17 厨二病も真っ青

「てめえ、10日分渡しただろう? まさかそれ……」

「全部やり終わってんぞ。一日素振り一万回に腕立て腹筋スクワット二万回ずつと、滝の重ね岩んとこでひたすら上って降りての足腰鍛えるやつだろ? 10日分やった」

「……」


 馬鹿かこいつ。

 思わず頭を抱えそうになったリヒトは悪くないと思いたい。よくよく見れば、王里のまだわずかに幼さの残っていた頬はすっかりと甘さが取れ精悍に、身長もわずかだが伸びているように感じられる。初見でわからなかったのは身体つきがまり変わっていないからだろう。元来筋肉のつきにくい体質なのだろう。


 リヒトは。

 王里は途中で音を上げると思っていた。正直、1日目の特訓にも耐えられるかどうかという目で見ていた。それくらい、本家の雰囲気は王里に対して甘い。加えて前怪奇方面賊改方である王里の母が亡くなったとき。空亡が葬儀の席で母が死んだことを……いや、死ぬという概念すらどういうことなのかもわかっていなさそうな王里を抱きしめて呟いた一言を知っている。


『いいよ、王里。君は何も、知らないままでいいんだ』


 空亡は泣きそうな顔でただひたすらに孫が知らないままでいることを願った。王里の記憶から消されてしまった人物さえ、空亡が代々受け継いでいる技さえも知らなくていいのだと震えながら抱きしめていた。だから王里に、本家の怪奇たちは何も伝えず、ただ知らせないままに甘やかしてきた。その哀愁と呼ぶには悲壮すぎて、誓いというには儚すぎるそれを破ることを、王里につくといったリヒトの存在によって認めたのだろう。空亡は。

 あの背中を、声をかけることすらためらう存在がいたたまれないと思うほどに絶望したあの背中を、リヒトはきっと一生忘れることはない。


 それはともかくとして。


 王里のことだ。こんなにも根性があるならなぜ……と理不尽な怒りがわいてくる。

 本当は、リヒトはこんなハードモードな特訓を課す気はなかった。ただ音を上げてくれれば。そうすればいくらだって考え直す気でいたのだ。なのにそれを飄々とこなせるだけの実力がありながら、なぜ今まで特訓してこなかったのか。いや、してはいたのだろう、他の改方たちと同じ特訓を。でもそれでは長に、空亡になるには遠すぎるほどの実力しか備わらないというのに。

 ぐっと胡坐をかいた膝の上でこぶしを握るリヒトに、なにかを感じ取ったのだろう。王里が眉をひそめる。本家の怪奇たちははらはらした表情で雰囲気を変えたリヒトを見ていた。


「おい? リヒ」

「てめえは……」

「あァ?」

「てめえはなんで今さら強くなろうと思った?」

「はァ?」

「鬼札のためか?」


 さっと拳を後ろに隠したリヒトだったが、その拳からはぎりぎりと痛いほどの音と血管が浮き出ている。

 答えようによっては殴られるのではないかとそう思うほどに張り詰めた雰囲気の中で、王里は平然と返す。


「あたりめェだろ」

「……っ! てめ」

「華だって、俺の大事な、守るべきやつらの1人だからなァ」

「……は?」

「リヒト、おめェも。ロウキ、スズリ、コトハ、ザナミ、ノイルにシロク。本家ここにいるやつらだけじゃねェ。この茅花の紋を持つやつァ全員もらさず俺のもんだ。……いや、してみせる! だからそいつらを守る力を得るためなら、俺はどんな弱音だって吐かねェって決めたんだ」


 こぶしを握っていたリヒト、窓ふきをしていたコトハ、下座で茶を飲んでいたシロク、下膳を手伝っていたロウキとスズリに。びしりと突きつけた人差し指を一周させながら宣言してにたりと笑う様子は大胆不敵、ちょっとバツが悪そうに今は爺のもんだけどなとふてくされたように呟く点はマイナスだが。でも、それ以上に。

 リヒトは握っていた拳をほどいた。大広間にいる怪奇たちの間で深々と頭を下げた。


「……親父」

「お、おゥ」

「理不尽な怒りをぶつけたこと、許してくれ。いや、お許しを。そして今夜見回りから帰ってきたら剣術の稽古をつけてぇんだが……」

「……理不尽でもねェよ。自分でもなんでこんなにできることいままでやっておかなかったんだって思ったしなァ。剣術については頼まァ。出来れば怪奇日蝕についても知りてェんだけどよ」

「そればっかりは同じ空亡じゃねえと無理だな。……ああ、でも昔。初代が日本統一を成し遂げる前に言ってたぞ。前線に立ってる時だな」

「あァ?」

「『空亡は夜陰の覇者、怪奇たちの正しき王、暗黒に染まった黒き太陽』とのう」


 暗黒に染まった黒き太陽だァ? いぶかしげな孫の声を大広間に感じながら、お茶でも飲もうかと思って廊下を静かに歩いてきていた空亡は大広間の襖の影で小さく笑ったのだった。

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