第一章

一、生贄と山神様

第一話

 冥零国めいれいこく、最北。

 厳しい冬の寒さの中、一人の少女が道といえる道もない、雪で覆われた険しい山道を裸足で歩いていた。

「ごめんなさい……ごめんなさい、うぅ……っ」

 ボロボロの布きれのような着物を一枚羽織り、泣いているその少女の名は華鈴かりん。艶やかなはずの長い黒髪は雪をかぶりその艶を失い、大きな黒曜石の瞳は哀しみに染まっていた。

 華鈴は、この山の中腹にある胡群こむという小さな村で暮らしていた……今朝までは。

 村の人間にとって厄介者だった華鈴は、世話をしてくれていた祖父が亡くなったのをきっかけに村から追い出されたのだ――山神様への生贄として。


 冥零国は、百を超える神が住まう国だ。

 人間は神々の影響の下で生きている。神々は人間を見守り、時に暮らしを豊かにする。しかし気まぐれな神はその気分ひとつで災害を起こすこともある。人間は神々の恵みを与えられるよう、機嫌を損ねないよう、神を崇め奉り、捧げものを欠かさない。姿の見えない神に感謝し、脅えているのだ。

 華鈴の住む胡群は百十数人の小さな村だが、山神様の祠の管理を任されていた。都から離れた山中にあり、村への道も整備されていない。閉鎖的であるために、胡群の村人たちは孤立していた。しかし、村人たちは自分たちを神に選ばれた特別な存在であり、胡群という地は神聖な場所なのだと信じ込んでいた。

 だから、余所者は胡群を穢すとして、嫌い、寄せ付けなかった。それだけ、胡群の村人たちは自分たちを守ってくれる山神様を穢すことを恐れていたのだ。

 華鈴は、胡群で生まれた訳ではない。華鈴の母は胡群出身だったが二度と戻らない覚悟で都へ出て、父と出会った。しかし、華鈴が生まれるとどういう訳か母は余所者を嫌う胡群へと父と華鈴を連れて戻った。

 当然、一度村を出た母が認められるはずも、余所者の父とその間に生まれた華鈴が受け入れられるはずもなかった。しかし、当時の村長が反対する村人たちを何とか抑え込み、華鈴たちを村に受け入れてくれた。その村長は、母の父、つまり華鈴の祖父だったのだ。村人からの信頼が厚い祖父だったからこそ、受け入れられることができた。

 しかし、村人から本質的には受け入れられていない華鈴たちが暮らしていくのはあまりにも過酷な日々だった。祖父は余所者を受け入れたとして村長を降ろされ、両親は一日中働かされ、幼い頃から華鈴はいじめられていた。

 村人たちは余所者である華鈴たちに早く出て行ってほしかったのだ。山神様を穢し、怒りを買う前に。


 そして、華鈴たちが村で暮らし始めて六年が経ったある日、村は幽鬼に襲われた。

 幽鬼とは、人の怨念から生まれた醜い鬼だ。村を滅茶苦茶に荒らし、人を喰らう幽鬼に対抗できる者は誰一人いなかった。囮として幽鬼の目の前に華鈴がつきだされた時、何故か幽鬼たちは去って行った。それを見ていた村人たちは、華鈴が幽鬼を操って村を襲わせたのだと責め立てた。幽鬼から村を守ってくれるはずの山神様が助けてくれなかったのも、華鈴のせいだと決めつけた。

 もう一度山神様の守護を取り戻すために生贄を捧げる必要がある、と誰からともなく言い出した。本来ならば、華鈴が生贄となるはずだった。しかし、華鈴の代わりに両親が生贄となった。

 あの時の両親の最後の笑顔を、華鈴は十年経った今でも忘れていない。

 ――今度は、華鈴の番だ。

 華鈴の代わりに生贄になってくれた両親のおかげで、十六歳まで生きることができた。幽鬼に襲われてから、村人からのいじめは酷くなっていたが、華鈴は反抗することなくじっと耐えていた。

 華鈴が生まれたから両親は死んだ、華鈴が来たから村が荒れた……という村人の言葉を、華鈴はそのまま信じていた。疑うことを、華鈴は知らなかったのだ。

自分がいなければ両親は死なずにすんだ。自分がいなければ村は平和だった。

すべて華鈴が存在しているからなのだとすれば、村人たちからの仕打ちは自分が受けるべき罰なのかもしれない、そう思っていた。


 だから、作物の収穫が少ないことを理由に華鈴を山神様への生贄に差し出そうという話も、華鈴は黙って受け入れた。

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