追想エゴイズム③

 咄嗟の判断だったが先に母に話を通したのは功を奏したと、随分後になってから判明する。

 ──あの森は組織の上層部、“元老院げんろういん”の管轄下にある土地だ。椿はその考えに至らなかったようだが外部の者がうっかり迷い込むなんて可能性はあまりに低く、ましてあのように瀕死の重傷を負った者であれば尚更のこと。


 あの後、瞬間移動の魔術が使える数人の部下と共にすぐに駆け付けてくれた母は謎の男を秘密裏に組織に運び込んで治療することにしてくれた。

 素性が知れないのは事実であったが、救えるかもしれない命を助けるということに異論は無かったらしい。

 結果、あの男は母の書斎の隣の空き部屋で治療を続けられている。治療と言っても手が空いた時に母が治癒魔術をかけているだけなのだが。


 あれから既に二週間。私と椿も興味本位で定期的に男の元へ通っているが、一向に意識が戻る気配は無い。

 何者か分からないので危険だからやめるようにと一部の事情を知る大人達に言われてはいるもののあの怪我ならば意識が戻ったところですぐにこちらに危害を加えることは出来ないだろう。一応、素性を暴こうと私物の検査くらいは行ったそうだが男は翡翠色の二本のレイピア以外に持ち物と呼べるものを所持してはいなかったらしい。

 とは言えこの事を知っているのは母が信頼している数人の側近のような者達だけ。数少ない協力者の中に相手の素性を調べる魔術を扱える者はいないのだ。


 まぁ意識が戻れば本人から直接聞き出せるかもしれないし、母や他の者達はあまり気にしていないようである。これはここだけの話だが、魔術師というのは揃いも揃って傲慢だ(無論、私含め)。何かあっても魔術で対処出来ると思っている者がほとんどで、危機管理能力が低いのである。あと大抵は他人に興味が無い。魔術師らしくない母でさえ他者への関心は皆無である。まぁあの人は観測者としての側面が強いのだろうが。

 しかし、そんな悠長な事では困る。母曰く死に掛けていたのが嘘のように回復に向かっているとは言え、突然悪化して死んだらどうするのだ。

 正体不明の侵入者──迷いの森は完全にこの組織の私有地のようなものなので侵入者と称して間違いないはずだ──という肩書きを負って私の前に現れた以上、秘密を墓まで持って行かれては洒落にならない。どうせ死ぬなら洗いざらい吐いてから冥府の神に面会すべきだろう。


 というわけで私はある考えの元、今日もあの男の部屋へと行くつもりだったのだが。


「それはいけません、水城様」

「何故だエイダ! いけませんも何もは元々私の物だろう!」


 ピンと背筋を伸ばし、私の前に立ちはだかるのは焔のように煌びやかな赤髪を持つ女だ。感情の乏しい黄金の瞳をこちらへ向ける彼女、エイダ・クロウリーは母のお付きの部下であり私と椿の専属の世話係でもある。

 二十代半ばだとは到底思えないほど落ち着き払った物腰の彼女だが、その動じなさが今の私にとっては何よりも厄介だ。

 そんなエイダは私の些細な要求を見惚れるようなお辞儀と共にきっぱりと却下する。


「御容赦下さいませ。紅葉様の命により、あれは許可無くお渡し出来ません。ですがご安心を。このエイダが責任を持って預からせて頂いておりますゆえ」

だぞ! アレが無いと魔術が使えないだろう!」

「はい。その為にエイダがお預かりしております。お忘れですか? 見境無く魔術を使用されてお叱りを受けたでしょう」


 眉一つ動かさずにそんな言葉を吐くエイダ。そういった彼女の様子に思わず舌打ちが口をつく。


 近年の魔術師は魔導具の補助が無いと魔術を使えない者がほとんどだ。それらは形も大きさも問わず、魔術師でなければ所持していたところで価値を持たない。魔力を練る手伝いをしたり、魔術式を組み上げる補助をしたりと魔導具の役割はそれぞれだが私も例に漏れず魔導具を必要とする魔術師である。

 そんな私専用の魔導具──魔導石が埋め込まれた杖──はエイダに取り上げられ、私の手元を離れて久しい。

 知的好奇心に従って無差別に魔術を使いまくっただけだと言うのに、この仕打ちには微塵も納得出来ない。そもそも私の魔術は人に害を与えるようなものではないはずだ。多少濫用したところで文句を言われる筋合いはないだろう。


「何を言われようとも杖はお返し出来ません。お引き取りください」

「こ、この分からず屋め……!」

「エイダは紅葉様の命に従っているだけに過ぎませんので」


 悪態をつこうともエイダの鉄面皮は崩れない。

 私がこんなにも熱心に頼んでいるというのに、何故大人しく杖を返さないんだ。アレが無いと目的が果たせないではないか。

 母も母である。ちょっと大人達に迷惑を掛けたのは事実であれ「ごめんなさいね。貴方がもう少し大きくなったら返すから」とだけ言い残して魔導具を取り上げるのは如何なものか。


「第一、いくら意識が戻らぬままとは言えあの男に近付くのはお辞めくださいと再三申し上げております。……逃亡中の犯罪者である可能性も捨て切れないのですよ?」

「それを調べる為に魔導具を返せと言っているのだ。私の魔術であればその程度なら調べられる」


 ふん、犯罪者だと? 部屋に監視は置かない、牢にも繋がないくせにか。

 母もエイダも考えている事がさっぱり分からない。あの男の正体が知れないのならば私が術を使うだけでそれが判明するかもしれないというのに。


「御理解ください水城様。紅葉様は……御母上は水城様の無鉄砲で後先顧みない性格を案じておいでです。身の安全が保証出来る状況であれば水城様の魔術に頼る事もありましょう。ですが」

