落ちる花、朽ちる前の記憶②

 お母さんを呼んでこい、と水城に言われたものの、不幸にもお母さんは隣の書斎にはいなかった。

 早くしないと水城に怒られるのでわたわたと組織内を探してみたけど、見つからず。仕方なく戻ろうと道を引き返したところで──酷く慌てた様子のお母さんに声を掛けられた。


 事情を話すと、お母さんもあの男の人の所へ行くつもりだったようだ。というのも、水城が杖を持ち出した事がエイダ経由でバレたからである。

 怒られるかと思ったけどお母さんは何も言わなかった。水城が好奇心を満たす為なら手段を選ばないのはいつもの事だし、止めようとして止まるものでもないからだ。


「水城! お母さん連れて来たよ!」


 これ以上遅くなると水城に怒鳴られること間違いなしなので慌てて部屋に飛び込む。

 さっきまで魘されていた様子の男の人は既にベッドから起き上がっていて、それどころか何故か腰に水城が縋り付いていた。


 蒼い髪に蒼い瞳の……私は実際に見たことはないけど、海を連想させる風貌の男の人。多分、歳は三十代半ばくらいだと思う。

 その人の腰に、何故私の片割れがしがみついているのか。

 危ないから勝手な事をしないようにと散々お母さんに言われたのを何も聞いていなかったのだろうか、この姉は。


 とにかく水城を引き剝がさないといけない。事情は全く分からないけど、こういう場合は十中八九悪いのは水城だからだ。

 身元不明の謎の男の人と身元も正体も十分分かっている私の片割れ。この二つを天秤にかけた時、後者が悪だと迷いなく断言出来てしまうのが流石は水城と言ったところだろう。


 私が戻ってきた事にも気付いていない水城に声を掛けようとして、それが出来なかったのは先に水城が口を開いたからだ。

 何が気に障ったのか酷く不機嫌な様子で水城は男の人に向かってこう言い放った。


「それは、君がである事と関係しているのかい? ねぇ、秋人」


 ──……私の片割れは、水城は、賢い。


 それこそ、私とは比べようもないほどに。

 だけど同時に、水城には致命的なまでの欠点がある。


 彼女は、人の感情が理解出来ない。

 人を思いやる心はあるのだろう。他者を憂う気持ちも存在しないわけじゃない。不器用ながらに誰かに優しさを向けることもあるにはある。

 だけど水城は、それを肝心な時に目の前に存在する人間に対して向けられない。


 だから気付かないのだ。

 水城が放った言葉で、水城の目の前の男の人の感情が、大きく揺らいだという事実に。

 それは動揺だったのかもしれないし、悲しみだったのかもしれないし──強い、怒りだったのかもしれない。

 だけど蒼い瞳は一瞬だけ胸を締め付けるような痛みで揺れた。傍目から見ても分かるほど明確に、水城の言葉は刃物のような鋭さを伴った。


 なのに。


「人でなき身でありながら、人のように振る舞いたいとでも? 愚かな」


 水城は口を閉ざさない。

 何処かつまらない寸劇を見せ付けられたかのように、その口調は酷く淡々としている。


「この世界は、事実こそが真理だ。真実以外に縋り付いたところで何になる? 何もかもが無駄だ。生産性の無い行為はいっそ害悪だろうに。それはその長過ぎる生の中で、君自身も嫌と言うほど分かって」

「──水城ッ!!」


 堪らず、声を荒らげる。

 ようやく私に気が付いた水城は、不愉快なものを見る目を私に向けた。「何だ、いたのか」とでも言いたげな視線を。


 どうして気付かないの。分からないの?

 凍り付いたこの場の空気を感じないの。


 私よりもずっと頭が良いはずのあなたが、どうしてこんな事がの。


「……お母さんが、水城に用事があるんだって」


 このままだと、きっとこの人はいつか間違える。致命的に踏み外す日が必ず訪れる。


「そうだよね? お母さん」


 背後で呆然と立ち尽くしていたお母さんに声をかける。一瞬狼狽えたお母さんは、すぐに私の意図を理解してくれたのか小さく頷いた。


「母さんもいたの。用事というのは、ここじゃ駄目なのかい?」

「ええ、少し部屋を移しましょう。椿は……」

。だから、お姉ちゃんを連れて行って」


 不服そうではあったけど、お母さんに弱い水城はその後をついて出て行く。

 部屋に残されたのは私とあの男の人だけだ。

 彼は無言で、だけど少しだけ嫌そうに私を見ていた。それでもさっきまでの危うさはもう残されていない。

 ……多分、私も水城と似たような性格をしているのだと思ったのだろう。見た目だけは私達は瓜二つだ。


「私の名前は椿と言います。ごめんなさい。水城……姉が、酷い事を言いました。信じられないかもしれませんが、あれで悪気はないんです」


 だからこそタチが悪いのだろうけど。

 水城はさっきのように、いつも無自覚に誰かを傷付ける。


「いや、良いよ。子供の言う事だし……あの子がああいう子だっていうのは十分分かったから」

「ご、ごめんなさい……あの、多分本人は謝らないと思うんですけど」


 細かい事は私には分からない。だけど水城がものすごく失礼な事をこの人に言ったのは事実である。

 それなのに本当に何でもない風に返されて、恐縮してしまう。恐らく、水城は一連の言動をいくらお母さんに咎められても絶対に謝ったりはしないだろう。悪いと思っていないからだ。


「良い、良いから。寝起きの頭にはちょっとインパクトが強かったけど、お陰で意識もはっきりしたし。むしろ君にはお礼を言わせてほしい。ええと……森で、俺を見つけてくれたんだって?」

