追想エゴイズム②

 やはり椿を探しに仕事の合間に抜け出していたらしく、母は話を終えるとすぐに書斎へ戻ってしまった。

 このように私は放置されている事が多いが、母は椿の居場所を気にしている事が多い。というのもあの愚妹が未だにこの組織内で迷子になるからである。

 外観はただの鉄の箱のようなここだが、中は存外広大だ。下手な場所に迷い込むと二度と発見されない危険がある為に私も本当はあまり一人で彷徨かないようにと言われている。


「とは言え、今更迷うはずもないが」


 独り言と共に通路を歩く。向かうのは無論私と椿の部屋だ。

 カンカンと足音が響く金属製のこの通路はあまり好きでない。どうせなら木材か石材で作れば良かったのに、ここを作ったという六人の魔術師英雄様は何を考えていたのやら。無機質な作りは要塞か何かのようで落ち着かないのだ。


「ん?」


 無限に続いているようにも錯覚する長い長い通路。その直線上に小さな人影が見えた。

 その影は何をするでもなくただそこに佇んでいる。


「……子供?」


 不審に思いながらも近寄ると、その正体は私とそう背丈の変わらない子供らしかった。らしい、というのもその影は赤いフードを被っているせいで顔が見えないからだ。

 体のラインも赤いマントに隠されているせいで性別すら不明瞭。

 そして何よりも違和感を突き付けたのはその者の足元だ。小さな足は何も履いておらず、透き通るように白い──否、実際に、透けているように見えた。


 だがこの組織ではその程度不思議なことでもない。幻術系の魔術が扱えるのだろう。だがこんな者が組織にいただろうか?

 しかし、外部の者が侵入出来るようなセキュリティではない。せめて顔さえ分かれば諸々の判別が可能なのだが……。


「……今更、観測者にお前のように素質を持つ人間が生まれるとはね」


 影が口を開く。聞き覚えのないそれは、少年のようにも少女のようにも聞こえる声色だった。そして達観した聖者のようにも全てを嘲弄する悪魔の囁きのようにも思える、奇妙な言葉だ。

 子供特有の甲高い声だと言うのにそこにあどけなさはない。


「先代ですら足りなかったのに。本当にアレは何を考えているのだか」

 

 ふう、と子供のような何かは息をついた。そんな可愛らしい仕草とは掛け離れた、臀部を直接撫でるように這う声を聞いて遅まきながらに理解する。この者はここの組織の人間ではないということを。それどころか、恐らく人ですら──。

 それでもすぐに逃げ出さなかったのは見目の幼さ故か、もしくは私の本能が恐怖を認識することすら拒否していたからか。


 手を伸ばせば届くほどの距離。

 赤い影は、小首を傾げるような仕草をした。本来であればそれは愛らしいとも取れる動作だったのだろう。

 しかし、ドクドクと脈打つ心臓はそれを見て軋んでいる。得体の知れない化け物を前にしたかのように、それは心底不気味に思えるほど悍ましい仕草だった。人ではない何かが見よう見まねで人間の真似事をしているだけのような。それでいて、こちらの反応を見て愉しんでいるかのような。


「君は、何者だ?」


 声を落とし、そう問い掛ける。

 場合によっては大人を呼んだ方が良いかもしれない。そう考える頭とは裏腹に、私の意識は目の前のそれに奪われてしまっている。


「……お前は本当に可愛げのない餓鬼だよねぇ。本能では畏れながら、それでも自分の好奇心を満たす為に動くだなんて」


 フードの下から覗く口元を僅かに歪め、それはうそぶく。まるで、今日までずっと私という人間を見てきたかのように。

 囁く声色で言葉を紡ぎながらも、私の問いに対する答えはない。


「ああ、嫌な目だ。自分の目的の為なら何を犠牲にしようとも構わないんだろう? 観測者の域を超えようと、世界の理を侵そうと、知識欲に基づいて行動出来る意志を持って生まれた女。それがお前だ、御影 水城」


 ぞわぞわと足元から忍び寄るような不快感。ただ言葉を発しているだけなのに目の前のそれはいとも容易く私の意識を昏い闇へと引き摺り込もうとする。

 何処か夢心地のような、他人事のような気でそれの言葉を聞いていた私はそこで思わず動きを止めた。

 何の話をしているのかさっぱり分からなかったがただ一つだけ、聞き捨てならない単語が出たからだ。


「世界の、理……?」


 自死を選んだ父が、生前に残した言葉。

 曰く、それに触れたが故に死ぬしかないのだと。

 即ち“世界の理”とやらが父を死に追いやったかもしれないのだ。結局、それが一体何を指しているのか知り得る者はいなかった。

 それを、もしや目の前のこの子供が知っているとでも言うのだろうか?


 二の句が告げずにただ立ち尽くしている私を見て、その影は「ああ」と合点がいったかのように頷いた。

 表情というものは、目元が隠れているだけでその種類を判断し辛い。だがこの子供が浮かべる笑みはそれでも悪意で一色に染められていると看破出来るほどに歪んでいる。


百夜びゃくやが何故自殺したのか気にしていたのか。父親そのものに関心は無いくせに、そんな事ばかりが興味を引くんだな」


 百夜。それは私の父の名だ。

 君は父を知っているのか、などと陳腐な疑問は抱かなかった。

 目の前のものがただの人ではない事など私の頭はとうに理解している。

 そう、そうだ。これは、人智を超えた存在なのだ。


「御影 百夜。……あれは惜しかった。素質はあれど、足りなかった。ああ、でも……思ったよりも粘ったよねぇ。もっと早くに気が触れると思ったんだが」


 くすくすとそれは笑う。

 何がそんなに愉快なのだろうか。不快ではなかったが、ただただ疑問だった。

 そして続いて紡がれた言葉に、私は息を呑むことになる。


「百夜には死ぬのならお前を連れて逝くようにとちゃんと囁いて教えてあげたのに……言い付けを守らないで、いけない子だよ。予定通りに百夜がお前と共に死んでいれば、ボクもわざわざこんな所まで出向かなくても済んだのに」


