落ちる花、朽ちる前の記憶①

 私の双子の姉の水城は、私よりもずっと賢く優れた人でした。

 本来なら私なんかじゃなく、水城がお母さんのお仕事を継ぐべきなのだと思います。

 だけどしきたりはそれを許してくれなくて、私も水城も産まれた時から役割は決められていました。大人達だって本当は納得なんかしていなかったくせに。


 大人になったら、私は御影の当主に。

 水城は、名前も過去も家族も捨てて外の世界へ。


 その日が来るのが恐ろしくないと言えば嘘になります。だって私はいつだって水城の後ろをついて歩くことしか出来ないから。

 いつか、彼女がいない道を歩まなくてはならないのかと思うと怖くて泣きそうになるのです。

 それを訴えると、水城はいつも笑いました。


 まだ当分先の話だ。その頃には互いに精神的にも成長して、姉離れ妹離れが済んでいるだろうと。


 本当にそうなるのでしょうか。

 私にとって、一日に数度も顔を合わさない母よりも産まれた時からずっと一緒にいる水城の存在が大きいのです。

 そんな水城が、いなくなる生活がいつか訪れる。それはまるで、自分の半身を奪われたかのように感じるだろうと思うのです。


 どうして、私と水城は双子で産まれてしまったのでしょうか。

 どうして、私は御影に産まれたのでしょうか。


 もしも神様がいるのだとしたら、きっと血も涙もない酷い人に違いありません。

 初めから引き裂かれると決まっていたのなら、最初から血の繋がりなんて要らなかった。




 ♦︎


 ウィン、というロックが解除された電子音の後に金属製の扉が横にスライドする。

 部屋に飛び込んできたのは今朝出て行ったっきり戻らなかった私の片割れだ。


「お姉ちゃん! おかえ、」

「椿! 私は凄いものに会ったぞ!!」


 り、と言い終わる前に水城は興奮した様子で声を荒らげる。子供らしく丸みを帯びた頬は蒸気しており、赤い瞳をきらきらと輝かせながら水城は私に飛びついてきた。

 振る舞いが年齢にそぐわないだとか、子供らしさがまるでないだとか大人達に影で散々言われている水城だけどそれはこういう側面を知らないからだと思う。少なくとも今の水城はただの子供にしか見えない。


「なに? どうしたの、そんなに嬉しそうにして……私ずっとお姉ちゃんが戻ってくるの待ってたんだから」

「そんな事は私が知った事ではない。それよりも聞き給え、私は死神に会ったんだ!」

「し、死神?」


 どうしよう、頭でも打ったのかな。

 水城の話は難しくてよく分からない事が多いけど、今日はまた一段と意味が分からない。

 幻覚でも見たのだろうか? だとすれば医療班を呼ばなくちゃいけなくなる。


「そんな目で見るんじゃないよ。私は正気だ。これからあの死神の正体について調べるんだ」

「え、今から?」

「当たり前だ。文句でもあるのか?」


 だって、折角一緒に遊べると思ったのに。

 ただでさえ今朝も置いていかれたのだ。……泣き疲れてついさっきまで寝てたのはここだけの話だけど。


「はぁ。あのね椿。良い加減私ではなく他の者とも打ち解けたらどうなんだい? 私よりもずっと話が合う子供が組織にはいるだろう」


 私がまごついていると、水城は呆れたように目を細める。

 確かに、水城の話は難しいし水城が興味を持つことは大抵私は関心を持てないし、何よりも好奇心を優先してしまう水城にはついていけない事がとても多い。

 だけど私は水城が良い。二人でいられる時間を大切にしたいのだ。……それに、私はこの人から目を離してはいけないのだと思う。


「……全く、しょうがない子だね。仕方がない。母さんとも約束してしまったし」

「遊んでくれるの?」

「そうは言っても何をするんだ? 言っておくが二度とかくれんぼはしないからね。迷子になったお前を見つけるのにどれほどの時間を費やしたか思い返すのも悍ましい」


 それは私としても思い出したくない記憶なので忘れてほしい。この組織は子供の私達にはあまりにも広過ぎる。


「あ、あのね……! 森に行きたい!」

「森ぃ?」


 要望を口にすると、水城は思いっきり嫌そうに顔を顰めた。


 森と言うのは、組織の周囲を取り囲んでいる通称・迷いの森の事だ。舗装や整備がされていないせいで道と呼べるものがなく、ごく稀に遭難者が出るのでそう呼ばれる。魔術があるので助からないなんてことはまず無いけど。

