32 案外世界の平穏に役立っている怪奇・ジズ

 怪奇の王里は人間の王里に夢を見ていた。逢魔が時もすぎ、夜がすっぽりと百目鬼区を覆いこんだ時分。

 人間の王里は極度の写真嫌いだったらしく、写真や絵姿などは一切残ってないから勝手に姿を妄想してはどう成長しているのかを考えるのが楽しかった。というのも、小さい頃……6歳くらいまでの写真はかろうじて残っていたからである。それをもとに空想するのが楽しかったのだ。それがまさか、自分のせいで。

 煤けた木造の門まで白い顔でふらふらと石畳の上を歩み寄って、もう千何百年と茅花と流麗な筆文字で書かれた表札をつけた巨大な門に手をついた。

 目を閉じて、妄想を繰り返す。もし、王里の半身でもある人間の王里がこの場にいたらを。「祖母に似ていた」と聞いたことのある王里の妄想の元は空亡の妻にして元・供物の少女、王里の祖母だ。

 髪は長くて、桜色の唇は常に笑みを浮かべているのだろう。表情はくるくると変わって自分を決して飽きさせはしない。肌は白くて、まるで。


「あ」


 絹を鳴らすような。鈴を転がすのとはまた違う、可愛らしい声で。優しくて甘さの含んだ声できっと呼んでくれるのだ。


「ボクの半身みーっけ!」


 そう、こんなふうに。ふと目を開いた王里は目を疑った。自分の目玉を抉りだして洗えるのならば本気でそうしたいと思った。

 なぜならそこには。

 髪や目の色こそ違えど、王里が想像していた通りの人物がいたから。

 不思議な、光の具合によって色を変える真珠布に蝶の書かれた道中着に白に近い桜色の腰まである長い髪に、満月色の垂れた目、唇は桜色で月の光に照り返す白肌は可憐な印象しか与えない。白……桜色? の着物をまとったまさしく祖母の若い頃の生き写し、ただまろい頬と目つきが幼さを感じさせ、身長は祖母よりも高いようだったが。そんな存在を前に、止めていた思考を活性化させる。

 こいつは、目の前の存在はいまなんて言った? 「ボクの半身」それは人間の王里だけが呼ぶ、自分の名前で。

 つまり―――。


「……俺の半身?」

「せーかーい!! ……ってことでいいのかな? 一応」


 ひらひらと爪の先まで手入れされたような小さな手がふられる。若干言い回しが気になったものの、それよりもいまは朗らかに目をたらし、笑っている口元を袖で隠して上品に装う理想の半身に見とれるばかりだった。

 風が吹いて、流れるように巻き上げられた髪を押さえる仕草もいい。ではなく。


「お、俺の半身。なんで、その……俺の怪気に」

「呑まれたんじゃないかって? 大丈夫だよー。あれぐらいなら問題ないし。それにボクはボクの意思で君と身体をわけたんだ。だから、大丈夫!」

「俺の半身の意思?」

「うん、実はキミに贈りものがあってねー」

「贈りもの?」

「うん、せーのっ」

「かいきのわかさまー!!」


 ころころ笑いながら目線はきっちり王里にあわせていた人間の王里が初めて視線をそらして、首を振り向くだけで自身の後ろを確認する。

 せーのっという子どものような掛け声とともに出てきたのは、大天狗たちに奪われたはずの華だった。赤いシュシュでハーフアップにされた髪、赤い布地に金の花とレースで縁取られた俗にいう着物ドレスと呼ばれる衣装でそこに立っていた。

