蒼玉ヘジテイト①

 遠き日の出来事を、今でも夢に見る。

 忌むべき記憶だ。吐き気がする程に悍ましく、呪いのように脳裏に焼き付いている。


『──ねぇ、お願いよ××。最期の我儘なの。ちゃんと聞いてちょうだい』


 青白い肌が月に照らされている。

 奇しくも、横たわるその姿を美しいと思った。


 最期だなんて。

 そうやって首を横に振ると、憐れむように微笑まれる。


『いいえ、最期よ。終わりは変えられないの。だから……約束して』


 伸ばされた手を、取ることは出来なかった。

 生涯で唯一愛したそのひとは、呪詛にも似た祈りを吐く。


『あなたは、ちゃんと生きるの。生きて──……と未来を歩くの。それと、お願い。この子を──……を、一人にしないであげて……』


 その約束は希望とはならなかった。

 遺された願いは、生を縛る呪いだった。

 他に望むものなんて何一つ無く、生きる意味そのものが彼女であったのに。

 それを奪われて、どう在れと言うのだろう。


『そしてどうか、私のことは忘れてしまって。愛しいひと』



 まだだ。


 待ってくれ、まだ。



 まだ、君に、なにも。





 ♦︎


「何だ、気が付いたのかい」


 真っ先に視界に飛び込んできたのは、鮮烈な赤色だった。

 熟れた果実を思わせるそれは、きょときょとと瞬きを繰り返す。


「……は?」

「“は?”とは何だ。それとも君なりの目覚めの挨拶なのかね」


 そこで男はようやく赤い瞳の少女が自分の顔を覗き込んでいるのだと理解した。さらに、自分が今ベッドか何かに寝かされているのだと気が付いたのはその直後のことである。

 意識を自分へと向けてみてようやく分かったことだが何故かあちこちに包帯が巻かれている。全身は鈍い痛みを発しており、上体を起こそうにも思うように体が動かない。記憶を遡ってみようとしたが刺すような頭痛に邪魔をされる。


 浮上したばかりの意識では状況が判断出来ず、彼は一先ず自身に関しては後回しにする事にした。蒼い目が再び少女の姿を捉える。

 すぐ側に立ちながら男を見下ろしているのはまだ十にも満たないであろう娘だ。肩に届く程度の長さの黒髪が、少女が小首を傾げるのに合わせてさらりと流れる。


「初めまして。私の名は水城。御影 水城だ」


 片手に持っていた杖らしきものをその辺りに放り投げた彼女は当たり前のようにそんな事を言った。


「そしてようこそ。我らが組織──“銀の星”へ」


 彼女は男と視線を絡め、にっこりと笑う。

 その笑顔は花が咲いたかのように綺麗で、それでいて何処か作り物めいている。


「……みずき? 銀の……星? 待て、何の話を……」


 話が見えない。

 男は困惑しながらも何とか会話の主導権を握ろうとする。しかし、少女は彼の話を聞いているようで聞いていないらしく勝手に話を進めてしまう。


「魘されていたようだから、妹に母を呼びに行かせたのだがね。まさか目覚めるとは思わなかった。それにしても助かったよ。聞きたい事が山のようにあるのだから」

「いや、待て、聞きたい事があるのはこっちの」

「私の魔術は対象者の過去が映像として私の頭に流れるが、困った事に音声が伴わなくてね。想像で全てを補完するしかないところだが、意識が戻ったのなら丁度良い。まず君があの森で行き倒れていた経緯についてだが」

「だから! 待てって!!」


 取り憑かれたように喋り倒していた少女はそこでようやく動きを止めた。声を荒らげたせいで男は酷く咳き込む羽目になったのだが背に腹は変えられない。ガンガンと痛む頭を振りつつ、彼はやっとの思いで上体を起こす。


「……ミズキ、君の名前は分かった。魔術……ってことは、魔術師か。でもそれ以外がまるで分からない。落ち着いて、順に説明してほしい。ここは何処だ?」

「その問答は必要かい? 秋人あきひと。私は君に説明したい事があるのでなく、君に聞きたい事があるのだが」

「ああ、必要だ。コミュニケーションの第一歩は相互理解だからな。……ん?」


 俺、名乗ったっけ? という思いを込めて男は──秋人はミズキの顔を改めて見た。

 一見するとあどけない笑みを浮かべる少女は彼の視線に首を傾げて応える。

 多分、名乗ったのだろうと思う。覚えはないが。あとなんかもう考えるのが面倒になってきた。

 第一、出会って数分で強烈なインパクトを与えてきたこの少女とこれ以上不要なやり取りはしたくなかった。話が一生前に進まない気がする。


「さっきも言っただろう? ここは銀の星だよ」

「ああ、うん、そうじゃなくてね」


 子供だからなのか何なのか、絶妙に話が噛み合わない。言動から見ても随分と聡明な娘のようだが、それでも幼い事には変わりないらしい。

 まぁこの年頃の子なら仕方ないだろう……そう諦めた秋人は、彼女と向き合うようにしてベッドに腰掛けた。幼い子供というのは興味を惹き付けておかないと会話すらままならない事がある。


