Disqualifying the positive,






 少女は男の子の前で愚痴をためらうようになりました。

 だって不釣り合いすぎるのです。幸せいっぱいの男の子と、不安や不運にまみれるばかりの少女では。

 悪い報告を減らせば、男の子は少女にいいことがあったのだと思ってくれます。男の子は少女の日常を知るすべを持たないので、少女の描いた虚像が見破られることはありません。かくして、少女は男の子の前で『不幸ではなくなった自分』を演じることを覚えました。

(私が我慢すれば、この人は幸せのまま生きられる。私はこの人を幸せにするためにここにいるんだから、これで、正しいんだ)

 ──そんな論理で自分を正当化するのも、日を追うごとに得意になりました。

 唇を結んで微笑む少女を見て、男の子はいつも問いかけます。「最近、変わったね」

「そうかな。そんなことないよ」

「言いたいこと、叫びたいこと、前みたいに抱え込んでない?」

 こんな時、男の子の勘は気色が悪いほどに冴えていて、少女の背筋に嫌味な冷気を押し当てます。少女は首を振りました。そうして、裏付けのつもりで笑顔を繕い直すのでした。

「私のことは心配しないで」

 って。


 男の子は今や、ひとりぼっちではありません。守ってくれる存在が何人もいます。構ってくれる相手がどこにでもいます。この公園にさえ、男の子を遊び相手に選んでくれる子が何人もいます。

 男の子は少女の手を借りなくとも、自分と周りの人々のチカラで日々を楽しく過ごすことができます。もう、かつてのように、少女が男の子の幸せの保証になる時間は終わりました。自分に与えられた役目が徐々に意義を失ってゆくのを、少女は誰に言われるまでもなく、理解していました。

 だから距離を取るのです。

 男の子の幸せの邪魔になりかねない少女は、彼のそばに長居すべきではないのです。

 いつ、隠しきれなくなった想いが溢れ出して、男の子に迷惑をかけてしまうか分からない。そうでなくとも今、少女には、男の子のそばで役に立てる自信がありません。自分が役に立つ必要はないのだと、自分はそれができる唯一の存在ではないのだと、骨の髄から知ってしまったから。

 やがて、公園からも足が遠退き始めました。

 男の子がそこで笑っているのだと思うと、怖くて、切なくて、近寄りたいという気持ちが起こりませんでした。


 滅入った気分に沈む時間が尾を引けば引くほど、不幸の神様は意気揚々と少女に群がります。少女の日々はさらに悲惨になりました。クラスみんなのしくじりの責任を負わされて、先生にしこたま叱られました。指に力が入らなかったばかりに食器を落として割り、足を切りました。両親は少女の傷をいたわるどころか、執拗しつように「ぼうっとしてるからだ」と責め立てました。

 少女は歯を食い縛って耐えました。

 どんな言葉をかけられようとも、どんな力を振るわれようとも、嵐の過ぎるまでと思って耐えようとしました。男の子に出会う前の自分がそうしていたように。

 けれど叶いませんでした。いくら耐えようと力んでいても、あるとき、ふっと身体の力が抜けて、こらえようとしていた涙が一気にせきを切ってしまうのです。泣きじゃくる少女に同情の手は差し伸べられませんでした。涙を言い訳にするなと、怒りがヒートアップしただけでした。

 使い古しの雑巾のようになりながら、かすかな衝動が何度も胸を掠めます。

(あの人に話したい)

(ぜんぶしゃべって、共感してほしい)

(よく頑張ったねって言われたい)

 って。

 しかし同時に思うのです。ただ一時の衝動のために、男の子に迷惑はかけられないと。不必要な心配をさせて、男の子の平穏な幸せを乱してしまいたくはないと。

 男の子には泣いてほしくない。笑っていてほしいのです。

 だって少女は、男の子のことが好きだから。どうしようもないのに、どうしようもないほど好きだから。

 ──それに、どうせ男の子にどれだけ励ましてもらったところで、少女の境遇がいい方向に変わってくれるようには思えないから。

 やっぱり見られないように鍵を掛けて、心の奥深くに押し込むしかないのです。

 苦しい出来事を前にして泣き、喘いでから、悲しみを共有できる人のいないことに気付いて二度目の悲しみを味わう。そんなことばかりが続いては心が健やかに保たれるはずもなく、少女は以前にもまして憔悴してゆきました。絶望は無数に身体の周りに散らばっていて、そのなかに希望はひとつも見当たりませんでした。





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