「は、はい。偶然ですけど……」

「ありがとう、ツバキ。俺の名は秋人。君がいなければ確実に死んでたと思う」


 冗談めかしてそう笑って、穏やかな目が私を捉える。

 優しい目をした人だな、と思った。同時に、その蒼はどうしてかとても悲しい色をしている気がした。


「それにしても、君もミズキも警戒心が薄いのか? 自分で言うのもなんだけど、俺みたいな怪しい奴にこうして平気で近寄ってきて」


 秋人さんはちょっと呆れたような顔をする。立っているのが疲れてきたのか、彼はベッドに腰を下ろした。誰も彼も忘れているかもしれないけど本来立ち上がる事も困難であろう怪我人である。


「……それに、君の姉さんの言葉は事実だよ。俺は人間じゃない」


 苦笑と共に重く、言葉が吐き出された。きっとその事実は彼にとって受け入れ難いものなのだろう。

 人間じゃないのなら、一体何なのか。私には分からないし、水城ならきっとそれを問い詰めるのだろう。このタイミングで彼が自ら申告したのは私への牽制のような意図があったのかもしれない。私は水城じゃないので、踏み込んだりはしないのに。

 私はそんな事は重要だと思わないから。直感で思った事だけを口に出す。


「だからと言って、悪い人だとは限らないでしょう?」

「かもしれない。だけど少なくとも俺は善人じゃない」


 秋人さんはそう言うけれど、私には分かる。

 この人は良い人だ。私の直感は、きっと正しい。

 そうでなければあの心配性の母が私をここに残していくはずがない。


「例えあなたがどんな人でも良いんです。事実として、あなたは水城や私に危害を加えなかったんだから」

「…………」


 何故か諦めたように、彼は笑う。

 ……不思議な雰囲気を持つ人だ。私が初めから警戒心を抱かなかったのはそのせいかもしれない。

 ようやく水城によって凍り付いた空気が和んできたので私はそれとなく水城の魔術についての話を持ち出す。彼は魔術には理解があるのか、すぐに理解してくれた。


 訳知り顔で水城は何事かを語っていたが、あれは水城の魔術が人の過去や記憶を盗み見れるものだからだ。水城が好奇心でそれを秋人さんに使ったこと、個人情報──名前とか年齢とか──もすっかり知れているであろうことを謝罪も含めて説明する。


「……それで俺の名前を知ってたのか。おかしいと思ったんだよ」


 秋人さん曰く、彼はそれなりに複雑な事情を抱えているらしく可能なら人に話したくはないそうだ。厄介事に巻き込んでしまうかもしれないから、と零していた。

 水城なら喜んで首を突っ込むだろうけど、そうなると結局困るのは私とお母さんである。


 彼がどんな人であれ、どんな事情を抱えていたとしても、私や水城がこの組織から出られない事実は変わらない。知ったところでどうしようもないのだ。


「あなたにどんな事情があるとしても言いたくない事は言わなくて大丈夫です。母もきっとそう言うと思います。水城は五月蝿いだろうけど……母を通すと静かになるので」


 どれくらい五月蝿いかと言うと、三日三晩昼夜問わず張り付いて質問攻めにするくらいである。

 それを伝えると、秋人さんは露骨に嫌そうな顔をした。「子供は無下に出来ないから厄介だ」とのこと。あまり気にしなくても良いのに。水城は嫌な事は嫌とはっきり伝えないと分かってくれない節がある。……伝えても分かってくれないことがほとんどだけど。


「……君も大変なんだな」


 何だか同情するような声色だ。これは水城、随分とこの人に悪印象を与えたのだろう。

 あれで悪い人間ではないのだ。ただちょっと、倫理観とかに問題があるだけで。


「い、良いお姉ちゃんなんですよ……? 私は水城がいないと何も出来ないし……」

「そう? 見る限り君は十歳にも満たないだろう。その割にはしっかりしてると思うけど」


 おかしな事を言う人だ。そんな事、あるはずがないのに。

 だって私は、水城がいないと何も出来ない。


 今だってそうだ。

 目の前のこの人自身は、良い人なのだろうと確信出来る。だけど……同時に、彼は得体の知れない力をその身に宿している。

 使える魔術の影響なのか昔から私はそういうものを見抜く力があった。


 強大な力は本人の意思に関係なく他者に牙を剥く事がある。

 水城の不用意な言動がこの人を本気で怒らせて、もしも、もしも水城に何かあったら……。

 そんな浅ましく身勝手な考えで、私はここに立っている。


「……ところで、秋人さんはこれからどうするんですか? そ、その……あんな所で倒れてたくらいだからまだ体に障るだろうし休んでいた方が良いと思うんですが……」


 というか、普通なら絶対安静にしないと駄目だろう。それなのにどうして彼の意思を尋ねたかと言うと秋人さんは何度も自分が「訳あり」だという事を強調していたからだ。

 真意はさておき何となく長居を避けたがっているようにも思える。

 案の定、彼は曖昧に笑ってこう告げる。


「お暇させてもらうよ。助けてくれてありがとう。この体は頑丈だけど、不死身じゃないからね」


 彼が何者なのか。

 それは秋人さんが立ち去ってしまった後で、水城に聞けば良いことだ。

 水城も全てを理解している訳じゃないはずだけど、私にはそれで事足りる。


「君のお母さんにもお礼を言わないと……ああ、君のお姉さんにも改めて挨拶を」

「いや、あの、水城は」

「……やっぱやめた方が良いかな?」

「はい……多分五月蝿いので……」


 今頃、お母さんのところで不貞腐れているだろうし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る