3 <5ツノ真理ノ誓イ>は緩んできてる
「長官、ここらで今日の散歩はやめておきますかい?」
「そうだなァ、一反よ。これ以上は俺の半身に負担がかかる」
「……長官はいつも人間の改方である長官のことも考えてますなあ」
まっすぐに前を見る裂けた部分が赤くなっているような目の一反木綿の後頭部をじろりとにらみつつ、王里は退屈そうにしていた頭を上げて姿勢を正す。
「なにが言いてェんだい?」
「「人間」びいきにならぬよう気を付けておくんなましつーっこってす」
「くだらねェ心配しなさんな。俺が考えんのは俺の半身のことだけ。それ以外のやつらは俺の半身の領分だ」
「わかってくだせってるようならいいんですがね」
「俺たちゃあ互いの領分を越えた真似はしねェさ。怪奇の賊改方は俺、人間の賊改方は俺の半身って決まってるしなァ」
くつくつと背中にのせた王里が低く笑うのを聞きながら、一反木綿は心の中で恐ろしやあと呟く。人間の方の長官であり双魂子である自身の2つある魂の片割れを心底溺愛しているこのお方が。たとえ相手が人間だとしても人間の若頭をのけ者にされたりしたら報復を考えぬはずがないのに、なにをいけしゃあしゃあと言えるのかと。そのいままで報復された人間たちのことを考えたら、怖すぎる一反木綿なのだった。しかし、満月の前を横切り、段違いに紅白の枝垂桜が咲いた階段をぎりぎりに登って本家の門まで来たところで一反木綿は話を切り替える。
「長官、だとて<5ツノ真理ノ誓イ>を無視しちゃダメですぜ」
「わかってらァよ。……あれのせいで戦争がなくなったのはいいことだが、随分と俺ら怪奇の場も狭まったもんだな」
「違ぇねえですや!」
がっはっはっと笑い声を上げながら一反木綿は赤い目を細めて大きく笑った。<5ツノ真理ノ誓イ>とは。
<1ツ>世界ニオケル如何ナル殺傷・戦争・暴力ヲ禁止スル
<2ツ>互イノ領土ヲ表ト裏、昼ト夜ニ分ケテ行動スルコト、タダシ供物ハ例外トスル
<3ツ>互イノ領土ヲ侵シタ場合、侵サレタ側ノ裁量二基ヅイテ罰サレル
<4ツ>言語ハ怪奇人間問ワズ統一トスル
<5ツ>以上ヲモッテ真理ノ前ノ誓イトスル
世界を廻す上の絶対条件として、千年前に真理の門の前で怪奇の王である空亡と人間の王である帝との間で交わされた契約である。当時はなぜ交わされたのかわからない契約に戦争が勃発しようとしていたらしいが、結局それがなされることはなかった。なぜなら、兵器を作るたびに全ての兵器が兵器を完成させた者ごと枝垂桜に変わってしまうのだ。この紅白の枝垂桜は全て兵器を作ったものと兵器の枝垂桜である。故に、桜……その中でも枝垂桜は平和の象徴とされているのだ。百円玉の裏側に描かれ、国花とされるくらいには。
ひらりと白い羽織をなびかせながら一反木綿の上から十人並んでも通れるような大きな木造の門の前に王里は降り立った。しゅるしゅる音をさせながら暗い夜にその白い身体を躍らせながら軽い見回りのためだろう、活気づいている区の中心部の方へ向かって行った一反木綿をなにげなく見送りつつ、王里はその赤い目を細めた。
「怪奇は怪奇らしく‘花札‘の奪い合いをしてりゃあいいんだよォ」
花札。それはこの世界のそもそもの根幹である。例えば人間なら息をするように怪奇なら人を驚かすように。それは当然のこととしてこの世界では受け入れられている。花札とはゲームであり、権力の象徴そのものである。特に人間たちの王である帝、そして怪奇の王である空亡にのみ所有の許された鬼札と呼ばれるトランプで例えるのならジョーカー的存在。つまり、何ものでもない故に何ものにもなれる可能性を秘めた札である。いや、札と言っているが実際には違う。とんっと腰に軽い衝撃が走る。なにかと思って下を向いてみれば黒髪をまっすぐに切られた前髪に、長い黒髪を赤いリボンでハーフアップにした赤と黒を基調としたゴシックロリータの裾を膨らませた幼い少女だった。鬼札こと、華である。
「かいきのわかさま-!!」
「おおっ⁉ ……ったく。おい華ァ、後ろに階段があるときに突進してくんじゃねェ」
「あ……ごめんなさーい」
「はっはっは、鬼札殿は本当に長官のことがお好きですなあ」
大きく笑っているのは、銀髪に黄色い目の細身の男だった。真っ黒なスーツを着ていて身に着けているネクタイでさえ黒。サングラスでもしていれば理知的なヤのつく自由業の人間に見えなくもない。しかし、それを裏切るように端整な顔には柔らかな笑みを浮かべている。若い女の子がみたらきゃーきゃー言いそうなイケメンだった。門に下がる覇と書かれた提灯に目を細める様子からは想像もできないが、狼男である。
その男につられるようにぞろぞろと様々な怪奇たちが門から出てくる。閉じた状態の番傘に大きな一つ目と長い舌が口、柄の部分が太い男の足になっていてその部分には高下駄を履いたからかさ小僧、大きな顔だけで器用に跳ねながらやってくる老婆の大首、白い巨大なカエルの大蝦蟇や、額に小さな角を生やした人間に近い美少女の容姿を持つあまのじゃく、目も鼻も口も眉も顔を構成する要素の一切ないのっぺらぼう、猪の牙に犀の目、象のように長い鼻に熊の身体に虎の足、牛の尻尾を持ち身体全体に斑点模様のある獏。ここで上げたのはほんの一例にしか過ぎない。ほかにもたくさんの怪奇が門から出て、整列する。全員を見渡してから、にやりと微笑んで軽く頷いた王里に。怪奇たちは息を吸い込むと、近所に響き渡るような大声でほぼ叫んだといってもいい。島の天辺にあるこの屋敷にご近所さんなんていないわけだが。
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