 嘲笑と共に吐き出されたのは呪詛。

 荒唐無稽な話だったが、私はその言葉がすとんと腑に落ちるような感覚に囚われる。


「君が、御影 百夜を殺したのか?」


 ただ佇んでいるだけのそれ。

 だが、引き裂かれた口元は歓喜の笑みを作っていた。恐らくは私が絶望の表情を浮かべるのを待っていたのだろう。

 だとすれば、目の前のこれは人の負の感情を喰らう化け物なのだ。


 ……今思えば、この子供は私の言葉に対して否定こそしなかったが肯定もしなかった。

 その真意を私が知るのは、もっとずっと後の事になる。


「成る程、そうか。そうだったのか」


 私は口の中で言葉を転がしてみる。

 今この瞬間に少しだけ後悔したのは、手鏡を持ち歩いていなかったことだ。だから私は、指摘されるまで自分がどのような表情を浮かべているのか気付くことが出来なかった。

 人の形をしただけの化け物は、ふと私を見上げて突如愉快げな雰囲気を一変させる。


「お前……何が、可笑しいんだよ」


 可笑しい?

 心底不快そうに吐き捨てられた言葉は間違いなく私へと向けられている。

 だとすると私は笑っていたのだろうか?


「可笑しい……可笑しい、か。ふむ」


 であれば、これが笑わずにいられるか。

 長らく謎に包まれていた御影 百夜の突然死。


 その答えが、今……私の目の前に存在しているのだから。


 父を死に追いやったのは“世界の理”だと言う。つまりそれには人一人を殺してしまうだけの力があり、目の前の化け物はその正体を知っているのだ。


 ああ、これが──どうして笑わずにいられるだろう?


「理由なき自殺が、仕組まれた死だと判明したんだ。まるで頭にかかっていた霧が晴れたかのようだよ」


 好奇心と知識欲を満たせるのはいつだって心地良い。

 死ぬはずもなかった男が、何の前触れもなく発狂死したのであればその原因を究明して然るべきだろう。

 誰に問いかけても知らぬ存ぜぬで返ってきたその答えが、ようやく私の前に現れたのだ。


「君が人でなき者であろうとどうだって良い──私に答えを与えてくれたことに感謝を」


 いつだって感謝の言葉は素直に伝えるべきだ。

 そう考え、私は心からの謝辞を口にした。

 しかし、喜ぶどころかその影は僅かに覗く口元を歪めて舌打ちする。


「……今お前の目の前にいるこのボクが、お前を殺そうとしたんだぞ?」

「だが私は生きている。……ああ、だとするともしかして君は改めて私を殺しに来たのかい? それは弱ったね。私はまだ死にたくはないのだが」


 この世に生を受けてたったの七年なのだ。何故これまで面識すら無かった者に殺意を抱かれているのかは知らないが、死神に魂を奪われるには早過ぎるように思う。


「イカレた女だ。本当にどうしてお前のような人間が今更御影に生まれたんだろうな。これがの意思でなく、ただのバグなのだとすれば、お前の言うようにボクはお前を殺さなくちゃならない」


 成る程、やはりそうか。

 それは残念だが仕方がない。こういう時はどういう反応をするのが正解なのだろう。やはり神にでも祈るべきだろうか──そう考えて目を閉じたのだが、影は「だけど、」と言葉を続けた。


「これが観測者としてのあるべき形だとすれば、お前には生きて観測者としての使命を全うしてもらう必要がある。……不穏分子は消しておきたいんだけどねぇ。結論を急ぐにはお前はまだ若過ぎる」

「つまり、私を殺さないのかい?」

「それは今後のお前次第さぁ。ボクはお前一人にかまけてられるほど暇じゃないんだ」


 退屈そうに吐き出された言葉は、私に向けられているにしては何処か遠い気がした。

 私を通して別の何かを見据えているような……そんな含みと共に影は言の葉を紡ぐ。


「だが覚えておくと良い。これは忠告だよ、御影 水城」


 それは人差し指を口元に当てるとほんの僅かに口角を上げた。


「お前にはいつか、日が来るだろう。だけど観測者たるお前には、願うことも祈ることも許されない。だが、もしも観測者としての使命も役割も踏み躙り私利私欲を満たす為に動くことがあるとすれば──」


 ゆら、と影の足元が揺れる。人の形を保っていたはずのそれが足先から大気にほどけていく。


「当初の予定通り、ボクはお前を殺しに来るよ。これはボクがお前に与える執行猶予だということを、ゆめ忘れないように」


 そうやって、言葉を吐き出すと同時。

 赤い影は跡形も無く空気に霧散して消えてしまった。まるで一連の出来事は全て白昼夢だったのではと思わせるほど鮮やかに。


「……」


 結局あの者の正体は、世界の理とは何だったのだろう?

 私とした事がうっかり聞きそびれてしまった。というか観測者がどうこう言っていたが観測者の役目を継ぐのは妹だ。私ではない。使命も何も、私は観測者なり得ない。


 だが、これで午後からの予定は決定した。こうしてはおけないな。今すぐに部屋に戻らなくてはならない。


 そう──今すぐに、自室でこの興奮を噛み締めるのだ!

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