16 乙姫は親ばか

 どたどたどた。

 荒々しく、足音だけでも不機嫌さを物語るそれが19時。「夜」に入れ替わった、怪奇の領域となった茅花本家の廊下に響き渡る。

 夕食も終わった大広間の縁側。歓楽街を一望できるそこで湯呑みを片手にゆっくりとお茶を飲んでいたリヒトは。その足音に眉をしかめる。お茶をこんな風にゆっくりと嗜めることなんてぬらりひょんの長となってからはなかった。それを邪魔するのはどこの輩だとだんだん近づいてくる足音に、廊下に面した襖を睨んでいれば。

 まあ長の座は妹の息子で改方長官をしていた甥っ子に譲ったためしばらくはのんびりできると踏んでいたのだが。


「おめェリヒト!! 俺の大事な半身の貞操を狙ってるっつーのは本当か? 本当だなゴラァ!!」


 鬼の形相で、障子を突き破らんばかりの勢いで突撃してきたのは王里だった。昼間はのんびりと垂れている目はきりりと赤くつりあがっている。怪奇として目覚めたのだろう。

 いつもよりも叫ぶ声は低いながらも怒声で、大広間にいた怪奇改方が信じられないものを見る目でリヒトを振り返った。ところでだが、王里の記憶は継続されない。だからお互い交換日記という形で記憶を共有しているのだ。つまり交換日記になにか書いてあったのだろう。実際には「ボクの半身も、気を付けてね?」と心配する丸っこい文字が書いてあったのだが。

 そんな怪奇たちや与力、十手を構えて完全にリヒトを性犯罪者として捕まえる気満々の王里に。そのぬらりくらりとした態度でリヒトは口を開く。


「別に貞操なんて狙っとらん」

「……嘘じゃねェだろうなァ」

「ちょいと唇でも奪ってみるかとは思ったが」

「ほらみろけだものがァ!! 大体一緒に寝てるっつー時点で許せねえ!」

「坊……じゃねえな、親父よ。よく考えろ、人間の王里だって16だぞ? 狒々とまではいかんかもしれんが、それなりに性欲多い年頃だ。恋人や情人イロの一人や二人……」

「いるわけねェ!! 俺の半身はいつまでも白く清い身だ!」

「……いや、そりゃあさすがに可哀想だろう」


 リヒトは引いた。十手を握り締めながらわなわなと全身を震わせ熱弁する王里にドン引いた。叫びを聞いていた改方たちは、また長官の御病気が始まったぞと囁き合う。結構いつものことだ。

 そもそも空亡の血を残すために将来必ず子をもうけなければならないというのに、なにを言っているのだろうかこいつ。

 そこでふと、まじめな顔つきに戻った王里が。目だけはぎらつかせながら続ける。


「俺ァ俺の半身のためだったら種馬になる覚悟がある」

「てめえのその覚悟は別のところで使えや!!」


 お茶の入った湯のみに口をつけてすすろうとしたところで、リヒトはむせた。そして思わず怒鳴った。

 つまりなにか、自分が女に子どもを孕ませれば人間である王里に女と付き合わせる理由はないということか。

 ……確かに双魂子である王里という存在が人間の魂の時に孕ませたとして、空亡が生まれるかどうかは微妙なところだが。自身を種馬とまで言い切るその覚悟の良さに、怒ってしまった。つい先日の「俺と、この白い扇子に覇紋を刻んでみねェか」と言った男気溢れる王里はどこに行ってしまったのか。

 なんだか悲しくなってきて、湯のみを縁側においた右手で目を覆いため息をつくリヒト。これ以上の会話は自分に多大なるダメージを与える気がして、ぶった切ることに決めた。目から手をどけて、こほんと咳払いする。


「それはまあ置いといてだなあ。てめえ、わしの作った鍛錬表見たか?」

「おう、……って騙されねえぞこの性犯罪者がァ!!」

「だから違ぇわい!! ……というか、は? こなした?」

「乙姫がくれた玉手箱を開けると俺以外の時が止まるんだよ」

「乙姫ぇぇぇぇぇ!!」


 童話、浦島太郎で有名な竜宮城の主・乙姫こと海龍族の長が13歳の誕生日にくれたらしい。乙姫は穏やかで義理堅い豪奢な美女で、覇紋が消えた今でも自ら自分たちは茅花の傘下であり、海の改方であるといっているらしい。というのも、乙姫の息子と同い年である王里のことも可愛がってはいるが前回の日本全国の幹部を集めた集会の際にはちょうど夫が亡くなった日ということで喪に服していたため来れなかったからだ。

 性犯罪者呼ばわりにキレたリヒトが怒鳴りつつも尋ねれば、王里は律儀に答えてきた。危ないやつに渡ればそれこそ犯罪し放題なブツを。あまりのことに思わず叫んだリヒトだったが、本家の怪奇たちはこのことを知っていたらしく平然と長官ってさすがですよねーと意味の分からない会話を和気あいあいとしていた。なにがさすがなのか。これでいいのか本家よ。頭が痛くなってきたリヒトは、とりあえず。

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