 うれしそうに、懐かしそうににこにこと笑みを浮かべて。

 言葉もなく唖然とするしかない怪奇の王里の後ろ……といっても、姿が小さく見えるくらい遠くから声がして、影がだんだん近づいてくる。


「おい、親父! 李杯から返事がきたらしいぞ! おくりもんがあるらしい……って……姫様?」

「あ、リヒトさんだー。こんばんはです、それとボクおばあちゃんじゃないですよー」

「その喋り方……坊、か?」

「はいー。そしてこっちが華です」

「華……鬼札か!?」


 姫。それは身分の高い女性につける敬称だが、王里の祖母は怪奇たちようにと差し出された元供物である。供物として育てられたため当然名などつけられているわけもなく。紆余曲折を経て怪奇たちの正しき王である空亡の妻となったため、「姫」と茅花では呼ばれていた。その存在とかなり似通った容姿、祖母と呼んだこと、語尾を伸ばす独特な喋り方から人間である王里かと尋ねたリヒトに返ってきたのは拍子抜けするくらい簡単な答えで息を呑む。

 華の後ろに回って、抱き込む形で鬼札である華を紹介した人間の王里にリヒトはとうとうあんぐりと口を開けた。


「えっと……きふだのはなです! よろしくおねがいしますなの」

「あ……おお、この歳で丁寧な挨拶のできる子じゃのう」

「えへへー、りおにいさまにならったの!」

「「りお?」」


 呆気にとられていたリヒトだが、一所懸命と言わんばかりの様子でぺこりと頭を下げた華に。その姿を見た途端一瞬泣きそうに顔を歪めたリヒトを優しい眼差しで見る人間の王里。さすがに無視できず、その頭へとゆっくり手を伸ばしさらさらと触り心地の良い髪をぎこちなくなでながら言えば。「りお」と聞きなれない言葉に怪奇の王里と一緒に反復する。


「あ、ボクのことだよー。里に桜で里桜。こっちの姿でははじめましてー」

「里桜か、俺の半身にはぴったりの名前だな!」

「里か……では王は怪奇の王里ということかのう?」

「……それより中に入ってもいいかな? ジズにここまでのせてきてもらったって言ってもさすがに疲れちゃって」


 あからさまなまでに話を逸らす里桜に王里を守るため前に出たリヒト。いい反応だと目を細める里桜とは反対にきょとんとリヒトを見上げた華。邪魔だと言わんばかりに守ろうとしたリヒトを押しのける王里の頭をリヒトがぱしーんと勢いよくはたく。


「「……ジズ?」」

「あっはー……それも言わなきゃか。うん、改めまして世界怪奇方面賊改方やってます、李杯里桜でーす。ジズっていうのはボクの乗り物役をやってくれてる怪奇だよ」

「すっごくおおきなとりさんなの!」


 キミたちが普段のっている一反木綿にみたいに考えてくれればいいからー。のんびりとした口調で微笑みながら言う里桜に、その口調の緩さと緊張感のなさに構えていたリヒトは肩の力を抜く。王里から散々抵抗されて疲れていたのもあるが。華の背後からすっと離れ不安そうにさまよった小さな華の手を握り、再び「中に入ってもいいかな?」と聞いた里桜に、当然のように頷く王里と少し考え込んでからやっぱり頷いたリヒト。

 リヒトが考えていたのは本当に人間の王里だったとして、茅花に害成す理由が見当たらない。10年前の悲劇を覚えていれば別だが、王里は忘れてしまったはずだ。あまりの辛さに。それに「贈りもの」という名目で少なくともその存在の大切さを知っている人間の王里が鬼札を連れてきている。同盟も呑むといっているし、どうせ同盟状で血判をもらわなければいけないのだ、中に入らせないどおりがない。


「じゃ、いこっかー。華」

「はながあんないしてあげるの!」

「ほんと? ありがとー。じゃあこの時間帯はお夕飯食べてるだろうし、大広間に行こうかー」

「まかせるの!」


 うれしそうに握られた手を振りながら煤けた門をくぐり、里桜を引っ張っていく華に。天使が2人いるとでもいいだしそうなほど、感無量とばかりに目を押さえながら上を向いた怪奇の王里に。リヒトは呆れのため息と同時にその頭をはたきながら。


「嵐になる気ぃしかせんのう」


 と独り言ちたのだった。

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