25 水のドームはけっこう鋭利
その場を、縄で縛った火車を周囲に集まってきていた改方たちに任せて、リヒトを先頭に王里とリヒトは歩き出した。その猫又着物店に向かう途中、各所で河童たちが懸命に怪奇を込め青く染まった水をかけて火を消しているのが視界に入ってきて辛かった。この消火活動の指揮を執っているのは元水神であり、水怪奇の長でもあるシロクだ。
しかしそこでその光景を見ながら、ふと疑問も生まれる。
「……なァ、リヒトよォ」
「なんだ、親父」
「なんでシロクは火ィ消そうとしてんだ?」
「そりゃあ周囲に謀反がばれねえために」
「だとしたらおめェ、『怪気入りの水で火の威力が弱まる』なんてためさせるかい?」
「!!」
ただ水をかけてりゃ誰も疑いやしねェだろ。
リヒトはひゅっと息を呑みこみ目を見開いた。思わず止まりそうになった足を無理やりに動かして、店へと続くところどころ焦げ目の残った石畳を行く。水の匂いと焼け焦げくさい中を白い羽織をはためかせ、どたばたとあっちへこっちへ走り回る他の改方たちを横目に。
確かに、よくよく考えてみればそうだと思った。シロクが裏切ったということでいっぱいになっていた思考が徐々に動き出す。水をかけてさえいれば消火活動をしているという体は装える。そこに怪気を混ぜることで、本当に火を弱めて消化させる必要はない。
ならこれはシロクが企んだことではないのだろうか。もし、火車の暴走だとしたら。歓楽街への放火は火車の独断だったとしたら。いくら水の怪奇の総大将といっても、シロクとて火車の業火の中で怪気入りの水で店を守り続けるのは苦しいはず。それをなし続けているというだけで、あの店がどれだけシロクにとって大切なのかがわかる。
そんな消えも尽きもしない疑問を抱きつつ足を進めていれば、そこに青い水の膜はあった。青い水といっても不思議に向こう側は透けて見える。そのドーム状の膜の中に、丸に猫の文字の書かれた藍色の大きな暖簾がかかった黒い瓦屋根の木造建築の店はあった。
しかしなぜか他の改方たちは気にも留めていない様子、ぬらりひょん自身も一瞬惑わされそうになったことから認識に何かしらの影響をもたらす作用があるのだろうとわかった。ただ、王里はきちんと店に視点を当てていることからあると分かっていればわかるのか、王里にだけは感知できるように作ったのかはわからなかったが。そこで足を止めて、水の膜を見上げる2人。わかっているとは思ったが、リヒトは王里に声をかけた。
「親父、ここはわしが先に」
<ならんゾ、王里1人で寄こセ>
突如水の膜のさらに中、猫又呉服店の中から青年の声がした。シロクの声だ。その声にリヒトが王里をかばって前に出て、帯から十手を抜く。それを構えつつ警戒して「どういうつもりじゃ?」とリヒトが問うが返事はない。
「……わかった、俺が行く」
「親父!? わかってんのかてめえ! 1人で行くっつーことは!」
「罠にかかろうとしてる雉の方がまだ賢い。自らかかりに行くのは愚の骨頂ってこたァわかってる」
「それがわかってるなら!」
「リヒトよォ、おめェは勘違いしてるぜ。俺は1人じゃねェ」
「……は?」
「俺にはなァ、俺の半身がいる。だから大丈夫だ、2人でシロクを止めてくる」
罠かもしれない、ではなく罠だとわかりつつかかりに行く。その行動に何も言えなくなってしまったリヒトに、王里はにやりと笑いかけた。「覇紋を刻んでみねェか?」と問うたあの日とまったく同じ笑顔で。
愛おしそうに己の胸、心臓がある位置に左手を置いて。一般的に双魂子の魂は心臓にあるとされている。そこで入れ替わるとされているのだ。途端に、とくんと小さく主張するように跳ねる鼓動、『うん!』と答える自分とは違う高い声に王里は安堵する。
ああ、大丈夫なのだと思わせられる。それは自分が付いて行きたいと思わせられた初代空亡の現役時代の雰囲気に限りなく近くて。リヒトはいつの間にか入っていた肩の力を抜いた。それ程に心に安息をもたらす空気だった。
「じゃ、行ってくるからよォ」
「……気ぃ付けて、いってこい」
「おゥ、ちょっくら行ってくらァ」
リヒトより前に進みつつ、上げた右手をひらひらと揺らして気負いなく言った。
つぷりと王里に触れると、王里に触れない程度で水の膜が変化して開き。王里を呉服店の入り口に通す。通り終わったと同時に再び膜を作る。
ためしにリヒトが水に人差し指を入れてみた瞬間。指が切れる痛みが走り指から血が溢れる。引いた手を、白い羽織の裾でくるみ強く握る。止血のためだ。
「本気なのか、シロク……」
痛かった。指よりも何よりも心が。
あの戦線を駆け抜けた仲間が、なぜ裏切ったのかわからなくて。なにがシロクを変えてしまったのかわからなくて。
その場にずるずると崩れ落ちるさまだけは、
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