蒼玉ヘジテイト②
──結論から言って、「出て行きます」「はいそうですかさようなら」とはならなかった。
「説明は受けたかと思いますが、あの森はうちの私有地のようなもので……本来、外部の者は侵入不可能です。ですので、その、せめてどうやって入ってきたのか……何故不法侵入をしたのかを述べて頂かないことには……」
恐縮しながら言い淀む女を見て、秋人は苦笑した。本来なら秋人の方は立ったまま話をするつもりだったのだが数分もすると強烈な目眩に襲われて椅子を用意される羽目になった。思いの外自分は重傷らしいとようやく自覚する。
一方で御影 紅葉と名乗った彼女は、不貞腐れた様子のミズキを膝に抱きかかえている。ツバキはツバキで、紅葉の腰にしがみ付いてミズキを宥めているのだからどちらが姉か分かったものではない。まぁ双子に姉も妹もないのだろうが。
執務室のような部屋の中、椅子に腰掛ける紅葉の背後には屈強な体つきの男が二名控えていた。「護衛のようなものなので、気にしないでください」とは言われたものの無視するには存在感が強過ぎる。
──それにしても、不法侵入か。
成る程確かに、彼女達側の話を聞く限り自分は紛うことなき不審人物である。
この場所が魔術師達が蔓延る魔術組織であり、紅葉が統括者である事は聞かされたがその事実が無くとも怪しまれたのは間違いないだろう。
そうは言っても秋人自身も自分が何故こんな所にいるのかはよく理解していない。
経緯自体は把握しているがそれはミズキに語った通り空間転移──瞬間移動のようなもの──に巻き込まれたからである。
ならば、何故例の森に転移したのかと問われればそれはもうお手上げだ。偶然に過ぎないものに理由を付けて説明する事など出来ない。
「……魔術師でもない貴様が、空間転移だと? そのようなデタラメを信じるとでも思ったのか」
そんな事言われても、と秋人は心の中で溜息を吐く。
威圧するように口を開いたのは紅葉の背後の男のうちの一人だ。先程から紅葉は困ったように微笑んでいるだけだが、どうも謎のボディガード二人が口を出してくる。
彼の言うように秋人は魔術師ではない。
魔術師に不可欠な魔力とそれを生み出す為の魔力回路。その二つが備わっていないので見る者が見れば分かる事実だ。
正直、秋人が魔術師であるとかないとかはどう考えても話の本質に関係無いのでその辺は無視してもらいたいのだが、そうはいかないのが魔術師という生き物である。
魔術師。
それはこの世の真理を理解した者を自称する人種だ。
魔力という不可思議なエネルギーを操り、魔法陣とも呼ばれる術式を組み上げ、人の身に余る超常現象を引き起こす。彼らは魔術師こそが神に選ばれた存在だと主張する。
人間の一部、などという言葉は当て嵌まらない。彼らは「魔術師」という種族であり彼ら自身もまた己は普通の人間とは違うのだという自負があるのだ。
好きに言ってろと言いたくなるような連中だが、前述したように彼らは自分達が神に見初められたのだと信じている。故にこそ魔術なる崇高なものを扱えるのだと。
そんな彼らはこの世の全ての超常現象を魔術によるものだと考える。空間転移などその良い例だ。
魔術師は、偉大なる神に選ばれた尊い存在。だから魔術を扱える。
では魔術師でもない人間が魔術を使用したとすれば?
「穢らわしき罪人め。魔術師でもないのに魔術現象を起こしたと騙ると? それだけで許されざる蛮行だ。仮にそれが真実だったとして、やはり罪は重い。魔術は、選ばれし人間にのみ許された神の御業」
「然り。紅葉様のお手を煩わせるまでもない。我らが今ここで処分してくれようぞ」
押し殺した溜息が口の端から漏れてしまいそうだった。
秋人が利用したそれは魔術に関わるものではないのだがそう伝えたところで納得するとも思えない。
命を救われた矢先にどうして冥府に叩き返されそうになっているのかは甚だ疑問だが、何度も言うように魔術師はこういうものなのである。
「煩わせるも何も、私は別にこの人を処刑するつもりはないわ。ちょっと黙っていてちょうだい」
そんな中紅葉はやんわりと、しかしきっぱりと二人の言葉を拒絶した。
それでいて処刑などという物騒な言葉が当たり前のように目の前の女から出た事に驚く。
傀儡などではない。限られた数とは言え、紛れもなく魔術師達の頂点に立つ女。
それだけの素質があるのだろう。これはやはり厄介な地へ足を踏み入れたように思う。
「先を急ぐと言いましたね。理由を聞いても?」
ミズキの頭を撫で付けながら、紅葉は微笑んだ。空間転移の件についてはこれ以上触れるつもりはないのだろう。
秋人は一瞬、視線を彷徨わせた。
包み隠さず全てを話すつもりなど毛頭無い。
紅葉に敵意は見られないとは言え相手は魔術師だ。素性が知れれば……穏便には済まない可能性がある。
「約束を、守らないといけない」
悩んだ末にそう零した。
答えになっていないのは分かっていたが予想していたよりもずっと重く響いたそれは、掌に嫌な汗を滲ませる。
滑稽な真似だとは分かっていた。
『──ああ、愚かで憐れな大罪人。お前の罪は、未来永劫赦されない』
そう言って口の端を引き裂いて嗤う子供を思い出す。子供の姿をしただけの死神が脳裏を過る。
『お前の贖罪は果たされない! 巡りの輪を外れた呪われし魂は、償うことすら許されない! お前が犯した罪の重さ、その身を以てよぉく知ることさぁ、哀れな人間』
悪意に塗れ、歓喜に狂い、死神はただ事実だけを突き付けた。
分かっている。贖罪は果たされない。犯した罪は、赦されて良いものではない。
だからこそ、
せめて、約束だけは、と。
「……そう、ですか」
秋人の言葉を聞いた紅葉は僅かに安堵したように微笑む。しかし、その直後何かに嘆くように目を伏せた。
熟れた果実のような赤い瞳は惑うように揺れている。
「二人とも。私はこの方と大切な話があるの。席を外してくれるかしら」
顔を上げた紅葉が視線を送るのは、ボディガードの二人だ。彼らは一瞬、面食らった後で露骨に顔を顰める。
……この状況で腕っ節が立つ(であろう)彼らを追い出そうと?