「君はここに住んでるのか? ここが何処にあるのかとか、そういう事を聞きたいんだよ。見たところ一般的な家屋からは程遠いみたいだし」

「地理的な問いかい? 済まないがそれには答えられない。君の言うようにここが所謂いわゆる私の家だが、何処に位置するのかは私にも分からないんだ」


 分からない。その返答に一瞬面食らった秋人だが、子供だから仕方ないと気を取り直す。迷子に「お家何処?」と聞いても「分かんない」と返ってくるアレである。


「質問を変えよう、ミズキ。俺はどうしてここに?」

「それはこちらの台詞だよ秋人。どうして元老院の私有地なんかにいたのかね」

「……そうだな、俺の言い方が悪かった」


 目眩がしそうだ、と秋人は呻く。とは言っても、既に酷く目の前が霞むのだが。

 どうやら血が足りていないらしい。


「俺は何もこのベッドに突然現れたわけじゃないだろう? 君……もしくは君以外の誰かが俺をここまで連れて来たと見た。それが正しいなら、何処から、そしてその行動を取った理由を教えてほしい。分かる?」

「何だ、そんな事か! 君はこの組織の私有地──とは言ってもそもそも普通の人間が立ち入れる場所ではないが、まぁその森でぶっ倒れていてね。さながら死人のようだったよ。それを私の妹が見つけたので、母に連絡して連れ帰りここで治療していたのだ」


 得意げに話す少女を前に、やっと合点が行く。つまりこの少女は自分の命の恩人だということだ。

 徐々に記憶もはっきりとしてきた事だし、も覚えている。というか思い出した。


「つまり、俺を助けてくれたんだね。ありがとう」


 ぽん、とミズキの頭に手を置いた後に秋人は溜息を吐いた。

 全身が痛むのは事実だが問題なく体は動く。……常人であれば当分は体を起こす事すらままならないだろうが。喜ぶべきかは分からない為、その考えは頭の端へと追いやる。


「あと、君のお母さんって言った? その人にも挨拶……」

「待ち給え! まだ私の話は終わってない!」


 ついでに立ち上がろうとしたものの、突き飛ばされるようにしてミズキに阻まれる事となった。もう大分面倒になってきている秋人を余所に、ミズキは彼へと掴みかかる。


「私は、君の質問に答えたが君は! 私の質問に応えていない! 狡いぞ!」

「……そんなに面白い事は言えないよ。何?」


 いくら怪我人とは言えども自分は大の大人で、まして相手は子供。簡単に振り払えるのは事実だが、そうもいかず秋人は渋々先を促す。

 ピラニアのごとく食い下がりそうな勢いの少女だ。話を聞いてやった方が早い。


「面白さなど求めていない。あの森に流れ着いた経緯だ。……知っているかい? 君を見つけたあの森はね、外部の者はそう立ち入れないのだよ。周辺に侵入者を感知する結界が張ってあってね」

「──……」


 適当に誤魔化そうとしていた彼は、目を細めた。成る程、この少女は思っていたよりもずっと聡いらしい。

 誰かの入れ知恵であればともかくそうでなければ少々厄介だ。でっち上げただけの嘘では納得しないだろう。


 真紅の瞳が、挑むように男の顔を覗き込む。

 そこに浮かぶ笑みは冷たく仮面のように貼り付いている。

 少女自身は敵意が無い事を示す為に笑顔を作っているらしいが、獰猛な本性が滲み出しているかのように瞳が爛々と輝いていた。


「君の素性は知らないが、答えに迷うかもしれない。だが、私は真実が知りたいだけであり逆を言えばそれ以外に一切の関心が無い。例え君がとんでもない犯罪者だったとしても告発はしないよ。安心して話し給え」


 ──この目は知っている。

 嘘を見抜く目だ。


 口先だけでは誤魔化されない、厄介な意志を宿した瞳。

 ……少なくとも、かつて自分にそれを向けた女は目の前の子供のように狩猟者のような気配は宿していなかったが。


 重く息を吐き、秋人は渋々口を開く。


「住んでいた場所を追われてね。その時にちょっと死に掛けた。逃げる最中に空間転移……ええと、魔術で言う瞬間移動テレポートみたいなものかな。それに巻き込まれて、その森とやらに偶然吐き出されたらしい」

「その答えで私が満足するとでも?」


 当然、するとは思っていない。

 それでも彼からすれば話せる事と話せない事があるのだ。


「嘘は言ってないよ。何一つね。でも詳しくは話せない。助けてくれた事は感謝するけど、俺からすると君はまだ信用出来ないんだ。……俺の肩書きはちょっとややこしいからね」


 というよりも、一から説明しようとすると面倒だという意味合いの方が強い。男としても、自分自身の境遇を一から考え直してみると何の冗談だと言いたくなるようなものなのである。本当に冗談であれば助かったのだが。


「水城! お母さん連れて来たよ!」


 パタパタと足音が響き、小さな影が部屋に駆け込んでくる。目の前の少女と、瓜二つな娘が。


 妹がどうのと言っていたが双子だったのか。

 そんな事を思いながら、秋人は胡乱な目を二人の少女へと向ける。ここまで似ているのであれば一卵性だろう。そうなると性格も似通っている可能性が高く、また質問攻めに遭うかもしれない。

 それは本当に勘弁してほしい。


 しかし、ミズキの方は片割れになど興味が無い様子で相変わらず秋人を睨み付けるように見上げていた。その目に、何かつまらないものでも目にしたかのような落胆の色を浮かべて。


 意趣返しのつもりだったのか、はたまた別の意図があったのか──彼女は、酷く冷えた声でこう述べる。


「詳しくは話せない? ……それは、君が」


 薄い唇が呪を紡ぐ。

 唄うように、謳うように。


 そして、ただ、突き付ける為に。


である事と関係しているのかい? ねぇ、秋人」


 酷薄に目を細めて、少女は笑みを浮かべた。

 その言葉が毒となると、恐らくは理解した上で。

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