第4話 

 我が夢中で猫まんまを食べていると、再び人が現れた。


そやつは庭を突っ切ってきて、沖田の前で止まる。

 

 沖田は少し驚いた顔で、「斎藤さん」と呟いた。


 斎藤と呼ばれた男は沖田に小さく会釈してから、我に目を向ける。


「ん?猫かね」


「ええ」


「飼っているのかね」


「いえ、そういうわけじゃありません。この子は野良猫ですよ」


「なるほど。だが君になついているようだ」


 沖田は少し肩をすくめる。


「ご飯をくれるからでしょうね。ところで斎藤さん」


 沖田は我から視線を外すと、斎藤に向き直った。


「いいんですか?高台寺こうだいじのほうにいなくて」


「大丈夫だ。近藤局長と土方副長へ近況報告をして、すぐに帰る」


 斎藤は少し口角を上げた。微笑したのだろうが、あまり笑顔の似合わぬ男である。


「では沖田くん、私はこれで」


 斎藤はそう言って立ち去りかけた。だが、途中で思い出したように立ち止まって、肩越しに沖田へ話しかける。


「ああ、そうだ。沖田くん。最近体の調子は大丈夫なのかね」


「今日はすこぶる良いですよ」


「そうか。まあ、あまり無理をせず、しっかり養生したまえ。」


 それだけ言い残すと、斎藤は今度こそ去っていった。


 我は、斎藤の沖田を気遣うような口ぶりで、先日沖田が子供達と遊んでいた最中にひどく咳き込んでいたことを思い出した。やはり沖田は体を病んでいるのだろう。だがそれを知ったところで、我にはどうすることもできない。薬でも飲んで、ゆっくり体を休めよとしか言いようがない。といっても、我のその言葉が沖田の耳に届くことはないのだが。


 我は猫まんまを平らげると。沖田を見上げてニャアと鳴いた。一応お礼のつもりである。


 沖田は空になった椀を持ち上げると、「またおいで」と我に笑いかけた。我は少し顔を洗ってから、身を翻して沖田の前から立ち去った。


 

 新選組の屯所に行ってから二日目の朝。我は寝床として使っている寺の床下から這い出ると、うんと伸びをした。


 昨日は新選組の屯所へは行っていない。縄張りの見回りのさいに前を通りはしたが、その日は猫の集会が開かれる予定だったので、寄る暇はなかったのである。


 我が寺の軒下から出て丁寧に毛繕いをしていると、他の猫の気配を感じたので、顔を上げた。我の縄張りを脅かしにきおったか、と思ったが、現れたのが知り合いのクロだったので、我は警戒を解いた。


『やあ、たま』


 クロは我の前に現れると、挨拶代わりに鼻を近づけてきた。それから顔を互いの体に擦り合わせて猫の挨拶を交わす。


『どうした?昨日集会で会ったばかりではないか。何か言い忘れたことでもある

のか?』


 我がそう尋ねると、クロは黄色い目を瞬かせて我の問いに答える。


『昨日集会が終わった後、ちと物騒な場面に出くわした』


『物騒な?』


『人が斬られていた。怖くてな。自分の心にずっと留めておくのも何だかやるせなくて、お前にでも雑談ついでに話そうかと思ってここにきた』


 クロはそう言うと、前足を揃えて座る。


『あれは竹田街道だった。男が一人、連れ立って歩いていた二人の男に斬殺された』


『最近じゃ珍しい話ではない。ことにここ京では』


 我は怯えている様子のクロをなだめるように言った。


『暗殺や謀略、裏切りに粛清、そう言ったもので今の京は溢れかえっておる。だがそれらは人間の心が為すことだ。我ら猫には関係ない』


『俺はその人間の心が怖いのさ』


 クロは体を少し震わせた。


『目的のためなら邪魔者を排除し、裏切り者は粛清の名の下に殺す。人間はかように同族の血を流して、一体何がしたいのだ』


『それは我にもわからん。人間の社会は複雑だし、今は特に混迷の様相を呈している。クロよ、我ら猫がそんな人間の世を嘆いても何もならんぞ』


 我がそう言うと、クロは『確かにその通りではあるが』とどこか納得がいってなさそうに尾を振った。だが、つと我の方を見て、


『まあでも、たまに話せて少しはスッキリした。』


『そうか。ならば良かった』


 我が頷くと、クロは『じゃあな』と言って寺の石畳の上をさっさと歩いて行った。

 

 クロの後ろ姿を眺めながら、我は沖田のことを思い出した。


 あれも新選組の一員である。あやつも自分と同じ人を殺したことがあるのだろうか。あんな能天気そうな沖田に人が殺せるようには思えぬが……。


 我は、返り血で真っ赤に染まった沖田の姿を脳裏に描いた。すると毛が嫌な感じでぞわぞわと逆立った。


 できればあやつには、そういった血生臭い物事とは縁のないように生きてほしいと思う。どうしてそう思うのかは我にも分からない。ただ、あの青臭い顔が形作る微笑と赤い血は、全く相入れぬように思う。

 

 ちなみに、我はまだ、この京で頻繁に行なわれているという暗殺だの人斬りだのにはまだお目にかかったことがない。目撃したクロは随分と怯えていた様子だった。まあ、無理もないであろう。同種族同士での殺し合いなど凄惨極まりないものだ。見たくもない。


 それに、クロの話ではさっきまで連れ立って歩いていた二人が、仲間のはずの一人を殺したようだった。人間というのは何を考えておるのかさっぱりわからぬ。仲間割れでも起こしたのだろうが、何故そう簡単に殺そうとするのか。


 我ら猫にも殺し合いが全くないわけではない。縄張り争いの喧嘩が白熱しすぎて、相手が命を落とすこともある。だが、そうそうあるものではない。そもそも我らは喧嘩は極力避けたいと思っておる。なぜなら喧嘩をすれば怪我をするし、その怪我がもとで死ぬかもしれないし、そんなことになれば元も子もないからである。


 そんな危険を冒してまで、昨今の人間は何がしたいのか。


 そこまで考えたところで、クロと同じことを思っている自分に我は気がついた。さっきクロに猫がそんなことを嘆いても何もならんと言ったばかりだというのに。


 我は、先ほどまでの考え事は頭から振りはらい、毛づくろいを再開した。




 

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