9 出戻りぬらりひょんは苦悩してた

 ぱあん! 風船を割ったような大きな音をたてて、空亡が勢いよく手を打った。自分に意識と目を向けさせるためにだ。実際その音で幹部たち、リヒト、王里、空亡以外の全員の視線が空亡に集まった。集めた本人はうっとりとどこか陶酔に染まった笑顔で言う。


「ふふ、楽しいねえ。いいよいいよ。ぬらりひょんは王里につくのかい。うん、いいね。……茶番はさ」

「……空亡殿、茶番たあどういう」

「お前にボクの孫を任せられるのかなって意味だよ、出戻りぬらりひょん」

「……っ!!」


 ひゅっと誰かが息を呑んだ。出戻りぬらりひょん、その意味が分からず王里は眉をしかめ、かすかに首を傾げる。自分の側に座ってくれたリヒトが膝の上でぎゅっと手を握る。顔は苦汁をなめたように歪んでいた。

 出戻りの意味は分かる。一度嫁に出た女が実家に戻ってくるということだろう。昔、王里が溺愛してやまない半身が新聞に載っていた見覚えのない単語に辞書を引いたのだ。と、日記に書いてあった。あの時はよくも自分の大事な半身にくだらない知識を埋め込んでくれたものだと記者を殴り殺したくなったが自重した。しかしいま言われている意味は違うだろう。

 その出戻りとは一体何なのか。

 疑問を全面に出す王里に一間をおいて、再びざわめきだした幹部たちの誰かの間から言葉が飛び出してくる。ちなみに、スズリとロウキ、後神うしろがみの長ノイルに共潜ともかづきの長ザナミ、小袖の手の長コトハと魍魎もうりょうの長シロクは顔を青ざめさせてうつむいた。コトハだけは手しかないため、瞬間的にざっと青ざめた手と袖に引っ込んでしまったことしかわからなかったが。そんな反応を示すのは数人だったため、妙に目立っていた。


「ひひっ、とうとう空亡様にも言われおったわ」

「姐さんも守れず、ただのこのこと次代を連れて帰ってきたやつにはふさわしい名じゃ」

「ほんにのう、けけっ」


 嘲笑とともに吐き出される嘲りに、王里はなぜリヒトがなにも言い返さない、言い返せないかを知った。

 姐さんとは2代目空亡となるはずだった女性のことであり、つまり王里の母のことである。

 しかし生活リズムの違いや空亡になる前の通過儀礼である怪奇方面賊改方をしているときに死んでしまったこと、また亡くなったときは王里がまだ6歳で10年も昔のことであり母に対する感情はそこまで大きいものではなく、死んだ時の記憶が妙に霞がかって思い出せないことから母に関しては特になんとも思わない王里だ。少なくとも、怪奇の魂を持つ自分は。人間の魂を持つ己の可愛い半身はどうだかはわからないが。愉快気に笑う彼らに、王里は首を捻って口を開いた。


「そらァ、仕方のねェこったろうがよ」


 その言葉に、ぴたりと空気が固まる。

 それを気にせず、王里は続けた。目線をいつの間にかうつむき、何も言わぬぬらりひょんに向けて。


「リヒトよォ。どうして俺を連れ帰ったんだ?」

「それはっ! ……わしの、独断で」

「つまりそうしなきゃいけねェ状況だったってことだろう? 前東改方長官が「逃げろ」とすら言えねェ状況で、おめェらはなんとか次代である俺だけでも逃がしたことは評価しねェのかい?」

「それは詭弁ですぞ、次代様!!」

「そ、そうじゃ!」


 あわてたように首にかけた大きな玉飾りの中に火の球を飼っている僧侶の格好をした男、火前坊が言い募る。そこに他の幹部たちもそうだそうだと続けるが、そんなことは知らないとばかりに王里は、気まずげに王里から目をそらし下を向き続けるリヒトににやりと笑いかけた。


「己の判断で最善を選ぶことができるなんてなァ、リヒトよ。おめェは本当に欲しくなる」

「……いいのか、坊。わしゃあ姐さんを見捨てたん」

「構わねェな! どんな理由であれ、おめェは『次』を繋げたんだ。そこを誇れこそあれ、貶す理由なんざ1つもねェ」


 おそるおそると言わんばかりに視線を上げたリヒトに、不敵な笑みを浮かべたまま言い放った王里。自身を誇れと言わんばかりのその物言いに、リヒトが泣きそうにくしゃりと顔を崩したのは仕方のないことだっただろう。

 前東改方長官が死んだとき、その場に駆け付けたのは王里すら殺してしまいそうなほどに気のたった東改方の1人とリヒトだけだった。だから、何としてでも次代を繋げなければとどんな謗りも罵りも王里から受けるつもりで戻った先で待っていたのは。王里からではなく周囲からのそれだった。次代を守ったことには触れず、ただ前東改方長官を助けずに戻ってきたことだけを責められた。

 リヒトは、自分が間違ったことをしたとは思っていない。だが、西の賊改方長官という立場を拝命していてもその行為は立場が欲しかった怪奇たちの格好のエサになり。

 それを、それを。まさか王里本人に許されるなんて思っても見なかったのだ。


「だからリヒトよォ。おめェは、俺の百鬼行路の先頭さきをいけ」


 その言葉に。どれだけ救われた思いだったのかを、この新しい主は一生知る必要はないと思った。リヒトが守れなかった、の命の責は、ただ自分が背負えばいいのだから。

 リヒトは新しい主に拳をついて深々と頭を下げながら、唇を噛みしめたのだった。

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