そんな疑問を抱いたのは秋人だけでなく男達も同様だったようだ。
無論、秋人自身に紅葉達に危害を加えるつもりはない。
人間ではないのは事実だが正直なところ戦闘面でのステータスなどそう人間と変わらないのである。まぁちょっと、ほんのちょっと
しかしその主張を彼らが信じられるかは別の話だ。不法侵入してきた得体の知れない男の言うことなど信じる方が馬鹿である。
「紅葉様、それはなりませんぞ。我らは貴女の盾であり剣。いつ
案の定、この反応だった。
もう一人もしきりに頷いておりその意志の硬さが窺える。
魔術組織のトップ、というのが世間一般から見てどれくらい凄いのかは秋人には分からないものの、まぁものすごく偉いのだろう。多分。一国の王などには並ばないと思うが。
ともあれそんな要人を護衛無しで放置など狂気の沙汰だ。しかし紅葉は困ったように微笑むだけで決定を覆そうとはしない。
それを好機と受け取ったのか、男が姿勢を正して声を張り上げる。否、上げようとした。
「例え紅葉様の命であれ、我々は──」
「今……何と仰いましたか?」
地の底を這うような声が突如真後ろから響く。
へ? と間の抜けた声を上げる羽目になったのは秋人だ。そもそもこの場には自分の目の前に紅葉、ミズキとツバキ、そしてその背後に二人の男が控えているだけだったのだから。そんな中、秋人の後ろには部屋から出る扉が鎮座するのみ。声はそちらから聞こえてきたのだ。
一方で、男達は視線を一点に固定させて完全に凍り付いていた。まるで恐ろしい化け物でも見るかのような目は秋人……の背後へと向けられている。
「今一度問いましょう。
不審に思った秋人が振り返ると、そこには一人の女性が音も無く立っていた。焔を連想させる赤い髪に、ややシックなデザインのメイド服が特徴的ではあるが──何よりも、明らかに殺意が込められている吊り上がった金の双眸が印象的である。
「く、クロウリー様……」
男が絞り出すように声を上げた。大袈裟なほどに目は泳いでおり、脚まで震えている。大の男が産まれたての子鹿のようだ。
それを見た女性は、ずい、と一歩前へ出る。
「はい、そしてさようなら右京様。貴方を紅葉様に逆らう叛逆者と定め、処刑させて頂きます」
「ご、誤解! 誤解です! 言いそうになっただけでまだ言ってません! というか言いそうになったのは左近の方です! 私は関係ありません!」
「き、貴様! 私を売るつもりか右京! ……落ち着いてくだされクロウリー様! 言葉の綾というやつです!」
阿鼻叫喚である。
女は一歩、また一歩と歩を進めていく。立ち昇るオーラは悪鬼のように禍々しい。
それでいて、女は先程から無表情のままだ。ピクリとも表情は動かないが、むしろそれが男達の恐怖を増長させているのだろう。
白羽の矢が立った男──左近というらしい──は後退りながら、助けを乞うように紅葉を見る。
紅葉は背後の彼を振り返らず、そしてあくまで困ったように笑みを浮かべたまま無慈悲な一言を放った。
「ごめんなさいね。こうなったエイダは私にも止められないわ。二人とも、言い訳は上手くやるのよ? でないと死んでしまうかもしれないわ」
笑顔と共に告げられた死刑宣告を最期に。右京と左近は女に引き摺られて何処かへ行ってしまった。
……断末魔のような叫びは未だに扉の向こうから聞こえているのだが。
呆然と彼らが出て行った扉を見遣る秋人に、「エイダは母さんが命じない限り本当に殺したりしないから大丈夫だよ」という呑気なミズキの声が掛けられたのはまた別の話である。
「さて、話の続きをしましょう」
咳払いと共に場が仕切り直される。紅葉らの反応を見る限り、先のやり取りは日常茶飯事であるのだろう。
しかし弛緩した空気が流れていたのはそこまでだった。
紅葉の赤い
本能が警鐘を鳴らしたが、もう遅い。
薄い唇を動かして、吐息を吐くように彼女は言葉を紡いだ。
「貴方は……“六大陸”に
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