10 きっと自制心を持った鈴彦姫もいる

 いつも通り布団で目が覚めたら目元に刺青を入れた眠っているイケメンに抱き着かれていた。

 ぴちちちと障子越しに鳥の泣き声が聞こえるし、なんなら「おーい、運ぶの手伝っておくれよ」「これ、つまみ食いするんじゃないよ!」と人の声もする。11月になり部屋に漂う空気も幾分か冷えたものになっていて。素晴らしい朝だと思う。目の前にイケメンがいなければ。

 吐息が触れあうほどの近さに、さすがに誰か呼んだ方がいいのかと思ったがもし間違って部屋に入ってきてしまった客人だった場合。この程度で叫び声を上げるなど空亡の沽券に関わるし、何より男に抱き着かれて寝ていたなんてことを知られたら、またスズリの病気が―――。

 なんてうんうん考え込んでいれば、その声にか髪の毛の色と同じ藤色の長いまつ毛がふるりと震えた。次いで開いたまぶたの奥に隠されていたのは、真っ赤な瞳だ。ばっちりあった視線に、思い出されたのは随分前。母が東日本賊改方をしていた時、共闘していた、一晩だけ本家に泊まっていった……確か名前は。


「ぬらりひょんのリヒトさん?」

「おう、おはようさん。坊」

「あ、おはようございます! っていうかなんでここに」

「ふぁーあ、眠いのぅ。ちょいとわしの抱き枕になってくれや」

「えー……」

「……なんじゃ、もっと嫌がらんのか?」

「いえ、なんていうか。スズリとかロウキとかよく部屋間違って一緒に寝てる、なんてこと結構ざらですしー」


 他にもザナミやコトハ、ノイルにシロクたちもー。とほのほの朗らかに続ける人間の王里に、リヒトはひくりと頬まで続いた刺青を引きつらせる。明らかに部屋間違っているなんて嘘だろう。スズリとコトハ以外はなんせ全員男である。しかし新しい主である怪奇方面賊改方長官の王里に男色の気はなかった。いや、最後に会ったのが11年前とはいえ、なかったはずである。それなのに男と寝ているとはずがないし「怪奇の東賊改方長官は人間の東賊改方長官を溺愛している」というのは西にいても聞こえてきた噂だ。それなのに男と一緒に眠らせておくはずがない。と、いうことはだ。


(あいつら、親父が寝た後……いや、気配で気付かれるだろうの。ああ、夜が明けてから入り込んどるんか)


 わしみたいに。と今回王里が部屋に戻り、魂が入れ替わったのを見届けてから中に入って添い寝し始めたリヒトは思う。少なくとも、10年前の悪夢を知っていれば意識があってもなくても空亡という種族のもとにいたいとは思わない。

 そう、あの時のように。リヒトが知る、王里以外の公然の秘密を―――。


「トさん……ヒトさん……リヒトさんってば!」

「! お、おお、なんじゃ?」

「その、ボク起きて着替えたいんですけどー……」


 きゅっと腕の中でほんのり頬を赤らめて縮こまり、上目遣いに怪奇の王里とは違う幼い容姿でリヒトを見上げる王里に、思わず胸の奥がきゅんと高鳴るのを感じる。怪奇の王里とは違いふてぶてしさの抜けた垂れた目、こちらはメッシュなどは入っておらず黒髪そのもの。左側だけ長い襟足が布団に円を描くようにくゆっていて、その障子越しの朝日に照る髪の黒さにどきっとさせられる。なんとなくその衝動のまま頬を撫でれば、猫みたいにすり寄ってくる愛らしさ。しばらく愛でていれば。


「次代様おはようございまー……」

「「あ」」


 唐突にすぱーんと勢いよく障子がすべり開く。

 途端に固まる王里とリヒト、そして朝の訪問者こと……スズリ。正直、主の許可なく障子を開けるのはいかがなものかと思うが。

 そして。


「……き」

「「き?」」

「きゃあああああああ♡中身爺のお色気美青年×可愛らしい我らの人間の長官んんん!! 私得CPキター!!」


 朝の訪問者は屋敷全体に響き渡るような大声でもって叫びつつ、障子を開け放したまま。台風のように去っていった。いや、まさしく台風であった。


「中身……爺」

「あ、ショック受けるのそこなんですねー」

「いや、あの幼子の言っていることはほとんどわからんかったが……」

「わからなくていいです。あれはスズリの、鈴彦姫全員の病気みたいなものですからー」

「鈴彦姫は皆ああなのか⁉」


 おっかなびっくり言わんばかりに頬を引きつらせ、困ってへにゃりと眉を下げる王里を見るリヒトに。内心どうしてこうなった、というか王里が小さい頃は普通の女の子だった気がするのだがと考え込む。あの頃からスズリには可愛がってもらっている自覚はあるが、あそこまで腐海に染まってはいなかったはず。小学生並みの体躯の幼いころからの自分のお世話係で、身長のことをからかうと真っ赤になって怒る少女だったのだが。

 ああ、でもそう言えば昔から文車妖妃ふぐるまようひと一緒に本を読む文学少女だったはずだ。そこから影響が入ったのかなーと白い寝巻の着物でぺたんと座り込んで虚ろに呟く王里にあんまり困らせるのもあれなため。ついでに言うならちょっと理性がぐらっとしそうなほどには白い着物と端々から見える健康的な肌色に惑わされないため。よっこらせいと掛け声をかけて腕をほどき起き上がって、一度胡坐をかくと。リヒトは布団から出て、畳の上を軽快に歩き開けっぱなしの障子の外に出ると振り返って。


「朝飯が待っとるぞ。はよ来いや」

「はーい、着替えてから行きますー」


 元気に返事をして、着物の帯に手をかけた王里にあわてて障子を閉めたリヒトは。


(わしもヤキが回ったかのう……)


 腕を組み、木の葉が一枚ひらりと落ちた涼しいまでに清々しい朝の廊下を。そのひんやりとした板間をため息を1つついてから頭をかいて、のそのそ大広間に向けて歩き始めたのだった。

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