36 キミだけが愛しかった

 時は10年前に遡る。

 <5ツノ真理ノ誓イ>後、最絶頂期の中にいた茅花を率いていたのは空亡の父、人間の母を持つダブルの王華おうかだった。

 その敏腕と父譲りの懐の深さ、母譲りの優しさから日本全土の統治をしていた彼女は「姐さん」と呼ばれ、よく慕われていた。豪快で竹を割ったような性格だったため父である空亡は嫁ぎ遅れることを心配していたが、そんな心配をあざ笑うかのように彼女はやがて西日本怪奇方面賊改方の長官の一族でもあるぬらりひょんの青年と恋に落ち、結婚し、息子と娘を生んだ。

 なにが悪かったのかも、なにがいけなかったのかもわからない。娘が、里華と名付けた娘が4歳の誕生日に公園で遊んでいた時に、それは起こってしまった。

 良く晴れた日の太陽が綺麗な日だった。ごくごく平凡な一日だったのだ。あの時までは。突然能力を、怪奇日蝕を里華が開花させてしまったのは。

 鬼ごっこをしていた人間の王里……里桜と里華。元気に駆け回っていたはずの妹が、急に指を押さえてうずくまり苦しみだしたことにあわてて駆け寄った王里と王華。そこで、黒い炎が里華の指から噴出し王華に燃え移り、全身を焼いたことに里華が泣き叫んでいた。ほんの一瞬で、王里の目の前で母は灰にすらなれずに命を散らした。そして里華の悲鳴を聞きつけて駆け付けた茅花のものに、殺されたのだ。幼い妹は、反逆者と罵られながら槍で突かれて。

 そこからは意味の分からない日々だった。

 母も妹も死に、父は家を出た。残されたのは王里と祖父だけ。いや、それは違う。もう1人の怪奇の王里は覚えていなかったのだ、あまりのショックに忘却の道を選んだ。

 そして母が死んだために空白となってしまった空亡の座、その鬼札の新たな肉体として選ばれたのが死んだばかりの里華だった。ただちょうどよくも火葬する寸前で、ちょうどいいからという理由で。


「屈辱もいいところだ。死んでもなお、里華は辱められてる!」

「華と里華は別だよ。里華は死んで、華は華だ! そう、決めたじゃないか」

「それで、それでも! 里華のいない世界なんて、俺たちに『王里』にとってはないのと同じだ!!」


 血を吐くような怒号はその場にいた全員の胸を締め付ける。まるでのしかかるみたいに息をつくのすらためらわれるほどにふわりとあふれ出た、賊の気配があたりを支配する。

 それと同時に、やはりと思ってしまった。王里は空亡はリヒトは悟った。いや、悟らずにはいられなかった。

 これも、この賊も。ウラもまた、王里の一部なのだと。理解させられる。見かけが若かりし頃の空亡に似ているということだけではない、自らを『王里』と称したことや、茅花の王里以外の最重要機密である里華の存在を知っていること、里桜の言っていた「ヒント『王里』は2人じゃないんだ」という言葉から。なによりもその目が、空亡にはわかってしまった。妻に、姫に出会う前の自分にそっくりなのだ。すさんだ、この世界のすべてを憎み恨み嫉み。怒りに身を任せるそんな荒々しい自分に。

 そんな自分についてきてくれるものもいた。でもそれ以上の怪奇たちが空亡のもとを去り、姫と出会った後にはついてきてくれた。いまの自分に変わる前の空亡にそっくりだった。

 だが、それ以上に。


「うらにい。はな、いらないこなの?」


 その言葉は皆の胸に突き刺さった。

「いらないこ」それは華を全否定する言葉だ。それを巻き戻してからたった10年。10年分の記憶しかない少女が吐くには残酷すぎて。

 華自身はそうは思っていないのか、ただ涙のたまった目でその言葉に唇を震わせる刀を下げ立ち尽くしていたウラを見上げていた。


「は……な。違う、そうじゃない。華、そうじゃねえんだ」

「華、そうじゃないんだよ」


 震えるウラの声に被さったのは、穏やかでたおやかな声だった。絹鳴りよりも心地いい音。でもそれよりももっと、その声は深淵を含んでいた。闇を、暗さを塗りこめたような声だったのだ。

 その響きに、ウラは泣きそうな顔をして「リオ……」と呟く。茅花の三人は、ばっとその声のする方向を見る。ほかならぬ、里桜の方を。


「そうじゃないんだよ、華。里華はね、ボクたちにとって世界そのものだったんだ。唯一変わらないものでボクたちがなんのためにあるのかを教えてくれる、そんな存在だった」

「りお、にい……」

「リオ、もういいやめろ……」

「里華はボクたちにとっての全世界だった。すべてを裏返してもなお形作る、そんなものだったんだよ。だからね華、もう、もうずっと。ずっとボクたちはわからないんだ」

「リオ!!」

「なにが正しくてなにが間違いで、どこから道を違えてしまったのか。もうずっと、わからないままだ」

「リオ! もう、もういい!!」


 蝋人形じみた無表情だった。感情のすべてを虚空に呑まれてしまった、廃人みたいな顔。ただ絶望に呑まれて、途方になんてとっくに暮れてしまっている子どものように、里桜は淡々と言葉を連ねた。

 その言葉の続きを聞きたくないと言わんばかりに刀を取り落としその場にうずくまったウラに、あわてて華が駆け寄る。震えながら耳を押さえるウラの背中を一所懸命なでながら、里桜を心配げに見やる。


「もう一度、里華の身体を持つ華を手に入れれば。ボクたちの妹を側に置けばわかると思ったんだ。でもだめだった。わかろうとするには、ボクもウラも変わりすぎてた。だからね華、キミは正しくない。キミはいらない子なんかじゃないんだ」

「りおにい……」

「里華が華になっても、ボクたちを兄と呼んでくれる限り。ボクとウラはキミが愛おしいよ」


 愛しいからこそ、ボクはこんなにも虚無でウラはこんなにも怒る。ボクたちが背負う感情はこんなにも苦しい。

 どれだけ絶望すれば、どれだけの虚無を抱けばこんなにも空っぽの声が出るのだろうかと言うくらいに空しいそれ。

 でも里桜は精一杯に不器用な愛を伝えようとしていて。怒りは力に変換できる。でも虚無はただ抱き続けることしかできないのに。全部の感情を伝えられる王里より、怒りを力にできるウラより、誰よりも一番に里華を考え、華を思い、兄であろうとした里桜おとこは。

 泣き顔でぐしゃぐしゃなまま勢いよく駆け寄ってきた華の身体を、大事に抱きとめたのだった。自身も、一粒の涙をこぼしながら。

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