 私も水城も原則としてこの施設からは出られないけど迷いの森には行っても良い事になっている。

 遠くに行き過ぎてしまったらどうするのだろうと思ったこともあるけど、その心配はないらしい。水城が言うには森には特殊な結界が仕掛けられていて、御影の本家筋の人間は結界の外に出られないのだと言う。


 それはさておき森には綺麗な泉や花畑がある。前に何度かお母さんが連れて行ってくれたその場所は、とてもきらきらとしていて素敵なのだ。

 日頃から書庫に籠っているせいで水城はそこを見たことがないけど、きっと気に入ってくれると思う。


「お花畑に囲まれてる泉があるの。ねぇ、行こうよ。お母さんにお花摘んであげたいし……」


 まだ渋りそうだったので、それとなくお母さんを引き合いに出す。

 水城はどうもお母さんに弱い。奔放な姉もあの人にだけは心配をかけまいと振る舞うのだ。

 思った通り、嫌々ながらも水城は午後からの予定に承諾してくれる。


「ちゃんと道案内出来るんだろうね? 迷ったら迎えを呼ばなくちゃならなくなるのを忘れるんじゃないよ」

「だ、大丈夫だもん。お母さんもあんまり遠くないから一人で行っても大丈夫よって言ってたから」

「でもお前は方向音痴だしなぁ……」


 外の世界に強い憧れを抱いてる節がある水城だけど、どうにも森には行きたがらない。

 曰く、「どうせ紛い物の箱庭だ」とか。私にはその意味はよく分からなかった。

 私も水城も同じ色の赤い瞳をしているけど、きっと見えている景色は全然違うのだと思う。


 やや不機嫌そうではあったものの、水城は一緒に来てくれるとのことで話は落ち着いた。

 いつもとは違い私が水城を先導する形で組織から出る。

 木々が生い茂る深い深い迷いの森。目印と呼べるものはなく、ただ似たような景色が無限に広がっているだけ。

 だけど私はこの森が好きだった。鼻をつく緑の匂いも、時折姿を見せる兎などの愛らしい小動物も、生を実感させてくれるから。

 無機質な金属で出来たあの組織の中では味わえない、紛れも無い生命の証を。


「ふぅん、変な子だね。組織の中にも植物を育てる施設は存在するし、動物だっているだろう」

「……組織の中で育ててる植物や動物は魔術の実験に使う為のものでしょ?」

「だが生きている事には変わりない。何の不都合があるんだ」

「不都合は無いけど……」


 無いけど、そういう問題じゃないと思う。

 困ったことに水城と私の感性は少し相容れない。

 こんな時に私の意見を主張しようとしても、私が水城に口で勝てるはずがないので黙るしかなくなるんだけども。


「それより本当に道はこっちで合ってるんだろうね? もう随分歩いたように思うが」

「た、多分」

「多分、だと?」


 合ってる、はず。

 あそこに生えてる木、前に来た時に見たことある気がするし。

 それにしてもそろそろ着いてもおかしくないはずなんだけどなぁ。


「あのね、この辺りだと思うからお姉ちゃんも探してくれない? すごく澄んだ泉だから見つけたらすぐ分かると思う」

「とは言ってもねぇ」


 そうは言いつつ、水城の姿は草むらの奥へと消えていく。

 私達は組織の医療班や捜索隊など、それぞれの部隊に直通で通信出来る魔導石(科学的に言うところのデンワとかいうやつらしい)を持たされているので、最悪はぐれたところで問題も無い。魔導石に魔力を流して起動するだけで、魔力が探知されて誰かが迎えに来てくれる。組織の中だと他にも魔術師が大勢いるせいで魔力は探知され辛く、迷子になってもなかなか見つけてもらえないけど。


