18 けっこう足癖は悪い

 一か月後。


「踏み込みが甘い! もっと足使わんか!」

「おゥ!」

「違ぇわい! 足を相手の足に絡めんだ! こう!」

「うおっ!? っと……らァ!!」

「おう、いい反応じゃ」


 木刀を肩ににっと笑ったリヒトに、怪奇の王里はぜーぜーと肩で息をしながら板張りの武道場で受け身をとってからの胡坐をかいた。初めは本当になんにもわからず、足をかけられただけで転び生傷の絶えなかった王里もいまは無様なに転がることはなくなった。というか姿は変わるといっても怪我までは継続されてしまうことを日記で知った……日記には「訓練大変だね、がんばって!」と書かれていた。天使かと怪奇の王里は自室で目を覆って天を仰いだ。とりあえず、知った怪奇の王里は「大事な俺の半身に傷なんて似合わねェ!!」という一言の元の猛特訓の成果だったりする。いや、傷が似合えばいいのかよと思わなくもないが。受け身も「大事な半身のためなら!」と2日でマスターしたほどである。

 リヒトが教えているのは一応剣術ということになってはいるのだが、実際はそうではない。というのもこの剣は先ほどのように実践に向けてどれだけ受け流せるか、どれだけの角度でみねうちすればいいのかを教える、しかもとどめは十手で刺せという完璧なまでの不殺の剣だったからである。

 一カ月前から続く剣の稽古に最初は戸惑っていた本家の改方たちを取りまとめたのは、なにを隠そうほかならぬ空亡だった。


「王里がやりたいって言ってるんだからいいじゃないか。それとも何かい? 君たちには王里を止める権利があるのかい?」


 完全にそれ脅しですよね? くらいな勢いでブリザードを纏わせながら笑顔で詰め寄っていた。しばらくの間『空亡様』『初代様』という言葉が禁句になるくらいには、改方のみんなも恐ろしかったらしい。

 コツを聞いた王里に、空亡は空亡としてではなく、祖父としてこっそりと教えてくれた。


「王里、大事なのは想うことだよ。相手を強く許すことだ」


「想う」こと「許す」こと。それがどうやって怪奇日蝕に繋がるのかはわからなかったが、王里はそれが技の発動条件なのではないかと思っている。そして怪奇日蝕がなぜ怪奇たちから恐れられているのか。それは、怪奇日蝕は怪奇を残らず燃やし尽くしてしまうからだ。人間には何でもないのに。ということはだ。なぜ燃やされるのか。王里の知識では炎というものは不浄を払うためにあると考えられていると本で読んだ。

 そして空亡の言った『暗黒に染まった黒き太陽』。太陽は炎の塊である。

 つまり人間が汚れてなくて、怪奇は汚れている? 

 そこまで考えたときにかぁん!! とリヒトが木刀の柄の部分で床をつく。ちなみに傷はつかなかった。


「てめえいつまで座っとるつもりじゃ。さっさと……」


 立ち上がれや。そう続くはずだった言葉は突如として廊下の方から聞こえた少女の叫び声にかき消された。とっさに飛びのくように立ち上がり、廊下の襖を開けた王里に続く……。


「なんの真似だァ? リヒト」

「それはこっちのセリフじゃ。空亡は後ろで見守るもの。てめえがわしに特攻隊長として呼び込んだんだろうが」

「……ちっ」


 さりげなく前に出た王里を諫めるリヒト。空亡は怪奇たちを蹴散らすものだ。そんな暗黒太陽に真ん前で力を使われたら出せる力も出せないまま敵味方関係なく全員お陀仏である。怪奇が仏になるなんて笑えないが。

 走るのはいい、しかし怪奇の王ともあろうものが走っているのを他の改方がみたら不安になるのではないか。だから王里はどんな時でもいつも走ることはしない。早歩きだ。

 この一カ月で習った速歩で走っているのとほぼ同じ速さで廊下を歩く。そうすると、悲鳴を聞きつけたのか犬の身体に人の顔を持った人面犬、若い女の姿で血まみれの着物を着た、手が鳥のそれになった背に翼を生やした産女なども着物の裾を翻しながらあわただしく声が聞こえてきた方に足早に行く。

