忘れろと言ってやっただけなのに」


 子供らしく頬を膨らませて水城はむくれている。が、口にしたのは頭が痛くなるような現実だ。

 水城が視たというあの人の過去がどんなものかは分からないけど、私の姉は人の心の柔らかい部分に刃物を突き立てるのがあまりに巧い。


「ともあれ、私の素晴らしい提案に難色を示したからな。それゆえにこれを奪ってきたのだ!」


 そうやって胸を張って水城が掲げ……ようとして、重さに負けてぺしゃりと崩れ落ちたのは、例の翡翠色の剣──エイダ曰くレイピアという武器──である。水城は気を取り直したようにレイピアを抱え上げる。


「私からこれを取り返すにはここへ来るしかあるまい。そしてここへ来たならばそれはもう私の提案に同意したということだ。ふふふ……はーっはっは! さぁ! 来るなら来い!! もう二度と逃がすものか貴重なサンプルめ!!」


 腰に手を当てて高笑いを始めた水城は傍目から見ると完全なる狂人である。残念なことにこれが私の姉の通常運転なのだけど、妙に勝ち誇った様子から察するに秋人さんに怒られた、というのが悔しかったのだと思う。それに意趣返しにしてはあまりに稚拙だ。何だか歳相応の子供みたいに。


「誰がサンプルだ」


 と、そこに、背後から声が掛かる。振り返ると声の主はやはり秋人さんで、彼はとても疲れた顔をしていた。

 組織の中に外から部外者が入ってくるのはかなり難しいはずなんだけど。どうやって侵入したんだろう。


「む、やはり来たか! このレイピアが大事だろう! 返してほしくば私に従うが良い!」


 ぱぁ、と水城は顔を輝かせる。それはそれは嬉しそうに。……やっぱりだ。どうやらいたく秋人さんを気に入ってしまっている。これじゃあ例えお母さんが宥めても言うことを聞いたりしないだろう。

 私の姉は聡明で、だけどとても頑固なのだ。


 対して秋人さんは非難するような目を私達に向けた。

 まぁ、水城のやった事は立派な窃盗だもの。「どういう教育をしているんだ」とでも言いたげだった。呆れたような表情をする彼の顔色はかなり悪い。安静にしていた方が良いんじゃないだろうか……あまり調子が良くないのだろう。だから水城にもレイピアを盗られたんだと思う。


「言ったはずだよ。俺が君に従う道理は無い。良いからそれを返しなさい。俺は君みたいな年頃の子に付き合えるほど若くないんだ」

「それなら力尽くで取り返せば良い。私とて一端の魔術師だ」

「あのねぇ……」


『力尽く』になった場合、いくら相手が怪我人とはいえ人の情報を読み取る魔術じゃ勝ち目は無いと思うんだけども。

 溜息を吐く秋人さんに水城は「それに」と言葉を続けた。


「真のは既に伝えたはずだ。悪くない話だとは思うがね」


 条件? と首を傾げた私を余所に、秋人さんは蒼い目を煩わしそうに細めただけだった。

 往々にして水城は主語や重要な事柄をすっ飛ばして話を続ける傾向にあるけど、彼にはきちんと伝わったらしい。


「……とにかく、レイピアは返せ。それにこっちで勝手に話を進めたところでどうにもならないだろう?」

「あっ、狡いぞ! 返せ!」


 ひょい、とレイピアを取り返した秋人さんは水城に届かないように高く掲げる。水城はぴょんぴょん跳ねながら喚いているけど、いくら何でも届くはずもない。あと、狡いのは人の大事な物を盾にした水城の方だと思う。


 そして秋人さんの言う通り、結局のところこの場所の支配者は“御影 紅葉”なのだ。あの人の性格から考えてそれは無いと思うけど、お母さんが許可を出せば秋人さんは侵入者として処刑されてしまう。水城は楽観的というか、自分の正しさを信じ過ぎている人なのでそんな考えには至らないみたいだけど。


「その為にエイダに呼びに行かせたのではないか。ほら、見ろ」


 水城はエイダが先ほど消えた方向を指す。「お嬢様!」と声を荒らげて走り寄ってきたエイダは、ドヤ顔の水城の首根っこを掴むと秋人さんから引き離した。


「痛いではないか!」

「黙りなさい! 椿様もこちらへ」

「黙れとは何だエイダ! あっこら! 離せ!」


 私のことも抱き寄せて、エイダは射殺さんばかりの目を秋人さんへと向ける。誘拐犯に対峙でもしたみたいだ。

 そんな中やや遅れてお母さんが慌てた様子もなくやってくる。実はあの人はあれで結構マイペースだ。お母さんは秋人さんを見ると、困ったような笑顔を作った。


「……自分の目で確認して、納得は出来ましたか?」


 もう、“六大陸”という地には何も無いこと。ここは彼から帰る場所を奪った元凶とも言えること。


 そして、それはとうの昔に何もかも終わった話であること。


「理解は、したよ」


 そうやって彼は自虐的な笑みを浮かべる。

 理解はした。だけど納得はしていないのだとの意味が込められている。


「母さん、この男を“銀の星”に置こう! エイダなどクビにして私達の世話係にすべきだ!」


 どうにも空気を読まない私の姉は、そんな事を喚きながらエイダの腕の中で暴れていた。勿論、慣れているエイダは水城の腰を抱え込んだまま微動だにしない。

 水城の反応や諸々でお母さんは現状を理解したらしく軽く息を吐く。


「ごめんなさいね、昔からで……誰に似たのかしら」


 それに関しては誰も答えられない。お母さんではないことは確かだけど、私や水城は父親について何も知らないのだから。


 お母さんはエイダに私達を部屋に戻すように指示を出す。お母さんを心配したエイダが渋ったものの、彼女にとって母の命令は絶対だ。何かあったらすぐに呼ぶようにと言い残して私の腕を引く。ちなみに、駄々をこねた水城はエイダによって抱き上げられた。

 去り際に辛うじて聞き取れたのは、いつもと変わらない声の調子のお母さんの言葉。


「──さておき、少し書斎まで付き合って頂けますか? もう一度改めて、貴方と話をさせて頂きたいのです」


 ……余談だけど、その話とやらが終わった直後に秋人さんは限界が来たらしく倒れて医務室に運び込まれた。

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