Should statements,







 その日の男の子は、目に見えて明るい表情をしていました。

「ずっと憧れてた子に告白したんだ」

 瞳を潤ませ、男の子はブランコを高く高く漕ぎ上げます。「私も好きです、って言われたんだ! 信じられない!」

 いつものように隣に腰かけていた少女は、思わずブランコから滑り落ちそうになりました。つまり、それは。

「OKだった……ってこと?」

「そうだよ! こんなに嬉しい思いをしたの、久しぶりってくらいだ!」

 男の子は笑いました。とびっきりの、これ以上ないくらい明るい笑顔でした。底の知れない前向きな感情の波が少女にも押し寄せて、少女は一瞬、鎖を強く握って耐えようとしてしまいました。

 男の子は積年の夢を叶えた。

 なんて、なんて、晴れやかな声なんだろう。晴れやかな顔なんだろう。どんな努力をしようとも、今の自分にこの声と表情は作れない。それでも見栄を張って、

「おめでとう」

 と、微笑み返します。

 うんと男の子は首を振りました。

「きっと、君のおかげだ。君がいなかったら告白の勇気も出なかった。OKしてもらえる自信だって持てなかった。いま、心の底から嬉しいんだ。……ありがとう」

 とんでもない。愚痴も不安も二人で共有して、支え合う。少女はその約束を守ろうとしただけだったのですから。口を結んで、開いて、うつむきました。

「これが私の役目だもん」

「その役目をちゃんと忘れないでいてくれているだけで、すっごく、嬉しい」

 男の子の反応はあくまで素直です。少女は枯れた声で笑いました。声には出なくとも、笑ったような気になりました。

 なぜだろう。

 それは少女にとっても嬉しい、この上なく幸せな結末だったに違いないのに。

 少女はなぜだか、男の子の身に訪れた最大の幸福を素直に称賛してあげることができません。こうやって無理に笑って、建前の感情を伝えることしかできません。

 そんな少女の前で男の子は空を見上げます。どこまでも高い空にはおぼろに星が瞬いて、そこへそっと、男の子の言葉が重なりました。

「ね。これまでも、これからも、こういう関係でいよう。嘘の要らない信頼で、お互いのこと、これからも支えていこうよ。……ずっと、さ」

 星空に見とれていたせいでしょうか。そのとき、少女は、とっさの返事にいくらか手間取ってしまいました。


 空気のきれいな夜でした。疎らに並んだ街灯が光を落とす道の下を、少女は黙って家を目指しました。

 目をつぶっても、開いても、まぶたの裏に男の子の笑顔が焼き付いています。

 あんなに嬉しそうだったのにな。もっと、そばにいて喜んであげたかったな──。漏れた吐息はぐったりと濁っていて、たぐり寄せる間もなく空へと溶け込んでしまいます。少女は小さく、小さく、笑いました。男の子のそれとはまるで別の、あの“気味が悪い”と言われた笑顔でした。

(いいなぁ)

 笑顔のまま、小石を蹴りました。

(恋人さんはこれから毎日、いつだって、あの人の笑顔に触れていられるんだな)

 甲高い音を立てながら、小石は側溝に消えました。

(いいなぁ……)

 小石の消えた先をしばらく見つめていました。不意に、ぎゅうと胸が締め付けられるような感覚が走って、あまりの苦しさに少女はその場へうずくまってしまいそうになりました。

 男の子の笑顔は、男の子の恋人のもの。

 男の子の優しさは、男の子の恋人のもの。

 どちらにしたって少女のものではありません。……いえ、少女のものだった時間がそもそも存在していたのかどうかすら、今にしてみると疑わしい。仮にそうでなかったとしても、今の少女が男の子の笑顔と優しさを独り占めできないことに変わりはありません。

 少女の胸はたちどころに痛みを放ち始めました。一生懸命、浮かべた笑顔を保ちながら歩きました。もはや何のために笑っているのかも分からなくなってきましたが、どこかで誰かに監視されているような恐ろしさを振り払うことができなくて、頑なに笑顔を崩しませんでした。

 じわり、ひび割れた心の隙間に何かが染み込んで、目尻が熱くなりました。

(あの人は私のものじゃないんだ)

 涙があふれましたが、それでも必死に歯を食い縛って口角を上げました。──分かっていたのです。今さら悔やんだって手遅れであることは。だからこの気持ちは悔しさではなくて、喪失感なのだと思うことにしました。理由付けの済んだ涙はますます量を増して、しゃくりあげながら少女は笑いました。

 不気味な笑みを貼り付けたまま、とぼとぼと亡霊じみた足取りで、家路をたどりました。


 ああ。

 そうです。今ごろ気付いたって、もう手遅れ。

 少女はいつの間にか男の子のことが好きになってしまっていたのです。

 “特別な約束で結ばれた仲”の周囲に引かれた一線を、少女は無自覚のうちに飛び越えてしまっていたのです。

 だってあんなに優しいから。あんなに心を寄せてくれるから、共感してくれるから──。

(だけど、私の想いが叶ってしまえば、あの人の好きな人からあの人を奪ってしまう。私の欲望のために、今ある幸せを壊してしまう)

 少女は袋小路に追い詰められていました。泣きながら、笑いながら、このおろかな恋心の行く末をたちどころに悟りました。

(私の想いは、あの人に届いてはいけないんだ)

 閉じ込めておくしかない。男の子の幸せを真に願うなら、ちっぽけな胸の中にしまいこんで、鍵を掛けて保管するしかないのです。


 底知れぬ絶望に少女はただ、無力に怯えました。

 星の降りそうな夜のことでした。







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