 それを見たリヒトはしかめた顔をさらにしかめ足早に声の主がいる大広間、スズリの元へと急ぐ。


 大広間には大勢の怪奇たちが揃っていた。しかしもうりょう系……水を使う類の怪奇はいなかった。

 なにかと思えば王里に気付いた怪奇たちが道を開けてゆく。まるでモーゼの十戒のごとく割れたそこをこれ幸いといつもリヒトが座って茶をすすっている場所で腰を抜かしているスズリに近づく。


「スズリ、どうしたァ?」

「あ……長官、大変でございます! 歓楽街が、歓楽街が!」

「どうしたっていうんじゃ、鈴彦……ありゃあ、火事か?」


 枝垂桜が中央に植えられた、石畳の歓楽街。夜だろうと明るいそこはいつもよりもっと明るかった。火が島の天辺にある茅花の屋敷までとは言わないがかなり高く上がっている。夜空を赤く染め上げているのはある種圧巻だったが、ことはそう簡単に行かないらしい。


「それが!」

「わしゃみてきましたぜ、長官。黒い雲がいきなり出てきて風が吹いたと思ったら、火の中で笑ってる猫が居りましてやんす」

「火が消えないらしいのです」

「黒雲に風、火で猫っつたら……火車か!」


 火車。のべ送りという風習で悪人ののべ送りの最中に突然黒い雲が空を覆いいきなりの風に棺桶の蓋が飛ばされたと思ったら遺体が盗まれているという。その犯人が火車だ。ざんばらな髪に両足立ちの猫の肢体を持つ怪奇だ。

 それにその炎は―――。


「親父まずいぞ。火車の火は火車が死ぬまで燃え続ける!」

「なんだとォ!?」


 目を剥いてリヒトを見る王里に、同じ改方である全身が長い毛でおおわれた毛羽毛現けうけげんがこっそりと近づき、報告する。


「長官、歓楽街に河童を配置したとシロク殿が。怪気を混ぜた水ですと火の威力が弱まることが試してわかったそうです!」

「そのまま続けろ! 歓楽街にゃァ俺が行く!」

「もちろんわしも行くぞ」

「……ちっ、誰かリヒトの分の一反木綿を」

「ワイが乗せたったるで」

「っち!!」

「親父よ、てめえ一人で行くつもりだっただろう」


 部下である改方に命じて、自分も現場に赴こうとすれば。当然ながら王里はリヒトを連れていくことになった。せめてリヒトの分の一反木綿を用意させている間に出発してしまおうと考えていたが、元々西でリヒトが乗っていた一反木綿が名乗りを上げた。

 あからさまな舌打ちをする王里に、その意図をくんだリヒトはがしっと王里の頭を鷲づかみにっこりと笑った。

 ちなみにぎちぎちと音をたてて力を込められている。やばい。


「違ェよ。俺ァ純粋におめェを心配して」

「へーへー。そういうのはいいからよ、さっさと行くぜ。頼むぜ、一反木綿」

「はいよ!!」


 頭蓋骨の心配をしていた王里は、背後から近づいてくる一反木綿に気付かず。唐突に手を離されめまいがしたかと思えば、そのままふらつき一反木綿にからみとられ。リヒトは飄々と自分の一反木綿にのり込みぐるぐると肩から足首まで巻かれた王里ににっこりと笑った。


「それじゃ、いこうかのう」

「は? おい、待てリヒトよォ。まさか」

「そのまさかじゃ」


 そのまさか。

 巻きつかれたまま、王里は星の光る空を。炎で明るい歓楽街の方へと猛スピードで飛んでいったのだった。

 2度とリヒトをはめようとしたことを気付かれまいと王里は決意した。ここで2度とはめないと決めないと思わないところ、アホである。


「しかしおかしいのう。火車にこんな火力あったかのう……」


 首を傾げたリヒトの言うことは聞こえなかった。


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