第5話

 それから夏が過ぎ、秋になった。


 我は相変わらず特に代わり映えのない日々を送っていたが、人間の世界は随分と騒がしかったようだ。


 夏風邪で寝込んでいたばあさんはすっかり回復し、我に餌をやりながら菊ばあとの世間話に熱心に取り組んでおる。


公方くぼう様が大政奉還やゆうんしはったらしいけど、なにが変わるんか、そもそももう変わっとるんか、うちらにはさっぱりや」


「うちの主人が言うには、まつりごとを天子様に返しなすったとか」


「ほしたらどないなるんや」


「さあ、そんなん知らんわ」


 話しているばあさん達が分からぬのだから、聞き耳を立てている猫の我ももちろん分からぬ。

 

 我は皿の中の魚を平らげたので、ここでお暇することにした。


 そしていつもの道を通り、新選組の屯所へ向かう。


 そうだった。一つ、我の周囲にも少し前とは変わったことがあった。

 

 沖田があまり外を出歩かなくなった。奴がおらねば美味い飯も食えぬ。奴から煮干やねこまんまをもらうことは、いつの間にか日課になっていたというのに。


 先日、さて困ったものだと、屯所の敷地内をうろついていると、「猫さん、猫さん」と我を呼ばわる声が聞こえてきた。名はたくさんあるが、「猫さん」と呼ぶのは一人だけだ。


 声の聞こえてきた方へ向かうと、庭へ開け放しにされた部屋の中で、沖田が敷かれた布団の上にあぐらをかいて座っておった。やはり、我を呼んだのは沖田であった。


 我は縁側へ飛び上がると、沖田のそばに駆け寄った。


 沖田は少しやつれた様子ではあったが、我が姿を表すといつものように朗らかな笑みを浮かべた。


「やっぱり。この時間帯、君は必ずこのあたりをうろついているもんな」


 さかしらに我の行動規則を覚えているらしい。

 

 沖田は前もって用意しておいたのか、我の前に手のひらを皿代わりにしてつい、となんぞ差し出してきた。


「煮干ならここにあるから、ほら、お食べ」


 我は一瞥すると、沖田の手から煮干を叩き落とし、ぽとりと桟敷きの上に落ちたそれにかぶりついた。


「うーん、私たちもう知り合ってから半年近くになるのに、君は相変わらずつれないな」


 我に叩かれた手をさすりながら、沖田は眉を寄せている。それから急に苦しそうな様子を見せると、ゲホゲホと咳き込み始めた。口元を押さえた手に、赤い血がほたほたと落ちた。


 その青臭い顔から赤い牡丹が吐き出されたような光景を見て、ああ、こやつはもう長くはないのだと我は悟った。

 


「ごめんね。びっくりさせたね」


 沖田は血を隠すように手を握りしめると、無理したように笑った。


「私は、病人なんだ。労咳ろうがいだよ」


 煮干を食べ終わっても身じろぎせずそこにいる我を眺めながら、沖田は何やらボソボソと言葉を連ね始める。


「嫌だなあ、って思うよ。労咳が、じゃないよ。病人扱いが嫌なんだ。近藤さんも土方さんも斎藤さんも...源さんだって。みんな私がいまにも死にそうな様子で接してくるんだもん。たまらないよ。私は元気なのに」


 口から血を吐く生き物は元気とは呼べない、といっそ猫の言葉で諭してやりたくなったが、それはせず、我は足を折りたたんで縁側に座り込んだ。


「その点、君はいいな」


 我は目を閉じて、耳だけを沖田の声に寄せた。


「私が病人だろうと、お構いなしのいつもの調子だもの。君といると、心地が良いよ。私を病人扱いしないのは、君だけさ」


 沖田はまた軽く咳をする。それからゴソゴソと布団に潜り込む音がした。しばらくの静寂の後、沖田はまた喋り始めた。


 全く、猫を相手にこんなに喋るとは、余程暇なのだろう。


「君たち猫は、死期が近づくと姿を消すっていうけど、本当かい」


 自分の死期などわからん。怪我をすれば、天敵に見つからぬよう癒えるまで姿を消すことはあるが。


 我が尻尾をパタンと一振りすると、沖田はそれを肯定の意として受け取ったらしい。


「ああ、本当なんだね」


 そういった後、急にクスクス笑い始める。


「おかしいなあ。どうして猫と話してるんだろう」


 お主が一方的に話しかけてくるだけであろう。我はふん、と鼻息をこぼす。


 沖田のそばは、不思議と心地がよかった。こやつは、我に不用意に触れてこないからだ。最初の方こそ礼儀をわきまえぬ男であったが、我との付き合いの中で学んだのだろう。


 いきなり我の背後に立つこともなくなったし、触れてくることもない。ただ美味しいご飯を我に差し出してくれる。こういうのがちょうど良い。



 我はそのまま、まどろみの中へ落ちていった。


 

 

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