第一章

追想エゴイズム①

 私と双子の妹の椿つばきが産まれてすぐ、父に当たる男は首を括って死んだらしい。


 御影という一族の現当主である私の母、御影みかげ 紅葉もみじ。その婿養子であった男。

 彼は死の間際、周囲の者に不可解な言葉を遺している。曰く──「世界の理に触れてしまった」と。


「私は、真相……いや、深層を見てしまった。私のような者が目にしてはいけなかったのに」

「だから脱落しなくてはならない。私はここでリタイアだ。ああ──失敗した」


 それが哀れなる我が父の最期の言葉だ。一体何が彼をそうさせたかは分からない。だが、彼が言う世界の理とやらが彼から未来を奪うに足る事柄であったのは事実なのだろう。


 母を一人遺し、死を選んだ父に思うところが無いわけではない。

 魔術師という肩書きを背負う者だけが暮らすこの組織。世界の何処にあるとも知らぬ、鋼鉄の箱のような見た目の箱庭。

 そんな閉じられた組織で生まれ、育ち、そして宛てがわれただけの男と結ばれた母。世の中の汚い部分など何も知らずに妻となり、さらに母となったあの人を平気で置いていけたのだ。結局はそれだけの男だったのだろう。

 だが、同時にこうも思う。彼を責めるのは御門違いなのだと。頭では、分かっているのだ。


 死んだ者と残された者。

 前者が前に進むことは二度とない。いつだって残された生者が前を向き、そして乗り越えていかなくてはいけないのだから。


 故にこそ私は御影としての役割を果たす為に生きる必要があった。

 現当主である母と──そして、次期当主である椿を支え、観測者としてのこの血筋を絶やさない為にも。


 観測者というのが一体何なのか、詳しいことは教えられずに育ってきた。

 分かっていることは御影という姓を冠する魔術師の一族が存在すること。御影の人間は観測者の一族と呼ばれること。御影の本家筋の者はこの組織で生まれ、外の世界を知ること無く育ち、当主としての役割を継ぎ、そしてこの地で死ぬのだということだけ。御影の当主──それ即ち、この魔術組織の頂点に立つということになる。


 本家の人間は子供を複数成す事は許されず、私と椿のように双子で産まれた場合は妹もしくは弟が当主となる。

 これは恐らく御影が魔術師の家系でもあるからだろう。古来より魔術師は兄弟の末の子が魔術の才に恵まれる。だが、家督を継ぐのであれば当然長兄もしくは長女であるのが望ましいのであって──まぁ、この辺りには先人の葛藤が窺える。単純に優秀さだけを求めるなら子を十人でも二十人でも作れば良いだけの話なのだから。


 実際、かつての御影にもそのような風習はあったらしい。ただ、そう言った場合子を孕む女がどのような扱いを受けたかは想像に難くない。さながらその為の道具のように扱われたことだろう。その方が合理的なのだから。

 故に現代では暗黙のルールとして、兄弟を作らせないのだ。歴史の闇ではあるが御影を継ぎ、かつ魔術組織の統括となるのだから優秀な者を選出したがるのは当然のことだ。もっとも、魔術師という生き物が「合理的」の追及を諦めたことには違和感があるが。

 まぁ魔術が衰退した今の世の中では関係の無いことだろう。

 かく言う私も妹も親和性が高い術式を二つ三つ扱えるだけ。その上、専用の魔導具が無くてはそれすら叶わないのだから魔術師という肩書きもあってないようなものだろう。

 しかし、それが何だというのか。人も物もいつかは朽ちる。であれば、魔術もまた滅びを辿るのは道理だ。

 魔術師という存在が今の世にそぐわないのなら、その程度の肩書きは捨ててしまったとしても良い。

 私は魔術師である前に──御影の血を引く者なのだから。


「……水城みずき? 水城、ここにいるの?」


 そうやって書庫で物思いに耽っていた私の思考は通路から響いてきた声によって止められる。

 いつものように気が気でないといった声色だ。まだ昼間なので本来であれば書斎で書類を纏める作業をしているはずなのだが、仕事がひと段落したか何らかの心配事があって手に付かないかのどちらかだろう。後者であるとの当たりを付け、私は声を張り上げた。


「そうだよ、母さん! 書庫にいる!」


 手にしていた魔導書を本棚に押し込むついでに立ち上がる。私の声に釣られるように部屋に入ってきた母、紅葉は普段通りの困ったような表情を浮かべていた。


 何の用事で私を探しているのかは知らないが、母の御付きの部下に書庫に来る旨を伝えておいたのは正解だったようだ。この広大な組織で手掛かり無しに人探しをするのは少々骨が折れるだろう。


