追想エゴイズム④
その瞬間、底が読めない態度を貫いていた秋人の表情が凍り付いた。
六大陸に所縁のある者。
その情報は彼にとって何よりの爆弾だろう。
“六大陸”と魔術師達は昔から折り合いが悪い。それは戦争が起きた事実が証明している。
極端な話、今ここで我々が彼を殺害して見せしめに磔にしたところで何ら不思議はない関係なのだ。
【ミミルの知恵】を使用した際、分かっていた事実だ。私だって黙っておこうとは思ったのだが母さんに聞かれたのだから仕方がない。
母が彼の素性を知りたいと言うのならそれはもう話すしかないというものだ。
だが、重要な話はここからである。
そもそも大昔ならともかく今となっては六大陸など魔術師と何の因果もない。
この組織の成り立ちを考えれば全くの無関係とは言い切れないが……そこはまぁ今は些細な問題である。
彼は六大陸を統べた、六人の魔王のうちの一人ではない。伝承では六魔王は外見は何ら人間と変わらず、十代半ばと思しき少年少女の見目をしていたと言う。故に彼は六人の誰かの配下か何かだろう。
主を封印によって失ったはずの彼が何故今になってこんな所に──いや、それよりも。
何故、六大陸の主が封印されたと同時に消滅したはずの配下が、五体満足で生き延びている?
「そんな顔をしなくても、母は君を取って食いはしないよ。ただ、君はこの銀の星が一体何なのか知っているのかい?」
母が嘆息したがそこは無視する。母さんに会話の主導権を任せると話が終わらない。この人は部下には厳しい側面を見せるが、それ以外にはそうではないのだ。いざこのように面と向かうとどうしても甘さが顔を出す。
秋人は一瞬だけ視線を彷徨わせた。質問の意図が分からなかったのだろう。
「この組織はね、偉大なる六人の魔術師が生み出した魔術師の楽園だよ。それを、我々御影の魔術師が引き継いだ」
正確な機能は、観測者としての役割を持つ御影一族をこの箱庭に押し込めておくこと。
その六人の魔術師の中に御影の者はいなかったという。ならば何故銀の星を統べるのが御影の人間なのかと問われればそれはまさに、神に望まれたからであったのだろう。
「私がしたいのはね。六人の魔術師の功績。それが何かという話だ」
ここまで言って、それでも秋人は何も応えない。
であれば、そういう事だろう。
きっと彼は──知らないのだ。
「六大陸を統べた、六人の魔王。自身の命と引き換えに彼らを封印したのが、この組織を作った魔術師達だ。実に千年は前の話になる」
「……………………は?」
何を馬鹿な、とその目が語っている。彼が立ち上がった拍子に、椅子が音を立てて倒れた。
そこには主を奪った魔術師への憎しみなど存在していない。彼は、そもそも主人の喪失を把握していない。
そうでなければ、こんなにも猜疑心に満ちた表情を取るものか。
「六大陸の主達が封印されて以来、彼の地の全ての生物は消滅……あるいは死亡した。無論、ただ一人の例外もなく彼らの配下ですら。動物も、人も、何も無い。あの地には主人を喪った六つの巨城だけが鎮座している」
「何を、言って……」
魔術により、彼の記憶を盗み見た。
住んでいた所を追われたのだと言っていたがそれが六大陸であるのは明らかだ。
しかし、解せない事が一つだけある。
六大陸を追われ、空間転移に巻き込まれ、そして迷いの森に流れ着いた。
だが、それでは時間の辻褄が合わない。
「そのままの意味だよ。その昔、六大陸と魔術師は戦争を起こした。魔術師は彼らを畏れ、彼らを殺せないと悟るや否や、封じる道を選んだ。そして
私は、真実以外を好まない。
故に事実のみを突き付ける。
「君は、一体何処から来たんだい?」
♦︎
「何の、話をしているんだ?」
蒼い瞳が揺らぐ。動揺と疑惑を綯い交ぜにした目が私へと向けられている。そこに敵意も混ぜられたとしても不思議ではなかっただろう。突如としてそんな戯言を吐いた小娘への、敵愾心が。
しかし彼はそのような表情を取らなかった。ただ、得体の知れない不気味なものを前にしたかのような──そんな顔をした。