「現状はそれに値しないと。……珍しくよく喋るじゃないか。成る程ね、やはりお前に直接交渉に来たのは私の判断ミスだったらしい」

「……」


 ああ、これだからエイダは嫌なんだ。私が動くのが一番効率が良いと分かっているだろうに、こう見えて論理的でない選択をする。

「もう良い」とだけ吐き捨てて、私はエイダに背を向けた。


 三日も経てば考え方が変わっているかとも思ったのだが……。結果は前回と同じ。

 まぁ、


 初めからエイダを説き伏せられるとは思っていない。というか本気で説得したいのならばこんな通路のど真ん中ではなくエイダの自室まで赴いている。

 ともあれ時間稼ぎには充分だっただろう。目的はエイダを部屋から引き離しておくことだったのだから。


「──上手くやっただろうね」


 自室に戻るなり口を開く。

 情けない顔でベッドに腰掛けているのは椿だ。


「ちゃ、ちゃんと取ってきたよ。でもこんなのバレたらエイダに怒られる……」


 そう言いながら椿が差し出すのは先端に赤い宝石が埋め込まれた木の杖である。これこそが私の魔導具だ。

 当初の予定通り、私とエイダが話している隙に彼女の部屋に忍び込んでくれたらしい。


 誰があの堅物エイダ相手に正面から交渉などするものか。私の目的は彼女を納得させることではなく杖を取り戻すことだったのだから。

 ざまぁみろエイダめ。後で私の目論見に気付いて歯軋りでもすれば良い。


「ふん、構うものか。そうなれば監督不行き届きで先にエイダが母さんに叱られる。どいつもこいつも頭が硬いのが悪いんだ」

「でもぉ……」

「でもでも喧しいな! 良いからついて来い!」


 尻込みする椿を従え、向かうのは例の部屋である。隣の書斎には母がいるが、騒がなければバレるまい。第一、謎の男を訪ねること自体は禁じられていないので見つかったところで杖を持ち出している事だけ誤魔化せば良い話だ。


「……あの人、いつ起きるのかなぁ」


 杖を持って私の後ろを歩く椿がぽつりと呟く。

 あまり他人に関心を持たない椿にしては珍しく、例の男のことは拾ったあの日から妙に気にする素振りを見せている。

 あんなショッキングな邂逅を果たしておきながらも身内以外に心を開かない上に人見知りの椿が警戒していないのだ。まぁ悪人ではないだろうとの漠然とした予感がある。こう見えて椿は私と違って人を見る目はある方だ。


「さてね。母さんの治癒魔術は回復力を高めるだけのものであって、傷を綺麗さっぱり消せるような便利なものではない。元々息があるのが不思議なくらいの怪我であったし案外ぽっくり死ぬのではないかね」

「何でそんな事言うの……」

「客観的事実を述べて何が悪い。そんな風にべそをかいても私は慰めないからな」


 最も、その“客観的事実”が適用されるのはあの男が普通の人間であった時の話だが。

 この二週間、確かに母が治癒魔術をかけ続けている。しかしそれだけだ。それ以外の処置なぞ何一つ施していない。

 二週間意識が無いのである。信じられないことに、点滴なども打っていないので要はそれだけの期間飲まず食わずなのと同じことだ。ただの人間であればこの時点で怪我云々の前に衰弱死していてもおかしくはない。

 一応治療はするが、死ねばそこまで。

 それくらいの気持ちで大人達は運び込んだのだろう。恐らくは本気で救う気など大人達の誰にもなかったのではないか。「御影の当主の娘達」の我儘を一応聞いてやろうとしただけで。

 母もあれで結構薄情だ。見ず知らずの者の死を嘆くほど平和ボケもしていない。あの人はきっと多くの死を見つめてきただろうから。


 だが、どうか?

 まだ生命活動が停止していない現状そのものが、異様であることを示している。不思議な事に衰弱する気配も無い。無論、生命活動の維持といった類の魔術があの男に元々付与されている可能性もある。少なくとも母や大人達はそう考えているはずだ。だがだとすれば初めに感じた得体の知れなさは何だ?

 故にこそ、私はあの者の正体が知りたいのだ。今となっては二週間前に出会った死神のことなどとうに頭に無く、私の関心はそちらへと移っていた。


「や、やっぱりやめようよ……聞いてる?」


 今、私達の前には包帯だらけでベッドに寝かされている男の姿がある。……うちの医療班、仕事が雑だな。ガーゼだの包帯だのが明らかなやっつけ仕事で使われている。

 歳は恐らく三十代半ばといったところだろうか。髪色は蒼く、それ以外の情報は得られていない。

 しかし私の魔術であればこの男が何者か知ることが出来るだろう。


 私が扱える魔術は【ミミルの知恵】と呼ばれる種類のものであり、相手の個人情報をある程度調べることが可能なのだ。

 その者の過去の記憶も盗み見れる為に組織の者に使った時は嫌がられたが、今は関係ない。

 椿の制止の声は聞こえていたものの私はそれを無視して杖を構える。


「さぁ、私に君の正体を教えておくれ」


 死ぬのなら、せめてその後に。

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