「ああ、良かった。ごめんなさいね、勉強の邪魔をしてしまった?」

「ううん。もう済んだから構わないよ。それより、何か用事?」


 私の問いに母は「ええ」と微笑んでみせる。私も椿も今年で七歳になる。しかし母の見目はその歳の子供がいるようには到底見えず、その仕草は少女のようにあどけない。


 毛先に赤い差し色が入った緩やかなウェーブを描く長い銀髪に、熟れた果実のように赤い瞳。そして、今にも溶けて消えてしまいそうな白い肌。身内贔屓に見ている事を差し引いても、母は美しいひとだと思う。

 私も妹も赤い瞳以外は父親に似たらしく、鴉の濡れ羽色よりも黒々としたこの髪は時折恨めしい。別段黒髪で困ったことなどないが母のような者を知っているからこそ自分もこのように美しい髪色であったならと考えることもあるというものだ。


 そんな母は、不安げな表情のまま書庫を見渡す。彼女は溜息を吐くともう一度私に視線を落とした。


「椿を見かけなかった? 朝から見ないから……てっきり貴方と遊んでいるのかと思ったのだけれど」

「ふむ、椿ね」


 私とは違い、おっとりとした性格が母に似たのであろう双子の妹の名が挙がる。昔から何でもかんでも私の後をついて歩きたがる片割れは生来の彼女の性格と私のこの性格が相まってとんだ甘ったれに育ってしまった。

 あれで御影の当主に成り得るのだろうか? それは甚だ疑問だが、そんな椿の姿はここには無い。


「今朝は部屋に置いてきたよ。今何処にいるかは知らないな」


 私のその言葉に母は眉を寄せる。大方、また私が椿を泣かせたのではと危惧したのだろう。しかし勘違いしないでほしい。椿が勝手に泣くのであって、私が泣かせているわけではないのだ。


「連れて来てあげれば良かったのに……。あの子はここにいる他の子供達と話すのもあまり得意ではないでしょう?」

「椿みたいに五月蝿いのが側にいたら読書が捗らないじゃないか。それに椿の人見知りは今に始まった話じゃない。母さんが気にする必要なんかないよ」


 字が歳相応にしか読めない椿は私と違い本に興味が無い。この組織には子供向けの絵本は置かれていない為、ここに連れて来たところで退屈するだけだろう。

 今日の私は椿の相手をするのではなく本を読みたいのだ。邪魔をされては堪ったものじゃない。


「仲良くしなくては駄目よ。それに貴方はその……あの子と比べて、」


 言葉を詰まらせた母は赤い目を伏せた。その瞳には憐憫と贖罪の色が宿る。

 母の言わんとする事を理解した私は、努めて明るく笑顔を見せた。こうでもしないと母はきっと色々と気にし過ぎてしまう。


「子供らしくない、と言いたいんだろう? まぁ私が歳不相応でも椿がその分ちゃんと子供らしく振る舞えるのならイーブンだ」

「……」

「確かに私はあなたの娘にしては知的好奇心が些か旺盛かもしれないが、心配せずとも私は得た知識を悪用出来るだけの実力も権威も無い。……椿が当主となったら双子の片割れ──つまり私は、ここを出て行かなくてはならないのだし」


 私と椿はいつだって違い過ぎる。

 母にとってはそれが悩みの種なのだろう。だがそれもあと十年に満たない年月が過ぎ去るまでの話だ。


 私は子供らしくない子供だろう。しかし、いくら知識を溜め込んだところでである以上、私にはそれを活かす機会は与えられない。

 母は時折、それについて私や椿に謝罪を述べる。


 ごめんなさいね、と。

 双子として産まなければきっと何も問題無かったはずなのに。

 そう言って、母はとても悲しそうに微笑むのだ。


 母は私が御影の当主になりたがっていると勘違いしているのだろうか?

 そんなものは願い下げだ。こんな得体の知れない魔術組織の中だけで生き、外の広い世界に触れずに一生を終えるなど考えるだけで悍ましい。

 椿が何をどう考えているかは知らないが、少なくとも私は今の立場をこの上なく愛している。

 軟禁にも近いこの生活はいずれ終わる。

 とは言え椿の方もさほど不満はないだろう。妹は私と違って外の世界に興味が無い。

 だから私達はこれで構わないのだ。私はこの人の娘として生まれたこと、そして椿の姉として存在することに何一つ不満などないのだから。


「そう……そうね」


 母は微笑む。

 この人が何を思い、何を願うのか私には分からない。


「ごめんなさい。また余計な事を言ったわ」


 事あるごとに謝罪の言葉を口にする母。悲しい口癖を持つ目の前の彼女が見るこの世界は、果たしてどのように彩られているのだろうか。


 そんな母を見ていると居た堪れなくなって、午後からは椿と遊んでやろうと決意した。あれの相手は骨が折れるが仕方がない。母さんを悲しませてはならないのだ。それがこの世界の真理である。

 ……まぁあの妹のことだから泣き疲れて眠ってるやもしれないが。

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