「君はここを出て、帰りたがっている。でも何処へ? 彼の地には既に君を待つ者などいないと言うのに」
空間転移に巻き込まれたのだと。彼はそう言っていた。
恐らくだがそこで時空の歪みが発生したのだろう。
そもそも空間転移とは亜空間を通って別の場所へと移動するものだ。その亜空間内に何らかの
予測していなかった地点に飛ばされるだけならまだ良い。
だが彼は、場所ではなく時を超えたのだ。
千年も後の世界に放り出されるという形で。
故に、
椿は私には他人の気持ちが分からないと散々言うが、その絶望がとても痛いものだということくらいは分かる。
「約束を守るのだと言ったね。あの地から六大陸の主が消えた今、その約束はまだ価値を残しているのかい?」
意味を失くした約束を抱え続けるなど、悲しいことだ。
私はこれまで、誰かと約束はしなかった。私はいずれこの場所からいなくなるのだから、そんな重たい荷物は持ちたくなかった。だってその枷はきっといつか呪いとなる。
約束は救いとはならない。願いも祈りも、誰かを縛る鎖となる。
だから捨ててしまえば良い。その約束が澱んで毒を帯びる前に。
「……この建物の出口を教えてほしい」
私の問いに彼は答えなかった。ただ底冷えした眼差しを寄越しただけで。
椿が咎めるように私の袖を引く。私はまた言葉を間違えたのだろうか? やめておけと言っているのにこの男は何故聞かない。
「助けてくれた事には感謝してる。だけどくだらない冗談はやめてくれ。そんなものには付き合っていられない」
「……
「っ、良いから!」
カッ! と一瞬眩い閃光が立ち込めたかと思うと、秋人は両の手にレイピアを納めていた。森で彼と一緒に回収したあれである。確か別室で保管されていたはずだが、先程の光から考えて武具召喚の魔術が扱えるのか? 魔力の流れは感じなかったのだが。
彼は一本のレイピアの刃先を私達に向け、ゆっくりと口を開く。
「……行かせてくれ。頼む」
その言葉には懇願するような響きが含まれていた。少なくとも脅しの体裁を保てていないのは誰の目にも明らかだろう。……分からないな、この男が何に拘っているのか。私は意味の無いことは嫌いだ。苛立ちすら覚えると言っても良い。
「……分かりました。案内しましょう」
「母さん」
生かして帰すのか? 仮にも侵入者であり、それも六大陸に由縁のある者を?
情報を吐き出すつもりが無いというのなら、いっそ殺した方が有意義だ。ここには死体から情報を読み取る魔術が得意な者もいない訳ではない。
「そんなに殺気立っても駄目よ水城。この人もきっと、自分で確認しないと納得出来ないのだと思うから……」
私を膝から降ろすと、母は立ち上がる。その手にはいつの間にか転送の魔術を起動する為の魔導石が握られていた。石に魔力を通すだけで、対象を
キン、と金属音が魔導石から響く。それを合図にして母の足下に光る魔法陣が出現した。
「こちらへ。この陣に乗れば迷いの森へと転送されます」
聞くやいなや、男は魔法陣に足を乗せる。罠の危険性も考慮しただろうに、それでも迷いなく。
魔法陣が起動して彼の体が白い光に呑まれていく。
「……これ以上、礼は言わない」
「ええ。構いません。我々魔術師と貴方のような方は──本来、交わることさえ許されないのだから」
光が消える前にこちらへ向けられていた蒼い瞳は、痛そうに見えた。その理由など、私には分からない。
「──……行っちゃったね」
「母さん、何で行かせたの」
もっと知りたい事があったのだ。何もかも消化不良で気分が悪い。あんなに、貴重なサンプルだったのに。
恨みがましい目を向けると、母は何処か遠くを見つめていた。
「普通の人間みたいだったわ」
「え?」
「六大陸の者は、魔術師の敵だと。彼らは残虐で人の皮を被っただけの化け物で、生かしておいてはならないのだと──そう、幼い頃から教わってきたのに」
まるで、と母は呟く。
「私達と同じように、ただの人間みたいに見えたの」
その赤い瞳には、いつもより深い悲しみが満ちていたように思えた。
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