 それにしても外ならすぐに見つけてもらえるとは言え、水城ほど割り切って行動出来る人間もそういないだろう。私自身、大丈夫だと分かっていても水城の後を追いかけたくなってしまう。

 ……勿論、そんな事をすれば「お前が泉を探せと言ったんだから別の場所を探してこい」と怒鳴られてしまうからぐっと堪えたのだけど。


 仕方がないので水城と反対方向へ足を踏み出した。もっと背が高ければ遠くまで見渡せただろうに、自分の背丈ほどもある茂みを掻き分けながらじゃないと進むことも出来ない。

 それでも精一杯背伸びをしながらきょろきょろと辺りを見回してみる。


「……わっ!?」


 結果、足元への注意がすっかり疎かになっていたことに気が付いたのは何かに躓いてすっ転んだ後だった。


「い、いたた……」


 偶然土が柔らかいところで助かった。顔から地面に突っ込んだものの、泣くほどの痛みは感じられない。


 木の根っこか何かに引っかかったんだろうか?

 木の枝や葉に遮られて陽の光が届かないこの森では障害物が目に入りにくい。

 額をさすりながら体を起こして振り返った私は──自分が足を引っ掛けたものの正体を知り、声にならない悲鳴を上げることになる。


「ひっ……!? な、なに……? 人……!?」


 引き攣った声を喉から絞り出し、混乱した頭のまま後ずさる。

 そこにいたのは気の幹に凭れ掛かる形で座り込んでいる男の人だった。それも血塗れで。

 私はどうやら力無く投げ出されたその人の足に引っかかったらしい。

 意識を失っているのか──あるいは。それは私には分からないけど、ぐったりとした様子の男の人からは生気はまるで感じられない。


 見たこともない人がこんな所にいる。それだけでも心臓が口から飛び出しそうになるのに、その上でこんな状況なのだ。卒倒しなかっただけでもマシだったと思う。

 彼のすぐ側には二本の細い剣が転がっており、それらにもまた赤い液体がべったりと付着していた。それを見た私はとうとう我慢出来なくなり、半狂乱で片割れの名を呼ぶ。


「水城! 水城、何処……!?」

「お姉ちゃんと呼びなさいと言っているだろう。どうした? 何かあったのか」


 思っていたよりもずっと近くから水城の声が聞こえた事に一時的な安堵を覚える。

 腰が抜けてその場にへたり込んでいた私は、草の根を掻き分けてこちらへやってきた水城に縋り付いた。水城が口を開くよりも先に、男の人を指差す。


「あ、あれ……」


 水城は一瞬顔を顰めたけどそれだけだった。

 その場から動けない私を突き飛ばすように振り払うと、男の人へと近寄ってしまう。


 あんな量の血、見たことがない。

 目尻に溜まった涙が溢れないように耐えるだけで精一杯なのに水城はどうして平気なんだろう。


「し……死んでるの?」


 しげしげと男の人を眺める水城に恐る恐る声を掛ける。

 服の上からでも分かるくらいにその人は全身傷だらけで、とてもじゃないけど無事には見えない。俯いているせいで蒼い髪に隠された顔色は分からないけど、きっとすっかり血の気が失せているのだろうと思う。


「……いや」


 水城は動じる様子もなく首を横に振った。

 選別するような赤い瞳は真っ直ぐに男の人へと向けられている。時折、双子である私でもゾッとしてしまうほど水城の目は冷たい。物事の本質を探ろうとする時、水城はいつもあの目を向けるのだ。

 私は一度、お母さんの側近の大人達がこんな噂をしているのを耳にしたことがある。


「水城様は、子供の皮を被っただけの化け物だ」と。


 そんな水城は私の方へと振り返る。その時には彼女の瞳はもういつもの勝ち気そうな雰囲気に戻っていた。


「まだ、息がある。助かるかもしれない。椿、すぐに医療班──いや、母に連絡しなさい。医療班には母さんに話を付けてもらった方が良いかもしれない」


 その声に急き立てられるように、私は通信用の魔導石を起動する。混乱のあまり正常な判断が出来なくなっていた私には、水城が小さく呟いた言葉は耳に届かなかった。


「……普通の人間であれば、恐らく助からないだろうが」

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