26 失望されることは怖かった
がらがらと引き戸を引いた音がしてなお、シロクは呉服店の受付に身体も顔も向けており、王里を振り返りはしなかった。
しかし、その全身全霊が王里の一挙一動に気を配っているのがわかる。ぴりぴりと張り詰めた感覚。そんなシロクをいままで一度も知らなかった王里は一瞬息を詰まらせたが、すぐに自身の片割れから『大丈夫?』と尋ねられて息を抜く。大丈夫だと、自分は1人ではないのだと感じることができて。
「よォ、シロク」
「……懐かしき場ダ。ここで我は初代様に羽織を着せてもらっタ」
「……俺のこたァ無視かよ」
「王里、王たる皆の
「……」
「怪奇たちの正しき王となれ、王里。そこに越えるべき壁はいくつもあるだろウ。そして最初の1つが我であればいいと願ったお前の成長の糧を、そう願ってしまったかつての……友をどうか忘れてはくれるナ」
「っ! おめェ、まさか! やめ」
「これは殺傷・暴力にあらズ。命の奪いあいであル」
ゆっくりと振り返ったシロクの宣言に、王里は距離的に届かないとわかっていても伸ばした手を固く結んだ。
それはこの世界で遵守されるべき<5ツノ真理ノ誓イ>の、完全なる抜け道。略奪が明文化されなかった理由である。空亡と人間の帝があえて見逃したそれを、宣言することによって殺傷を行うことができる。ただし、それは双方が認めた場合だ。片方のみが宣言をしてもそれは何の意味を持たないどころか、自滅することになる。だから、宣言をしたからには後に引けないのだ。
しかし。
先ほどの言葉から察した意図を、王里の成長のためにその身を差し出そうとしているシロクに気付いても。もう遅いのだ。宣言はなされ、世界に受理されてしまっただろう。
こちらが宣言をしないことで時間を稼ぐことはできる。しかし宣言は両者がせず片方のみがした場合、宣言したものをまるであざ笑うかのようにじわじわと時間をかけて石に変える。そして王里は友を、王里の成長を願い笑いながらその命を差し伸べるものを裏切りたくはなかった。
葛藤があった。
5分、10分、永遠にも感じる長い時間の中で。必死に逃げ道を探した。しかし一度した宣言は取り消すことができないという世界の規則に基づいて、シロクがすべて塞いでしまっている。儚くも微笑み、優しく慈愛すら感じるまなざしで見つめてくるシロクに王里はただ歯噛みしながら。
「……」
「王里よ、我が友ヨ。頼むからこの命、無駄にだけはしてくれるナ」
「……これ、は」
「ああ、それでいいのダ。王里」
「殺傷・暴力に、あら、ず。命の、奪いあいであ、る」
暗く沈んだ声での宣言を聞いた瞬間。
上を向いてシロクは涙をこぼした。静かな涙だった。窓から入ってくる水の膜で歪んだ月明かりに照らされてやっとわかるような、そんな涙。と、同時に。
肉薄した。
得物は真剣だった。暗い店内に映えるはずの白い羽織はもはや自分にはふさわしくないと考え、シロクは初代空亡にもらった箱にしまいもう戻ることのないだろう部屋の文机の上に置いてきてしまった。
ここで成長できぬならその命を刈り取り、成長するのならこの命を刈り取ってもらうために。剣の技術をあの特攻隊長でもあるリヒトから習っていることは聞いていた。たった1ヶ月とはいえ、少なからず使えると思っていたのだが。
差し迫ったシロクの無銘の刀を、抜いた残像すら見せずに簡単に防いだ王里にその身のこなしかたに、シロクは目を細めた。まるで、動かされたような動きに。
「なるほど、妖刀・赤緋紅を手にしていたカ。しかし王里よ、妖刀に使われているようでは怪奇たちの正しき王には程遠いゾ」
「……妖刀に、使われる?」
「リヒトは何も教えなかったカ。妖刀とは意志ある刀であル。自らの主を力を使わせる相手を自分で選ぶ、遣い手を操りすらする刀ダ。……初代様が使っておられたものだ、いいものに出会ったな王里ヨ」
「そう、言うんだったらよォ! ……っ! この、戦い、止めねェか!?」
「言っただろう、これは命の奪いあイ。そしてお前が正しき王になれるかどうかの見極めヨ」
この会話中、ずっと斬り合いが続いていた。時には上から振り下ろされ、時には突くように飛んでくる刃を王里は無意識にも相手を、シロクを殺さないように妖刀・赤緋紅に願いながら応戦していた。いや、応戦といっていいのかすらわからない。それはただの防戦の一択しかしていなかったから。
きぃん、がきぃんと刀の刃同士が斬り結ぶ音が誰もいない呉服店に響く。交じりあう刃はきっと、本来であればぶつかり合うことのなかったはずなのに。それを思うと、王里は胸が痛くなる。それでも攻撃は止まらなくて、ただ防ぐしかできない自分をシロクがどう思っているのか。攻撃ができる隙があった。それでも手を出さない自分を、この友は。
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